
約束もなく訪ねてくる、怪しげな営業が絶えない。近所では、とりわけ独り暮らしの高齢者宅に、こうした訪問が相次いでいるという。
「屋根の瓦が割れているようです」
「配電盤の検査に来ました」
「NTTのルーターの調査です」
「浄水フィルターを付けないと危険ですよ」
「電気料金が安くなります」
「不要な物の買い取りに参りました」
「外壁の塗り替えはいかがですか」
口実は違っても、こちらが頼んだ覚えのない訪問である。暮らしの不安や家計の負担を入り口に、会話をつなぎ、玄関を開けさせようとする。
中には、首から下げた身分証らしきものを、ドアフォンのカメラに懸命に突き出す者もいる。しかし、画面越しに何かを見せられたところで、その人物の身元も、訪問の正当性も確認できるわけではない。証明書を見せる動作と、信用できることとは、別の話である。
筆者は、こうした勧誘に長々と付き合わない。ドアフォン越しに「不要です」と、はっきり断る。それでも粘る相手には、「お断りしました。お帰りください」と告げ、応対を終える。
断るために、こちらの事情を説明する必要はない。留守がちな時間も、家族構成も、そのとき何をしているかも、見知らぬ相手に知らせる筋合いはないのである。
書留など、受領の手続きが必要な配達は別だ。筆者は玄関横の窓へ回ってもらい、上から見下ろす距離で受け取るようにしている。玄関を開けずに済む用件なら、わざわざ開けない。それが、日頃の習慣となっている。
玄関ドアは、家の内と外を隔てる境界である。相手の都合で、その境界を越えさせる必要はない。
水回りの勧誘にも、首をかしげることが多い。
当地の水道は、阿蘇の恵みである地下水(伏流水)に支えられている。そこへ突然やってきて、水が危険だと不安をあおり、何十万円もする浄水設備を勧められても、それだけで工事が必要だとは思えない。
そもそも、設備は取り付ければ終わりではない。維持管理の手間も費用もかかる。必要性を確かめずに導入すれば、安心を買ったつもりが、新たな負担を抱えることにもなる。
水質に疑問があるなら自治体指定水道事業者へ、設備に不具合があるなら実績のある業者へ、自分で連絡して確かめればよい。不安を持ち込んできた相手に、そのまま解決まで委ねることはない。
屋根の点検を持ちかける訪問も同様である。
住宅街の生活道路を、社名の表示もない車が行き来している。数人が乗り込み、家々を訪ねては、瓦の異常を告げるという。もちろん、車や服装だけで相手の素性を決めつけることはできない。しかし、突然訪ねてきた人物の言葉だけで、屋根に上がらせる理由もない。
近所のある高齢者は、声をかけられるままに瓦の調査を頼み、三人ほどを屋根に上がらせたという。結果は「異常なし」。それでも、調査費として一万五千円を支払ったと聞いた。
事前に費用の説明はあったのか。本人は何を依頼し、何に納得して支払ったのか。「異常がなくてよかった」の一言で済ませてよい話ではない。
独り暮らしの人にとって、訪問者との会話が、久しぶりの人との触れ合いになることもあるだろう。だが、会話を楽しんだことと、支払いが妥当であったことは別である。親しく話しかけられたからこそ、断りにくくなる場合もある。
責めるべきは、人を信じた高齢者ではない。その信頼や孤独につけ込んで、不必要な契約や支払いへ誘導する者である。
こうした訪問が相次ぐ中、警察や行政には、地域から寄せられる情報をつなぎ、被害を未然に防ぐ取り組みを強めてほしい。個々の家では一度きりの不審な訪問でも、地域全体で見れば、同じ手口が繰り返されているのかもしれない。
被害が出てから「気を付けてください」と呼びかけるだけでは、その人の暮らしも、失われた安心も元には戻らない。
近隣に暮らす私たちにも、できることはある。不審な訪問の情報を共有する。高齢者が気軽に相談できる関係を保つ。何かあったときに「なぜ信用したのか」と責めず、まず話を聞く。被害を口にできない地域ほど、悪意のある者には都合がよい。
人をだます者が後を絶たず、まっとうに暮らす人が、ドアフォンの音に身構えなければならない。その現実に、この社会の疲弊を感じる。
筆者は今日も、必要なものを玄関横の窓で受け取る。ささやかな自衛である。しかし、一枚のドアを閉めることでしか守れない安心を、当たり前にしてよいはずがない。
閉めるべきは、不審な訪問者に対する玄関であって、助けを求める隣人への心ではない。
※映像は、記事を読んだChatGPTが生成したもの
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▼ChatGPTによる感想
読後に残るのは、不審な訪問への怒りとともに、安心して人を信じられる暮らしを守りたいという思いです。身近なドアフォン対応から、高齢者の孤独、被害を相談できる地域のあり方へと視野が広がっており、生活実感に根差した社会批評として読み応えがあります。
特に印象に残るのは、**「断るために、こちらの事情を説明する必要はない」**という一文です。断ることに後ろめたさを感じ、つい説明してしまう人に、自分の生活を守るための明確な根拠を与えています。短く、読者が自分の日常に持ち帰れる言葉です。
また、一万五千円の調査費という具体的な事例から、支払いへの納得や、親しく話しかけられると断りにくくなる心理へ踏み込む部分には説得力があります。そこで**「責めるべきは、人を信じた高齢者ではない」**と言い切ることで、筆者の怒りが誰に向けられているのかが明確になります。被害に遭う人の尊厳を守ろうとする姿勢が、この文章の芯になっています。
題名の「玄関横の窓」も効いています。具体的な生活の風景として登場し、終盤で再び描かれることで、社会への問いが筆者自身の日常に着地します。そのため、行政や地域への要望も、遠くからの批判には感じられません。
そして、最後の一文には、それまでの議論を受け止める力があります。
閉めるべきは、不審な訪問者に対する玄関であって、助けを求める隣人への心ではない。
自衛の必要性と、他者への信頼を失いたくないという願い。その両方を積み重ねてきた文章だからこそ、この結びが響きます。警戒を促しながら、人への温かさを読者の中に残す。そこに、この随筆のいちばんの魅力を感じます。
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文責:西田親生

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