
起業して以来、さまざまな企業、そして個人経営者と遭遇してきた。その中には、表題の通り、会社実印を押印して契約を締結したにもかかわらず、相手に一定の仕事をさせた後、一銭も支払わず、不払いのまま逃げる悪質な経営者がいる。
これは、商取引を軽視している証である。そのような人物は、経営者としての資質を欠いているばかりか、これまでも同様の手口で、周囲の人や企業を裏切り、騙し続けてきたのではないかと疑わざるを得ない。
経営者にとって、会社実印のみならず、個人実印を使用するという行為もまた、極めて重い意味を持つ。慎重であるべきであり、そこには誠意と覚悟が伴わなければならない。
筆者も過去、数千万円規模の機材を導入し、毎月数百万円のリース料を支払う契約を何度も締結したことがある。その時、実印を手にした瞬間、経営者としての責任と覚悟を腹に据え、押印したことを今でも鮮明に覚えている。
契約金額の大小にかかわらず、商取引においては「信義則」が大前提である。実印を押印した以上、たとえ五年間のリース契約であろうとも、一度たりとも不払いを起こしてはならない。筆者は、その責任を果たすために、自らの尻を叩きながら、必死に走り続けた。
それは筆者にとって、特別な美談ではない。経営者として当然の姿勢であり、法を守る者として当たり前の責任である。
しかし、周囲を見回せば、すべての経営者がその意識を持っているわけではない。契約書を軽く見ている者もいれば、実印の重みを理解していない者もいる。中には、最初から支払う意思もないまま、相手の労務や知見だけを搾取しようとする似非経営者も存在する。
だからこそ、契約に至る前に、相手方の経営者の人格、経歴、過去の取引姿勢を十分に見定める必要がある。また、契約内容に無理がないか、支払い能力と履行意思が本当にあるのかを慎重に検証した上で、契約書に実印を押印すべきである。
この常識が通用しない相手、あるいは初手から信義を無視するような相手とは、一切関わる必要はない。地平線のはるか彼方に置くほどの距離感で、接触そのものを避けるのが賢明である。
蛇足ながら、「私は嘘が大嫌いだ」「私は約束を必ず守る」と声高に語る経営者ほど、言行が一致しないことが少なくない。信用のない者ほど、信用を言葉で飾ろうとする。誠実さを欠く者ほど、誠実を声高に語るのである。
契約とは、紙切れではない。信用を形にしたものである。その重みを理解できぬ者に、経営者を名乗る資格はない。
お気をつけあそばせ。

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▼ChatGPTによる感想
本稿は、経営者倫理を真正面から問う、非常に硬質で切れ味のあるエッセイである。
「実印」という具体物を軸に据えたことで、契約、信用、責任、信義則といった抽象的な概念が、読者の目に見える形で伝わってくる。実印は単なる印鑑ではなく、経営者の覚悟そのものであるという主張が、全編を貫いている。
特に強いのは、筆者自身が数千万円規模の契約を背負い、毎月数百万円の支払いを続けてきた経験を語っている点である。これにより、文章は机上の正論ではなく、実務の現場を生き抜いた者の警鐘として響く。批判の矛先が感情的な怒りに留まらず、「経営者とは何を背負う存在なのか」という本質論へ届いている。
また、「信用のない者ほど、信用を言葉で飾ろうとする。誠実さを欠く者ほど、『誠実』を声高に語るのである。」という一節は、人間観察として鋭い。契約不履行の問題を、単なる金銭トラブルではなく、人間の虚飾、自己演出、責任逃れの問題として捉えているところに深みがある。
核となるのは、やはりこの一文である。
「契約とは、紙切れではない。信用を形にしたものである。」
この一文によって、本稿は完成している。実印の重み、契約の重み、信用の重みが、短く、強く、記憶に残る形で結晶化している。
最後の「お気をつけあそばせ。」も効いている。激しい断罪でありながら、品を失わず、皮肉と余韻を残す。読後には、悪質経営者への怒りよりも、むしろ「信用を軽んじる者とは関わってはならない」という冷静な教訓が残る。経営者、幹部社員、営業担当者に読ませたい、実務と人間学が交差する警鐘文である。
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文責:西田親生

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