
筆者が最も恐れているのは、「馴れ」である。
一つの箱に入り、その環境に長く身を置くと、そこが人生で最も居心地の良い場所だと思い込み、視野が狭くなってしまう。その状態こそが、最も危うい。
人は、学校という箱に入り、会社という箱に入り、やがて家庭という箱に落ち着く。そして最後には、人生最後の住処となる箱を見つける。しかし、その箱に安住し過ぎれば、変化を求める心は次第に薄れ、自ら成長を止めてしまう。
筆者は、父の職業柄、二〜三年ごとに転勤を繰り返す家庭で育った。転勤が決まれば、家族全員が官舎へ引っ越し、新しい土地で生活を始める。それが当たり前の日常だった。
父はよく、「転勤も長期旅行と思えば乙なものだ」と口にしていた。しかし、子供だった筆者にとっては、転校とは異国へ放り込まれるような出来事であり、決して気楽なものではなかった。
土地が変われば、言葉も違う。イントネーションも異なる。級友との会話は新鮮ではあるが、その口調から本音なのか冗談なのか判別できず、戸惑うことも少なくなかった。
食文化も大きく異なった。正月のお節料理や雑煮、御神酒、地魚など、どれも郷里とは別世界である。見たこともない魚を前に、恐る恐る箸を伸ばした記憶は今でも鮮明だ。郷土料理が口に合わず、食欲を失ったこともある。
初めて転校したのは、小学校入学の頃だった。環境の変化になじめず、一年生の二学期には、祖父母の住む郷里へ一人戻ることを選んだ。子供ながらに、新しい土地よりも窮屈な郷里を選んだのである。
中学校では再び父の転勤先へ移り、入学式を迎えた。今度は逆に、自分の熊本弁が珍しかったようで、「どこの山から来たの?」と冷やかされたこともあった。
その土地では納豆をあまり食べず、雑煮の具材もまるで違う。正月らしい実感が湧かない一方で、人々の言葉遣いは柔らかく、街全体も穏やかだった。道路を走る車まで、九州の都市部とは違って実にゆったりしていた。その光景を見て、「土地柄とは面白いものだ」と幼心に感じていた。
官舎暮らしでは、多くの荷物を郷里へ残したまま生活していた。まるで釣りに出掛けても、仕掛けが十分に揃っていないような、不自由さが常につきまとっていた。
だからこそ、夏休みや冬休みに郷里へ帰ると、水を得た魚のように遊び回った。遊び道具も友人もすべて揃っている。すると、転勤先の町が小さな箱に見えてくる。
ところが、不思議なことに、転勤を重ねるうちに、今度は郷里までも一つの小さな箱に思えるようになった。
第二の郷里、第三の郷里――。人生経験を重ねるごとに、自分の中にはいくつもの「箱」が積み重なっていったのである。結局、小中高、2校ずつ通ったことになる。
だからこそ、社会人になる際には、可能な限り転勤のない仕事を望み、郷里に近い都市部の新聞社を選んだ。
今振り返れば、それぞれの箱の中には、苦い思い出もあれば、飛び上がるほど嬉しかった出来事も詰まっている。ただ、転校続きだったため、級友との縁は次第に薄れ、今も交流が続く人は多いとは言えない。
それでも、転勤や転校という経験がなければ、地域ごとの歴史や文化、言葉、食文化、人柄の違いを、これほど深く体感することはできなかっただろう。
そして郷里へ戻って就職すると、今度は郷里の良さだけでなく、外へ出たからこそ見えてくる課題や閉鎖性も見えてきた。
つまり、外へ出なければ、郷里の本当の姿は見えてこないのである。
現在、筆者は人生最後の住処と思える場所で暮らしている。住めば都であり、不自由はない。しかし、幼少期から青年期まで絶えず経験してきた「刺激」が、確実に減っていることにも気づく。
筆者は常々、「日々変化、日々進化」を掲げ、ZOOMセミナーや書籍でも繰り返し説いている。しかし、その言葉を発している本人が、「馴れ」に支配され始めてはいないかと、自問することがある。
新聞社時代は、多種多様な人々と日々接し、新しい情報が絶え間なく飛び込んできた。しかし起業後は、会社経営に全力を注ぐ一方で、仕事以外の人との接点は以前より少なくなった。
だからこそ、今改めて思う。
人は、一つの箱に安住し過ぎると、自分では気づかぬうちに感性が鈍り、変化への欲求まで失ってしまう。
最後の箱は、安らぎを与えてくれる場所であっても、思考まで閉じ込める場所であってはならない。
外へ出るからこそ、郷里が見える。異文化に触れるからこそ、自分が見える。そして、新しい箱を知るからこそ、今いる箱の価値も、初めて客観的に理解できるのである。
※ヘッダー画像は、ChatGPTがエッセイを読み生成したもの
----------
▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、転勤や転校を繰り返した半生を振り返る回想録でありながら、その本質は「馴れ」が人間の成長を止める危険性を説いた人間学のエッセイである。
特に印象的なのは、「箱」という比喩で人生を一貫して描いている点である。学校、会社、家庭、そして最後の住処まで、人は常に何らかの「箱」の中で生きている。その箱が安心を与える一方で、長く居続ければ視野を狭め、変化への感性を鈍らせる。その対比が自然な流れで描かれている。
また、幼少期の転勤・転校という体験を、単なる苦労話として終わらせていない点も興味深い。土地ごとの言葉や食文化、人々の気質の違いを経験したからこそ、「外へ出なければ郷里の本当の姿は見えない」という結論へ至っている。その視点には、郷里への愛着だけでなく、客観性が感じられる。
終盤では、筆者自身も「馴れ」に支配され始めているのではないかと静かに自問している。この自己省察があるからこそ、読者は説教を受けているとは感じず、自らの人生を振り返るきっかけを与えられる。
「最後の箱は、安らぎを与えてくれる場所であっても、思考まで閉じ込める場所であってはならない」という一節は、本稿全体を象徴する言葉である。年齢や職業を問わず、多くの人が自分自身の「箱」を思い浮かべながら読み進められるだろう。
人生とは、どれだけ安定した場所を見つけるかではなく、その環境の中でも変化を恐れず、自らを更新し続けられるか。その問いを静かに、しかし力強く投げ掛ける一篇であった。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
https://www.dandl.co.jp/
文責:西田親生

![ロゼッタストーン[異業種交流を軸に、企業の業務合理化及び企業IT戦略サポートいたします]](../img2/rosettastone.png)
















Comments