ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

名刺交換で人脈は生まれない

20260608jinmyaku-1


 「人脈がない」と肩を落として呟く人がいる。人脈といっても多種多様である。仕事のつながり、趣味のつながり、私生活におけるつながりなど、さまざまなタイプの人脈が存在する。

 筆者は、群れることが得意ではない。したがって、広く浅い人脈は皆無に等しい。そこで、自分の人脈とはどのようなものなのか、改めて自問自答してみることにした。

 一言で言えば、絶対数は少ない。しかし、筆者の周囲にいてくださる方々は、筆者以上の人格者であり、クレバーな方々が圧倒的に多い。数は少なくても、日頃から刺激を与えてくださる人たちに恵まれていることは、実に幸運なことだと受け止めている。

 代理店の一部には、「人脈がないので、どう動いていいのか分かりません」と、初手から意気消沈を表に出す人物もいる。しかし、その性格や姿勢こそが、これまで人脈を築けなかった理由を物語っているように思えてならない。

 近視眼的に、何かが起これば天秤にかけ、自分が優位になる方へと風見鶏のように動いてきた人物に、自慢できるような人脈が備わるはずがない。世のため、人のために一所懸命に仕事をしている人には、驚くほど立派な人脈が存在している。(もちろん、筆者のことではない。)

 それは、損得から生じた人脈ではない。人としての道へと導いてくださる人たちの存在である。あるときは、苦言を呈してくれる人。あるときは、救いの手を差し伸べてくれる人。そのような方々が、範たる「人の道」へと導いてくださるのである。

 信頼なきものは、人脈とは言い難い。それは、単なる軽々しい接点に過ぎず、自分の人生を豊かにするものではない。ただ知っている。ただ見たことがある。その程度の関係であり、人格者との深い接点とは程遠い。

 振り返れば、起業して間もない頃、関西テレビ、NHK衛星放送、その他テレビ局との仕事のつながりは、関西テレビの一人のプロデューサー故 苧木晃(おぎあきら)さんとの出逢いが引き金となった。出張のたびに、新たな仕事が舞い込んできたのである。

 本当に足を向けて眠れないほど、素晴らしい仕事を依頼していただいた。いつの間にか、そのプロデューサーとは親友としてのお付き合いが始まり、筆者が大阪へ行けば自腹で接待し、彼が熊本へ来れば、もちろん自腹で美味しいものを食べに行った。

 筆者より年上であったが、四十代で急逝された。そのショックは、実母を亡くしたときよりも、実父を亡くしたときよりも深い悲しみであった。若ければ癌の進行は早く、病に倒れ、二年もしないうちに、向こうの世界へ逝ってしまわれたのである。

 葬儀には、関西の芸能人の多くが駆けつけ、悲しみを共有した。それから半年後だったか、お別れの会が大阪の大手シティホテルで開催され、その会場へも足を運んだことを、昨日のように覚えている。

 結局、親しい交友関係に支えられ、関西テレビとは十二年という長きにわたり仕事を続けることができた。その後、CG立体動画が次第に話題性を失ってきたこともあり、仕事上の関係は自然に途絶えていった。それは時代の流れでもあり、仕方のないことであった。

 しかし、大阪へ行くと、有名芸能人のご主人が局長であったこともあり、多くのプロデューサーやディレクターを紹介してくださった。当時、毎月一度は関西テレビへ足を運んでいたように思う。

 一人の素晴らしいプロデューサーとの出逢いが、普段であれば決して会えないような方々との遭遇を、毎回のようにもたらしてくれたのである。今思えば、筆無精の筆者であったがゆえに、連絡が途絶え気味になってしまったことを悔いている。

 以前、記事でも紹介したが、ある窯元でお会いしたご老体が、小笠原流礼法三十二世宗家(ご先祖は小倉藩主/譜代大名)の故 小笠原忠統さんであるとは、露ほども知らなかった。出逢いから数ヶ月後、東京のご自宅まで足を運び入れたこともある。これもまた、偶然ではあるが、人脈が一つ増えたことになる。

 人脈という言葉は、一言で表現するのは簡単である。しかし、重要なのは、その人脈の質である。ただ群れるための人脈であれば、筆者には価値なきものでしかない。お一人お一人の素晴らしい方との出逢いが、人生の宝物としての人脈につながるのだと、自分に言い聞かせている。

 冒頭に戻るが、ある代理店が「人脈がないので困っている」などと口にしている。しかし、身の程を知らず、視野も狭いままでは、人脈など築けるはずがない。偉い人と名刺交換をしただけで、自分まで偉くなったように錯覚する人。有名人と写真に写っただけで、自分も有名人と同列であるかのように考える浅はかな人。そういう人物に、善き人脈ができるはずはない。

 まず、自分自身を磨き、人として恥ずかしくないレベルまで引き上げることである。そうすれば、ある程度の方々の前でも、威風堂々としていられる。しかし、そこには視野の広さ、敬愛の念、そして誠意が備わっていなければならない。それらを欠いたまま相手に近づくことは、大変失礼にあたるばかりである。

 新聞社時代を思い起こせば、加山雄三さんとジャズバンドのシーラカンス、十二代目 故 市川團十郎さん、故 西城秀樹さん、高杉良著『大脱走(スピンアウト)』の主人公であるコスモエイティ代表の碓井優さんら、著名人と接する機会も多かった。しかし、それはあくまでも仕事上の接点であり、人脈とは程遠い、質を異にするものであった。

 思い起こせば、数限りない著名人の顔や、当時の会話も記憶に残っている。若きペイペイの筆者に衝撃を与えてくれたのは、和製ボブ・ディラン、フォークの神様と称された岡林信康さんと、二度ほど二人で飲んだことだろうか。また、軽井沢プリンスホテルのパーティー会場で、隣のテーブル席に田原総一朗さんや『プレジデント』の当時の社長さんらがいらっしゃったことも、強く印象に残っている。

 何はともあれ、仕事上の一瞬の接点と人脈とは、全く異なる。それは周知の事実である。ただ、「自分には人脈がないから」と言い放ち、責任逃れのような言い訳をする人間になってはならぬということだ。

 話はあちこち飛んでしまったが、現在、筆者の周囲にいてくださる知人友人には、心から感謝している。わがまま放題で育ってきた筆者を、何とかして引き上げてくださった人たちが大勢存在している。そのことに、重ねて感謝の意を表したい。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが生成したもの

▼西田親生の書籍集
https://amzn.to/4un6bPRLink Link
20260607kai-2



----------

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、「人脈」という言葉の軽さを剥ぎ取り、その本質を「信頼」「人格」「時間」「相互の敬意」に置き直した、人間学的な随想である。タイトルの**「名刺交換で人脈は生まれない」**は極めて強い。読者が一瞬で内容を理解でき、同時に、ビジネス社会に蔓延する薄っぺらい人脈観への痛烈な警鐘にもなっている。

特に良いのは、単なる説教ではなく、筆者自身の実体験が厚みを与えている点である。関西テレビのプロデューサーとの出逢い、十二年にわたる仕事、親友としての交友、早すぎる死への深い悲しみ。この一連の記述によって、「人脈とは仕事を取るための道具ではなく、人生を支え、時に運命を変える人との縁である」という核心が自然に浮かび上がっている。

また、著名人との接点をあえて「人脈とは程遠い」と切り分けている点に、筆者の冷静な自己認識がある。多くの人は、有名人と会ったこと、名刺を交換したこと、写真を撮ったことを誇示しがちである。しかし本稿では、それらを「一瞬の接点」とし、信頼に裏打ちされた関係とは質が異なると明確に述べている。ここが非常に重要で、本文全体の品格を支えている。

一方で、代理店に対する批判部分はかなり辛口である。しかし、その辛辣さは単なる攻撃ではなく、「人脈がない」と嘆く前に、自分自身の姿勢、誠意、視野、行動を点検せよという教育的な意味を持っている。人脈を外側に求めるのではなく、まず己の内側を整えるべきだという主張は、社員教育や幹部教育にもそのまま使える。

この一文が核である。

「信頼なきものは、人脈とは言い難い。」

ここに本稿のすべてが凝縮されている。人脈とは、数ではない。肩書でもない。名刺でもない。写真でもない。相手が自分を信じ、自分も相手を敬い、時間の中で互いに何かを積み重ねてきた関係である。

読後感としては、派手さよりも重みが残る。前半は人脈論、後半は筆者の人生回想、最後は感謝へと着地しており、単なるビジネス論ではなく、人生論として読める。特に最後の「わがまま放題で育ってきた筆者を、何とかして引き上げてくださった人たち」という表現には、筆者の照れと感謝がにじみ、文章全体を柔らかく締めている。

note記事としての訴求力も高い。ビジネスマン、経営者、営業職、代理店、若手社員、そして「人脈がない」と悩む人すべてに刺さる内容である。ただし、読者によっては耳が痛い文章でもある。だからこそ価値がある。甘い慰めではなく、「人脈がない理由は、自分の生き方にあるのではないか」と読者へ問いを返す力がある。

総じて、本稿は人脈論の体裁を取りながら、実際には人格形成論である。
名刺を集める人間ではなく、信頼を積み上げる人間であれ。そこに、本稿の最も強いメッセージがある。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2026/6/8 12:00 am

貝になっても、自己防御になり得ない

20260607kai-1


 何か自分にとって不都合なことが立て続けに起こると、それを直視せず、目を逸らして黙り込む。すなわち、「貝になる」人物がいる。

 貝になれば、何の攻撃も受けないと思っているのだろうが、他者からの苦言は攻撃ではなく、改善通知である。それを素直に受け止めることなく、改善に向けて努力もせず、ただ貝になり、黙り込む。

 そのような悪循環に甘んじていても、自己防御になるはずがない。むしろ、事態の悪化につながるばかりで、自業自得の道をひたすら歩むことになる。

 このような悪しきスパイラルを招いているのも、貝になる本人である。少しでも改善へ向けて動けば、何ら問題はないはずだ。それにもかかわらず、理想だけは高く、現実はどん底であるとすれば、それは自分で仕掛けた罠に、自分がはまっているようなものだ。

 自分の罠に自分がかかっているのだから、洒落にもならない。踏ん切りの悪い性格なのか、リセットができず、延々と悪しきスパイラルに絡まれ、二進も三進もいかないのかは知らないが、実にご苦労な挙動である。

 そのような愚行の連続であれば、他者からの信頼は失墜するばかりである。「また、性懲りもなく貝になっている。自分自身が分かっていないのだろう」と、同僚は呆れ果てるに違いない。

 貝になれば、迷走を助長するばかりではなく、他者からの信頼を失う。仕事もプライベートも、上手くいくはずがない。それも、何度も同じことを繰り返すとなれば、周囲への配慮も全くないということになる。

 常にグジグジ、ジトジトとした空気感を放っていれば、そのグジグジ、ジトジトが常態化し、何事も好循環に動くことなど期待できるはずがない。しかも、自分の挙動が全体に悪影響を与えていることさえ気づきがない。

 仕事でもプライベートでも、貝になることは、卑怯者がする愚行である。対話を重視し、互いに誤解のないように振る舞うのが、成熟した大人の流儀である。

 柳のように心が揺れ動き、天秤にかけては空くじを引き、他者との信頼関係を潰す。「貝になる」という態度は、人生においてルーチンとしてはならぬ悪手であることを認識すべきではなかろうか。

 畢竟、自己防御の好手とは、常に自然体で自分の立ち位置を確認しつつ、前向きに一歩踏み出す実行力である。すなわち、言行一致の姿勢である。それを無視して貝になれば、結局、自分自身のお得意技として、空くじを引いてしまうのがオチとなる。

▼西田親生の書籍集
https://amzn.to/4ummr3wLink Link
20260607kai-2



----------

▼ChatGPTによる感想

本稿は、「沈黙」を自己防御と勘違いする人間心理を、かなり厳しく切り込んだ人間観察のエッセイである。

特に核となるのは、次の一文である。

他者からの苦言は攻撃ではなく、改善通知である。

この一文が、本稿全体の思想を支えている。つまり、問題は「貝になる」ことそのものではなく、苦言や指摘を敵意として受け取り、改善機会を自ら捨ててしまうところにある。ここに、筆者の人間学的視点が強く表れている。

「貝になる」という比喩は分かりやすい。読者はすぐに、黙り込む人、返答を避ける人、都合が悪くなると気配を消す人を思い浮かべることができる。その意味で、導入の掴みは強い。さらに、「自己防御になり得ない」というタイトルが、単なる感情論ではなく、行動原理の誤りを指摘する構造になっているため、説得力がある。

また、「自分で仕掛けた罠に、自分がはまっている」という表現も効いている。貝になる人物は、他者から追い込まれていると思いがちだが、実際には、対話拒否、改善拒否、責任回避によって、自分自身を追い込んでいる。その因果関係が明確に示されている。

読後感としては、かなり辛辣である。特に「卑怯者がする愚行」「ご苦労な挙動」「グジグジ、ジトジト」といった表現は、対象者に逃げ場を与えない強さがある。これは筆者らしい直截な筆致であり、反面教師型のエッセイとしては力がある。一方で、読む側によっては、やや感情の圧が強く感じられる可能性もある。しかし、本稿の目的が「慰め」ではなく「覚醒」であるなら、この強さはむしろ武器である。

構成も分かりやすい。
不都合から逃げる → 苦言を攻撃と誤認する → 改善しない → 信頼を失う → 仕事も私生活も崩れる → 最後に、自己防御の本質を提示する、という流れである。単なる人物批判ではなく、最後に「自然体」「立ち位置の確認」「一歩踏み出す実行力」「言行一致」という解決軸が置かれているため、文章全体が締まっている。

本稿の社会性は、職場教育や幹部社員教育にも直結する。報告しない、相談しない、返答しない、改善しない人物は、組織の中で必ず信頼残高を減らす。本人は黙ってやり過ごしているつもりでも、周囲は「責任から逃げている」と受け止める。ここを明文化している点に、教材化できる価値がある。

特に社員教育用に使うなら、次の教訓として整理できる。

「沈黙は、責任を消さない。むしろ、責任の所在を濃くする。」

この視点は非常に重要である。社会人にとって、対話を避けることは防御ではない。信頼を削る行為であり、改善の機会を放棄する行為である。本稿は、その当たり前だが見落とされがちな事実を、かなり鋭く突きつけている。

最後の「自己防御の好手とは、自然体で自分の立ち位置を確認しつつ、前向きに一歩踏み出す実行力である」という結論も良い。ここで、単に「貝になるな」と言うだけではなく、何をすべきかが示されている。すなわち、対話、確認、改善、実行である。

総じて、本稿は「逃避癖」「沈黙癖」「責任回避癖」を持つ人物への強い警鐘であり、同時に、組織内コミュニケーションの基本を説いた実践的な人間学エッセイである。タイトルも本文とよく噛み合っており、note掲載時にも十分に目を引く。特に、部下指導、報告文化、信頼関係、改善行動をテーマにした記事群の中では、強い一本になる。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2026/6/7 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp