生き人形ではなかろうかと思えるような「赤子」の人形が目の前に。聞けば、「瑞観作」という。はち切れんばかしの美しい肌の質感。圧巻は、目線の先の母親の姿さえもが想像できるような、愛くるしい「眼」である。
人は、このように乳飲児で免疫力を無くした頃から、全てに無防備でもあり、最も脆弱な存在となる。しかし、言葉を覚え、喋り出し、知恵が付いてくる頃から「人格」というものがじわじわと備わってくる。
よって、「人格形成」にとって、この乳飲児から離乳、そして免疫力を無くした段階が一番重要なのではなかろうかと思える。しかし、大人になるにつれて、無力なる可愛い「赤子」が、それが極一部の人間だとしても、何故に、妙な「輩」に豹変するのだろうか。
ちゃんと挨拶をしていた子供が、礼節を無視した行動をとっている。虫も殺さぬ優しい子供が、人を殺めて刑務所に収監される。読書好きな大人しい子供が、一般道を爆走している。きっちりとルールを守っていた子供が、公道で酔い潰れている。
随分昔のことを遡って、記憶を紐解いてみた。幼稚園当時の子供の頃の話だが、既に、上に立ちたがるボス的存在も、可愛子ぶりっ子する子供も、人の話など聞かず喋りまくる子供も、嘘つきやずる賢い子供など、所謂、十人十色であった。
「子は親の背中を見て育つ」と言われるように、既に、幼少期において、個々人の人生におけるベクトルがある程度定まっているのだろうと推察するのである。更に、環境の変化などで色んなバリエーションの「人格」が確立して行くのだろうと。
勿論、幼少期における育った環境も家族の躾なども大きな影響があると考えられるが、人間(動物)の本能として備わっている「群れ」や「差別」、「優劣」、「虚栄と自慢」など、大人になればなるほど外に向けて放出するようになる。
異端児を悪くは思わない。また、悪いとも言いたくはない。ただ、異端児がクールな存在だと自負したいのであれば、人間社会のルールを守り、じっくりと演技されても宜しかろうと。ルールとは、「人様に迷惑を掛けない」が大原則であることを認識すべきである。
実にシンプルだが、「人様に迷惑を掛けない」が理解できるのであれば、誰しも法により裁かれたり、恨まれたり、面倒なことになるはずはない。しかし、それが理解できない人は、老人になっても醜態暴走が止むことはなく、情けないが、愚かなる人間のまま最期を迎えることになる。
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