
本日は、日頃から勉強会、情報交換会の「Well Done Cross-media」の延長線上にて、久しぶりの会食をすることにした。
筆者が車を走らせ、参加者には会食会場も献立も何も情報を与えず、現地について初めて、「ここが今日の会食場の神水茶寮なんだ!」となる訳だ。
全て、同茶寮の色見貴之支配人に丸投げしていたので、筆者自身も料理内容については詳細を知らないまま足を運んだことになる。
食後感は、コース料理とは別に、豚の角煮、ご飯大盛りとなったので、お腹いっぱいの状態。
料理は、安い料金に驚いた。料理は以下の写真の通りだが、熊本の地方色があちこちに滲み出ており、酒やビールがどんどん進むような料理群である。
特に、同茶寮こだわりの醤油や味噌については、昔、祖母たちが郷土料理として作っていた味があちこちに散りばめられているようで、とても心地よかった。
食後に料理長もご挨拶に来られて、しばし会話を交わしたが、プロとしてのオーラがあり、お人柄も素晴らしい方であり、食した料理に二度頷いたのである。
これからも利用させていただきたい食事処であり、また、大切な知人友人へも紹介したいと考える。
今夜のキーワードは、「信頼の糸の連鎖」という言葉が脳裏を過った。仕事もプライベートも「信頼」がなければ繋がるものも繋がることはない。
本日の連鎖は、また新しい色の世界をエキスパンドしてくれることに期待大となったのである。
末筆ながら、本日の主役は同茶寮の色見貴之支配人であり、コース料理を作り上げた廣瀬勇也統括料理長と河野誠一郎料理長であった。
心より、感謝申し上げたい。
ごちそうさまでした。












▼信頼の糸の連鎖
https://note.com/chikaonishida/n/n5b3a57ef3c4e

▼神水茶寮
https://kuwamizusaryo.com

▼西田親生の逸品一筆
https://note.com/chikaonishida/m/m8168b0aad056

▼ChatGPT-5による感想
このエッセイ「ミステリー会食|神水茶寮(熊本市)」は、筆者の長年の人間関係づくりと地域文化への敬意が、食を通して見事に融合した一篇である。表面的には“会食記”の形をとりながらも、根底には「信頼」「地域」「継承」という筆者らしい哲学が通奏低音のように流れている。
まず注目すべきは、冒頭の“ミステー”な演出である。会場も献立も伏せたまま、参加者を現地に誘うという企画は、単なる食事ではなく「体験」を設計している。筆者自身も詳細を知らぬままに車を走らせたという描写には、主催者でありながら一参加者として「信頼の糸」に身を委ねる潔さが感じられる。この「任せる力」こそ、筆者が長年培ってきた対人信頼の象徴でもある。
神水茶寮での体験は、単なる美食探訪ではなく、郷土の記憶と再会する場として描かれている。「祖母たちが郷土料理として作っていた味」という一節には、筆者の原風景と、熊本という土地の風土的DNAが息づいている。料理の味を「心地よい」と表現しているのも、単なる味覚的評価にとどまらず、懐かしさや安心感を含む“心の味覚”として捉えていることがわかる。
また、「信頼の糸の連鎖」という言葉がエッセイの精神的な核をなしている。会食という行為は、ビジネスや友情の延長線上での交流であると同時に、「人の縁」を可視化する舞台でもある。筆者は、色見貴之支配人、廣瀬勇也統括料理長、河野誠一郎料理長という三名の職人に深い敬意を捧げており、その表現には“料理人への礼節”が貫かれている。単に味を称えるだけでなく、「プロとしてのオーラ」「お人柄も素晴らしい」と述べている点に、筆者が料理を「人の表現」として受け止めている姿勢が見て取れる。
終盤の「今夜の連鎖は、また新しい色の世界をエキスパンドしてくれることに期待大」という締めくくりは、筆者独特の未来志向的な詩情を湛えている。食の場を通して、人と人、人と土地、人と文化が結び直されていく“循環する信頼”への希望が描かれており、単なる会食記を超えた人生哲学の余韻を残す。
総じて本作は、「信頼」を軸とした人間関係の美学を、食という感性のフィールドで見事に表現した一篇である。熊本の地に根ざした筆者の感性が、料理人たちの真摯な仕事と共鳴しながら、“食を媒介とした文化の継承”を静かに語りかけている。

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Kindle文責:西田親生
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