▼熊本ホテルキャッスルロビー
幼い頃に通っていた、カトリック系の幼稚園。クリスマスが近づくと、その頃の思い出が、頭の中に1677万色の総天然色で蘇る。
親や周囲、そして幼稚園の園長ご夫妻に無理を言って、当時1年保育が当たり前の時代に、3年と4ヶ月通ったのだった。
その理由は、幼友達が皆2〜3歳上ばかりで、幼友達が幼稚園に通い始めると、楽しみにしていた遊び相手が、毎日午前中から昼過ぎまで居なくなってしまった。
今でも覚えている、入園の時。・・・父母に連れられ、某市の検察庁から200メートルほどの右手にある幼稚園。門を過ぎると、小さな運動場?と遊具、その奥に古い木造家屋の幼稚園があった。また、裏には西洋胡桃だと思うが、木々が茂っていた。
両親に躾けられたように、ちゃんと挨拶はしたものの、玄関から入らず、段差の高い廊下へと飛び上がった。園児は皆年上ばかりだが、いつもの幼友達と変わらないので、何の違和感もなかったと記憶している。
しかし、自宅周囲の幼友達の顔が見えない。何故だろうと思い、お姉さん先生に聞くと、分からないと言う。・・・家に戻り、母に聞くことにした。「あ、たかしちゃんね!・・・市立保育園に行っているんだってよ。」と・・・。隣同士が、互いの家を境に、各々反対方向の保育園と幼稚園に通うことになったようだ。今なら、リサーチ不足ってことになる。
その幼稚園の園長とご婦人には、筆舌に尽くしがたいほど大切に育てられた。園内では一番小さいが、元気がいいので、世話を焼かせたのは間違いない。フィルム缶を右足の親指で踏み血だらけになったり、相撲をしていて相手を焚き火の場所へ投げ飛ばし火傷させたりと・・・とにかく、今で言えば「問題児」だった。
その暴れん坊が、一番静かになるのが、「おかあさんといっしょ」の番組を見ている時と、給食の時だった。「ブー・フー・ウー」に迫る狼に、いつも勧善懲悪の心を持ち、ハラハラしていた。そして、腹が空くとランチタイム。何故か、同幼稚園は当時からパンが支給されていたように記憶している。
1912年(大正元年)には、第1回の卒園児を送り出した伝統ある幼稚園で、既に、100年以上が経っている。お元気であれば、第1回卒園の方は、105歳ということになろうかと。今は統合合併されて、昔のシステムではなさそうだが、当時は、名門中の名門と噂されていた。
気づけば、同級の園児では、医者になった友人が数人もおり、また、学校の教育者として活躍し、学校長になっている友人も多数いる。僅かな園児の数からすると、とんでもない確率でエリート達が巣立ったことになる。(筆者は除く)
そして、我々の一番の楽しみが、クリスマスだった。殆どが仏教徒ばかりなのに、カトリック系の幼稚園とはこれ如何にという感じもするが、そこが日本人。全く違和感なく通いつめ、クリスマスの演劇の準備に四苦八苦していた。時には、羊飼いなのかと思いきや、春先のイベントでは花咲か爺さんの役をやったりと・・・、摩訶不思議な体験をしたものだ。
昔の話はさておき・・・
最近の熊本市内は急に寒波が襲い、先日までうららかで暖かな日が、あっという間に、阿蘇などでは積雪もあり、寒暖の差が激しい真冬と化し、冬将軍の到来となった。熊本市は温暖で南洋諸島のように誤解されているが、実は、冬は底冷え、夏や蒸し暑いという、メリハリのある地域でもある。
昨夜は、会食を済ませ、帰り際に、いつもの熊本ホテルキャッスルへ足を運んだ。・・・ロビーにはスカーレットの色鮮やかなクリスマスツリーの飾り付けも終わり、その近くで若い女性たちが立ち話をしていた。ガランとしたロビーにあるツリーよりも、賑々しく語っている女性たちと共にツリーを撮影した方が絵になるだろうと思い、シャッターを切らせて頂いた。(顔は暈している)
幼い頃の記憶は恐ろしいもので、シャッターの瞬間に、当時の幼稚園の映像が、当然のごとく浮かんでくるのだ。まだ、スイーツなんぞ世の中に浸透していない時代。しかしながら、我々は、カトリック系の幼稚園に通っていたお陰で、毎年、大きなクリスマスケーキに在り付けたのだった。
お茶をして体を温め、同ホテルの玄関を通り、車に乗り込もうとした時、「シャン、シャン、シャン♪」と鈴の音が聞こえて来たような、来ないような・・・。「三つ子の魂百まで」と言うが、現在の大人の自分自身と比較しながら、苦笑いを抑えきれず車に乗り込んだ。
▼殆どが同幼稚園に通っていたようだ(なるほど・・良く見ると、現在、学校長も女医もいる!)
【ディー・アンド・エル社公式サイト】
http://www.dandl.co.jp/dandl/
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