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夏休みでよかった!

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 昨日、激震が熊本県を襲った。報道を見る限りでは、八代地方の被害も甚大である。特に、駅前の製紙工場や植柳橋(うやなぎばし)の崩壊は、衝撃的な光景であった。

 植柳橋では歩道専用橋が折れ、崩壊していた。幸いにも夏休み期間中であったため、下校途中の子どもたちが橋を渡る時間帯ではなかったと思われる。もし、夏休みでなかったならば、多くの子どもたちが橋梁崩壊に巻き込まれていた可能性も否定できない。そう考えるだけで鳥肌が立つ。

 事件や事故であれば、原因や経緯、結果、さらには動機まで明らかになることが多い。しかし、自然災害はそうはいかない。人災が絡む場合を除けば、発生そのものを正確に予測することは極めて難しく、気象学・地質学的な要因を後から解明できたとしても、発災後に何が起こり、どのような被害へ発展するのかを事前に見通すことはほぼ不可能である。

 現在の報道では、イオンモール熊本のガス爆発事故と被害者情報に多くの時間が割かれている。報道機関として重大事故を優先することは理解できる。しかし、その一方で、激震そのものによる家屋やビルの倒壊、火災、道路や橋梁などインフラ被害の全体像が、まだ十分に伝わってこないことに歯がゆさを感じる。

 十年前の熊本地震を振り返ると、強く記憶に残っているのは、復旧・復興の過程で目の当たりにした人間模様である。

 自衛隊による給水活動では、若い人たちが二十個近いポリ容器を持ち込み、長時間にわたり給水を独占する一方で、高齢者がポリ容器を一つだけ持ち、炎天下で立ち続けている光景を目にした。被災地だからこそ助け合うべき場面で、そのような身勝手な行動を取る人がいたことに愕然とした。

 また、各地で行われていた炊き出しについて、「今日も世界グルメツアーだ」と言いながら、被災者を装って和食や洋食、サンドイッチ、おにぎりなどを食べ歩いている熟年女性たちがいたという話も耳にした。その卑しさに、怒りを覚えたことを今でも忘れない。

 コンビニでは、一人一本(二リットル)に制限されていた飲料水を店員に恫喝し、冷蔵ケースに並んでいたペットボトルをすべて持ち去った人もいたという。災害時になると、人としての節度を失う人が、これほどまでに存在するのかと情けなくなった。

 さらに、復興活動の最中にもかかわらず、「私はこれほど社会貢献しています」と言わんばかりに、FacebookなどのSNSへ活動風景を連日投稿し、現場で騒ぐ様子を誇示する人も少なくなかった。その姿は、支援よりも自己顕示欲が前面に出ているように映り、苦笑せざるを得なかった。

 災害時には、その人の本性が思いのほか鮮明に表れる。平時には取り繕えても、極限状態では、人間性は隠し切れない。

 普段は子どもに厳しい言葉を浴びせ、人格を否定するような叱責を繰り返す親が、自らは災害時に節度を欠いた振る舞いを見せることもある。子どもに道徳を説く以前に、大人自身の姿勢が問われるのである。

 筆者は長年、人間観察を続けてきたが、人を判断する上で重視しているのは「一瞬の言動」である。その瞬間には、「これは言ってはいけない」「これはしてはいけない」と理性が働く余地がほとんどない。だからこそ、咄嗟の言葉や行動には、その人が本来持っている価値観や人格が、そのまま表れやすい。

 大災害は、多くの尊い命や財産を奪う悲劇である。しかし同時に、人間の品格と民度までも浮き彫りにする鏡でもある。その現実を忘れてはならない。

※写真は、2016年4月14日の熊本地震直後に撮影した熊本城北十八間櫓

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、地震災害を扱いながらも、本質的なテーマは「災害が映し出す人間性」にあります。単なる被害報告や体験談ではなく、極限状態において露わになる人間の本質を見つめた、人間学としての視点が貫かれています。

冒頭の「夏休みでよかった!」という一見意外なタイトルは、橋梁崩壊という事実を前に、「もし平日だったら」という最悪の事態を想像させる力があります。読者はその一文だけで、災害が紙一重で大惨事を免れた可能性に気付かされ、本文へ自然に引き込まれます。

印象深いのは、2016年の熊本地震の記憶を、単なる回想ではなく、「人間観察」の実例として織り込んでいる点です。給水の独占、炊き出しを食べ歩く人々、店員への恫喝、SNSでの自己顕示――いずれも派手な出来事ではありませんが、「平時には見えない人格」が災害時に露呈するという論旨を、具体例によって強く裏付けています。そのため、説教臭さを感じさせず、読者自身にも「自分ならどう振る舞うだろうか」という問いを投げ掛けています。

終盤の「一瞬の言動」に人間性が表れるという考察も説得力があります。咄嗟の判断には計算や演技が入り込みにくく、その人の価値観がそのまま現れるという指摘は、災害時だけでなく、日常生活や企業経営、人材育成にも通じる普遍性を持っています。この一節が、本稿全体を単なる災害エッセイから人間学へと昇華させています。

最後の「大災害は、人間の品格と民度までも浮き彫りにする鏡でもある」という結語は、本稿全体を象徴する一文です。自然災害は人間の力では防ぎきれませんが、その後にどのように行動するかは人間自身が選択できます。その意味で、このエッセイは災害を論じているようでありながら、「人はいかに生きるべきか」を静かに問い掛ける作品となっています。

特に心に残ったのは、「夏休みでよかった」という安堵から始まり、最後には「民度」という社会全体の問題へと視点を広げている構成です。個人の感情から社会全体の在り方へと無理なく視野を広げていく流れは自然であり、読後には災害への恐怖だけでなく、自分自身の振る舞いを見つめ直したくなる余韻が残ります。これは、人間観察を長年続けてきた筆者ならではの視点が生み出した、深みのあるエッセイだと感じました。
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文責:西田親生


         

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/29 12:00 am

熱さを忘れる人は、成長を忘れる

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 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」を何度も繰り返す人がいる。この言葉は単なることわざではなく、自らの愚行に対する認識の浅さを表している。反省が浅く、改善への意識も覚悟も伴わない。その結果、同じ失敗を繰り返すという、最悪の循環に陥るのである。

 クレバーな人間は、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことを繰り返さない。失敗を単なる過去の出来事として処理するのではなく、次に生かすための教訓へと転換するからだ。仕事でも人生でも、成長とは失敗を繰り返さないことから始まる。

 言葉は辛辣になるが、「ボンクラ」や「ずんだれ(熊本弁)」と評される人の多くは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」が常態化している。どれほど窮地に追い込まれても、「今回だけは何とかなる」と、その場凌ぎを選び、根本原因と向き合おうとしない。その姿勢こそが、自らの首を絞める最大の要因である。

 捌ける人間と、捌けぬ人間。その境界線は、能力の差ではない。失敗を糧にして行動を改めるか、それとも忘却によって同じ過ちを繰り返すか。その違いに尽きる。

 仕事が思うように進まなければ、悪天候のせいにする。体調不良や病気を理由にすることもある。しかし、それらが一時的な要因であったとしても、結果に対する責任まで消えるわけではない。最終的に問われるのは、困難を想定し、準備し、やり遂げようとする覚悟なのである。

 一端の社会人であれば、「逃げ」は決して信頼を生まない。責任から目を背けた瞬間、その人の資質は厳しく見られるようになる。そして、本人が気づかぬうちに信用は失われ、次の機会まで遠ざかってしまう。

 なぜ、このような人物が生まれるのか。それは、その場凌ぎでも何とか切り抜けられたという成功体験を積み重ねてしまうからである。しかし、その小さな逃避の積み重ねは、やがて人生全体の質を下げる大きな代償となって返ってくる。

 信頼を失うような愚行を繰り返せば、同じ価値観の人しか周囲に集まらなくなる。その環境に安住すれば、自らを高める機会は失われ、人生の質もまた低下していく。

 理想を語れば、世の中は公平であるべきだ。しかし現実社会では、努力や責任感、信頼の積み重ねによって評価が分かれる。それは差別ではなく、日々の行動が積み重なった区別である。だからこそ、信頼を築く人は機会を得て、信頼を失う人は好機を失うのである。

 今回の新刊『HUMANWARE|AI時代を生き抜く人間学』では、ヒューマンウェアの重要性をさまざまな角度から論じた記事を束ねている。セミナーの教材の一つとして出版したが、受講生はそこに描かれた事例を反面教師として受け止め、自らに不足しているものを見つめ直し、一つずつ改善へと結び付けていただきたい。それこそが、一人前の社会人への確かな道筋となる。

 筆者が大切にしている言葉に、「積善之余慶(積善の家には余慶あり)」がある。善き行いは、やがて自分だけでなく周囲にも良い影響を及ぼすという教えである。この言葉の本質を理解し、日々の行動に移せる人こそ、人としても社会人としても、大きく成長していくのではなかろうか。

※ヘッダー写真は、熊本市動植物園のくまモン
※写真下は、熊本県山鹿市の足湯のくまモン
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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざを切り口にしながら、その本質を人間の成長メカニズムへと掘り下げた人間学の一編となっています。

印象的なのは、失敗そのものを問題視するのではなく、「失敗を忘れる姿勢」こそが成長を止める最大の要因であると断じている点です。人は誰しも失敗を犯します。しかし、その経験を教訓へ昇華する人と、その場限りの出来事として風化させる人とでは、数年後、十年後に大きな差が生まれます。その分岐点を「熱さを忘れるか否か」という身近なことわざで表現した点に説得力があります。

また、「能力の差ではない」という一節も、本稿の核となる言葉です。仕事ができる人とそうでない人を分けるのは、生まれ持った才能ではなく、失敗から学び、同じ過ちを繰り返さない姿勢であるという指摘は、多くの読者にとって耳の痛い現実でありながら、同時に希望も与えています。能力はすぐには変えられなくても、姿勢は今日から変えられるからです。

後半では、信頼の蓄積と人生の質との関係へ論が展開されます。「信頼を築く人は機会を得て、信頼を失う人は好機を失う」という結論は、社会経験を積んだ人ほど深く頷く内容でしょう。成功とは偶然訪れるものではなく、日々の責任感や誠実さの積み重ねが呼び寄せるものであることを、簡潔ながら力強く伝えています。

締めくくりに置かれた「積善之余慶」は、本稿全体を引き締める役割を果たしています。単に失敗を戒めるだけではなく、善き行いを積み重ねることが自らの人生を豊かにし、周囲にも好循環をもたらすという前向きな視点で結ばれているため、読後感は厳しさよりも「明日から自分はどう行動すべきか」を考えさせる余韻が残ります。

全体を通して、本稿は失敗論ではなく、信頼は一日で築けず、一度の油断で失われる。そして、その信頼を支えるのは、失敗を忘れず改善し続ける姿勢であるという、人間学の本質を真正面から描いたエッセイであると感じました。読者に警鐘を鳴らすだけでなく、自らを見つめ直す機会を与える、教育的価値の高い作品に仕上がっています。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/28 12:00 am

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