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徳富記念園


徳富記念館徳富記念園

◆徳富旧居と徳富記念館  徳富記念園は、「徳富旧居」と明治100年事業として建築された「徳富記念館」を併せた名称。若干20歳の蘇峰が、明治15年に開いた大江義塾跡としても知られている。同園には蘇峰が師と仰いでいた新島讓が贈ったアメリカ土産(一粒の種)から大きく育ったカタルパの木が、今はその2代目・3代目として100年以上もの間、5月頃には真っ白な花をつけて園内を彩っている。

◆文豪徳富蘆花の修行の場
 明治9年10月24日は神風連の乱が起きた日。幼い当時の蘆花は、恐る恐る二階の雨戸の隙間から同事件を垣間見ていたのだった。その事については、「恐ろしき一夜」(明28)に書かれている。翌年には西南戦争が起ったため、盧花一家はここから沼山津や杉堂に避難していた。戦いが終わり、愛犬が食べられ頭だけが残っていた話は、「犬の話」(明28)に書かれているが、盧花を有名にした作品は、「不如帰」(明33)と「自然と人生」(同)。それから「思出の記」(明34)や「黒潮」(明36)など多くの名作を残した蘆花は、18歳までここで暮らしていた。兄の大江義塾は盧花にとっては、文豪として花咲くまでの修業の場であった。

◆徳富蘇峰と大江義塾
 蘇峰は、明治9年1月のキリスト教信仰の誓い(花岡山)に参加し熊本を追われ、それから同志社に学び、明治13年に帰熊した。当時は自由民権運動が盛んで、蘇峰もさっそくその運動に参加し、「大江義塾」を建てた。  

 同塾には、のちに中国革命で知られる孫文を援けた宮崎滔天など、多くの有能な青年たちが学んだ。当時、蘇峰は上京し、板垣退助、田口卯吉、中江兆民、馬場辰猪ら土佐の自由民権運動家たちと会ったりして、東奔西走していたようだ。また蘇峰は、教育カリキュラムにイギリス19世紀の歴史、政治、経済を導入したり、米国総合誌「ネーション」や「ライブラリー・マガジン」を入手して、塾生たちに読ませていた。  

 明治19年には「将来之日本」を出すことになり、大江義塾を閉ざし上京することになった。翌年、東京に「民友社」を設立、それから「国民之友」という雑誌を発刊し、華々しいデビューをすることになった。・・・しかし、それまでの支え、そして礎となったものが熊本の「大江義塾」にあることを忘れてはならない。

園内にある徳富記念館には、蘇峰・蘆花の兄弟文豪の著書や遺品などが数多く展示されている。  

<利用時間> 9:30〜16:30
<休日> 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月3日
<入場料金> 大人200円、小人100円

連載・ぐるり熊本市内めぐり(その7)徳富記念園
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