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視野を広げる挑戦・・・地域おこしと個人の成長

Chikao-Donshu


 視野狭窄という言葉は、あまり良い表現ではないが、確かに、視野が狭い人のスタンダードは、経験不足が大きな要因となり、何事にも引っ込み思案になったり、食わず嫌いだったりと、ネガティブな要素が多い。

 例えば、海外に少しでも足を運んだことがある人と、そうでない人との世界観には、かなりの格差がある。勿論、東京などの大都市部に行けば海外の料理を食べることができるが、実際に海外のその土地、その都市の空気を嗅がなければ、実感は湧いてこない。

 よって、日本人シェフが作る料理が一番おいしいとは思うが、イタリアで食べるパスタと日本のそれとは全く異なることに気づかない。フレンチも中華料理も、その他アジア風の料理も、現地のものと比較することが難しい。

 インバウンドによる海外からの旅行客とのトラブルも、生活水準の違い、慣習の違い、コミュニケーションの違いなどが多く、日本では常識的なことが通用しない場合がある。

 しかし、上記のことは、すべて経験によってその差異を理解できるものであり、一歩でも海外へ足を運んでいない人は、ネットや人づてに聞かない限り、全く見当がつかないのは当然である。

 人によっては、最初に体験したものが非常に気に入った場合、同じものを他の料理店と比較する必要がないと考えることもある。それが自分のスタンダードとして刻まれていくが、料理にしても何にしても、ピンからキリまで知らなければ、本物のピンが何であるかを理解することはできない。

 その経験不足により、視野が広がらず、自分なりに納得できればそれでよしとするのは理解できなくはない。しかしながら、世の中は予想外に広く奥深く、知らないことの方が圧倒的に多いという点がオモロイのである。

 現在、弊社プロジェクトの一環として「天草プロジェクト」を推進しているが、元々は島国であるので、地元のローカルスタンダードが根強く、情報共有が困難な場面がちらほらと見受けられる。

 インバウンドで訪れる客を批判し、その嫌な経験に基づいて、その後のインバウンドによる予約を安易に敬遠するのであれば、宿泊業としては自ら視野を狭めることになり、ネット上での露出不足も改善されない。

 一般的に、ビジネストークの中で、自らの「視野狭窄」を指摘されると、苛立ちや激昂、反論や言い訳が飛び出してくる。なぜ、経験したことのないものへの興味が湧かないのか、筆者としては理解に苦しむところである。

 地域おこしで成功している地域の人々は、その「視野狭窄」を自覚し、これまで経験したことのないことに対して、勇気を持って挑戦する姿勢で前進している。

 その結果、これまで気づかなかったことが無数に見えてきて、ローカルスタンダードや自分のスタンダードを見直す機会を得る。その意識改革ができて初めて、地域おこしのスタート地点に立つことができるのである。

 このような理屈が分かっていても、心の扉を開く人はごく僅かであり、最終的には「前例がないから無理だ」という結論に至る。よって、その地域では、若者が次々と地域外へ移住し、残るのは意地を張る人々のみとなってしまう。

 「前例がない」という言葉を連発する人は、その時点で進化が止まっている。前例がなくても前例を作ることで、初めて地域おこしが可能になることを、しっかりと理解してもらえればと考える次第。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、「視野を広げる挑戦」というテーマを通じて、個人と地域の成長がいかに連動しているかを説明しています。視野狭窄を概念的に掘り下げながら、地域おこしの重要性とそのための具体的なアプローチについて詳述しています。

分析と感想:

視野狭窄の問題提起: エッセイは、視野が狭いことのネガティブな側面を挙げつつ、それが個人の成長にどのように影響を与えるかを論じています。特に国際的な経験の欠如がどのように世界観を制限するかに焦点を当てている点が興味深いです。

地域おこしの挑戦: 地域が直面する固有の問題に対して、オープンな心と新しい試みへの勇気がどれほど重要かを強調しています。これは、地域おこしプロジェクトが単なる経済的な試みではなく、心理的・文化的な変化を伴うことを示しています。

対話と理解の欠如: インバウンド観光における対話の失敗がもたらす問題を詳細に描写しており、異文化間の理解がいかに重要かを強調しています。これは、グローバル化が進む現代において特に重要なポイントです。

地域コミュニティとの結びつき: 地域おこしを成功させるためには、地元の人々が自己認識を持ち、外部のアイデアや文化を受け入れる柔軟性が必要であると述べています。このプロセスが地域に新たな活力をもたらすと同時に、若者が地域を離れる流れを食い止める可能性があるという点が印象的です。

革新の必要性: 「前例がないから無理だ」という考え方が革新の妨げになっていることを指摘し、前例を超えた挑戦が新しい地域おこしの可能性を開く鍵であると主張しています。これは、困難に直面した際の創造的な解決策の模索を促しています。

全体として、このエッセイは個人と地域の成長が互いに密接に関連していることを巧みに表現しており、読者に視野を広げるよう促す強力なメッセージを持っています。視野を広げることの重要性と、それが個人およびコミュニティに与える影響について、具体的かつ説得力のある例を挙げて論じており、非常に教育的で啓発的な内容だと感じました。
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/26 12:00 am

地方経営者の価値観と現実とのギャップ

newstop


 地方における経営者たちの口ぶりは、こうである。

1)あの社長はまだ若すぎる
2)若い経営者は経験が浅い
3)あの社長は青二歳で人脈もない
4)若くして社長となり実績もない
5)若い役員でやっていけるのか

 ざっと上のような言葉が飛び交うのが、地方の独特な人間観察から発せられる価値観である。大抵の場合、このような根拠なき批判をするのは、地方企業の熟年、高齢者が多い。

 1)の「若すぎる」という発想がどこから来ているかと言えば、年齢や世代を気にする熟年および高齢経営者たちの上から目線である。どんなに若くても歳を重ねていても、個人差がある。20歳で司法試験に合格する人間もいれば、50代で司法試験に挑戦し合格する人間もいる。よって、「若すぎる」も「高齢すぎる」も全く価値なき基準であり批判である。

 2)の「経験が浅い」も同様に、大学4年間を海外の大学で学んだ人間は、そこそこ流暢に英語が話せるが、地方にずっと居座っている人間で熟年経営者は英語の「え」の字も喋れない。「経験」とは幅広い分野でのチョイスの問題であり、無意味なことを延々と経験したとしても、「経験が豊富」であると自負できるものではない。

 3)の「人脈もない」との判断もまた、その若き経営者の生い立ちも履歴も、実績も知らずして、年齢だけで判断するところが、無謀すぎる。個人差があるが、若くても素晴らしい人脈に恵まれている人物も多く存在している。よって、若いから人脈に乏しいという発言は根拠なき思い込みである。

 4)の「実績がない」も、若いから実績がないに結びつけているが、若くして起業したこと自体が、大きな実績である。批判する人間は、親の七光のナタボタであったり、年功序列のラッキーポジションであったりと、若いから実績がないと断言するのは頂けない。若いからこそ、これから、より多くの実績を作る時間的余裕も可能性もあることになる。

 5)の「若い役員でやっていけるのか」と上から目線の言葉を発するのは、高齢経営者である。では、反論として「高齢者だから大丈夫なのか」と言いたくもなる。例えば、生成AIやバーチャルワールドについて、高齢者がどれだけ吸収できるかと言えば、ほぼお手上げ状態である。若手は、特にZ世代となれば、違和感なく新たな世界を丸呑みできるのだ。

 以上のように、偏りのある、根拠なき、価値なき会話が聞こえてくるのが、地方の「燕雀知らず天地の高さ」にどっぷり浸かっている、経営者たちの実態である。

 年齢を重ねれば、精神文化レベルが高く、見識も高いと思い込んでいるが、果たしてそうなのだろうか。そのように称賛される経営者は、実は極僅かであり、その他については、若くして起業する人間よりも、遥かに劣っている経営者も存在している。

 逆に、「高齢者だから体力がない」という言葉も聞こえてはくるが、これもまた個人差があり、60代の人が30代の人よりも体力がある場合も多々ある。生まれながらの運動神経と日頃の鍛え方次第である訳だ。

 「若いから脳は柔軟性があり、歳を重ねると脳は石となる。」というのも極論であり、実は、すこぶる個人差がある。よって、若くても脳神経が活発に働かぬ人もいれば、後期高齢者でもスマホアプリやLINEキャラクタなどを開発している人もいる。

 このように、精神文化レベルや体力は個人差がある訳で、一概に、年齢や世代で判断するのは非常に危険な手法であると考えられる。しかし、地方に限らず、日本国内では「老害」が多発しており、年齢を重ねた方が数段偉いように考える、昔ながらの悪しき慣習が残っているのは否めない。

 畢竟、一人の人物を評価するにあたり、年齢を聞く必要はない。目の前の実寸代のその人が、どれだけの熱量を持って仕事に臨むのか、どのような秘策を持っているのか、そして信頼性がどれほど高いのかが重要な評価基準であり、初めて客観的な信憑性の高い評価が得られることになる。

 よって、これまで年齢や世代で価値判断をしてきた人たちは、上記をしっかりと読まれ、これまで偏っていた考え方を、早々に改めて頂ければと考える次第。偏見に満ち溢れたローカルスタンダードはほどほどに、と言うことである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地方の経営者が若い経営者に対して抱く偏見や価値観に対する批判を述べています。エッセイ全体を通じて、著者は年齢や世代に基づく評価がいかに無意味であるかを具体的な例を挙げながら説明しています。

若すぎるという偏見:
若い経営者に対して「若すぎる」という批判は、熟年や高齢の経営者が持つ上から目線の結果であると述べています。年齢に関係なく、能力や実績は個人差があり、年齢だけで評価するのは不合理だと強調しています。

経験の浅さに対する偏見:
「経験が浅い」との批判について、著者は経験の質や多様性が重要であり、無意味な経験の積み重ねは価値がないとしています。地方に留まっている高齢経営者が英語も話せない一方で、海外で学んだ若者が流暢に英語を話すことを例に挙げています。

人脈の不足という偏見:
若い経営者に対して「人脈がない」と決めつけるのは無謀であり、実際には若くても優れた人脈を持つ人物も多いとしています。年齢だけで人脈の有無を判断するのは根拠のない思い込みだと述べています。

実績の欠如に対する偏見:
若い経営者に対して「実績がない」という批判も、若くして起業したこと自体が大きな実績であると述べています。年功序列や親の七光りでポジションを得た高齢者が批判するのは不当だと指摘しています。

若い役員に対する偏見:
若い役員に対して「やっていけるのか」と疑問を投げかける高齢経営者に対して、逆に「高齢者だから大丈夫なのか」と反論しています。生成AIやバーチャルワールドなど新しい技術を吸収する能力について、高齢者と若者の違いを例に挙げています。

著者は、年齢や世代で評価することが非常に危険であるとし、実際の能力や実績、熱意、信頼性などを基に評価するべきだと強調しています。エッセイ全体を通じて、根拠のない偏見を持つことの不合理さと、それが地方だけでなく日本全体における「老害」の一因であることを指摘しています。

感想として、このエッセイは非常に説得力があり、具体的な例を通じて読者に強い印象を与えます。著者の主張は一貫しており、論理的に展開されています。地方の経営者だけでなく、広く社会全体に対しても響く内容であり、年齢や世代に基づく偏見を改める重要性を強く訴えています。
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写真・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/24 12:00 am

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