
OpenAIがSoraのWebおよびアプリ版を終了したことは、生成AIの動画領域におけるひとつの大きな区切りである。ただし、筆者としては、OpenAIが別の立ち位置から、意表を突くような新たな開発を発表するのではないかという期待も残している。
Soraが発表された当初、動画生成の世界は「text to movie」によって一気に塗り替えられるかに見えた。しかし、動画生成は、text to textやtext to imageとは性質が大きく異なる。映像構成、時間軸、物理表現、著作権、肖像権、フェイク対策など、越えるべき課題が複雑に絡み合っているからである。
生成AIには、仕事に直結するものもあれば、趣味の領域でユーザーを楽しませるものもある。特に動画生成AIはSNSとの相性がよく、短時間で人の目を引く。しかし、その即効性が、そのままビジネス価値に直結するとは限らない。ユーザーの関心は猫の目のように変わり、昨日の驚きは、今日にはもう古びてしまう。
筆者は、もともとChatGPTを主軸に、生成AIとクロスメディアの可能性を探究してきた。Soraを含め、いくつかの動画生成AIも実験したが、現在は自分の業務に最も相性のよいChatGPT有料版を中心に据えている。動画生成については、現時点ではいったん横に置く判断をした。
生成AIが本格的に社会へ浸透し始めてから、まだ数年しか経っていない。にもかかわらず、そのうねりは、かつての産業革命やインターネット黎明期を思わせる勢いで、エンドユーザーの心を掴んでいる。問題は、生成AIを「面白い道具」として消費するのか、「仕事を変える道具」として使いこなすのかである。
趣味として楽しむ人もいれば、業務効率化へつなげたい経営者もいる。さらに、大企業や中堅企業では、AIエージェントの導入まで視野に入っている。これから問われるのは、生成AIを使ったかどうかではない。何を改善し、何を生み出し、どれほど継続可能な価値へ結びつけたかである。
SNSは、即効性と流動性に支配された情報空間である。そこに生成AIが入り込めば、面白おかしいフェイク動画や静止画が増えるのは避けられない。一発勝負でインフルエンサーを狙う人もいれば、心癒される映像を共有する人もいる。だが、筆者が求めているのは、一過性の反応ではなく、仕事や表現に耐え得る品質である。
Soraには当初、大きな期待を寄せていた。実験的に作った動画も、思いのほか多かった。しかし、SoraのWebおよびアプリ版が終了した今、YouTubeやその他のプラットフォームへ投稿していた動画の多くを削除することにした。
ビジネスの視点で考えれば、五秒、十秒の動画だけでは不十分である。しかも、初期に生成した動画は、現在主流になりつつある動画生成AIの水準と比べると、精度、安定性、表現力の面で物足りなさが残る。生成AIの世界では、過去の実験成果でさえ、あっという間に時代遅れになる。
生成AIの進化は、日進月歩どころではない。秒進分歩、いや、光進音歩と言いたくなるほどの速さである。これこそ、二十一世紀における世界規模の産業革命なのだろう。
この流れにロボット技術が直結すれば、私たちは改めて、アナログ人間の存在価値を問われることになる。だからこそ必要なのは、生成AIに振り回されることではない。人間にしか持ち得ない感性、経験、判断力、倫理観を磨きながら、生成AIを操る側へ立つことである。
動画を削除したのは、後退ではない。自分の仕事に必要な道具を見極め、不要になった実験の痕跡を整理しただけである。生成AI時代に求められるのは、流行を追いかける脚力ではなく、使うべき道具を選び抜く眼力である。
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▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、生成AIブームの中で極めて重要な「選別する知性」を扱っている。単にSoraの動画を削除したという個人的行動を起点にしながら、最終的には「人間はAIをどう使い、何を残し、何を捨てるべきか」という大きな問いへ接続している点がよい。
特に強いのは、「面白い道具」と「仕事を変える道具」の対比である。生成AIに触れる人の多くは、まず驚きや娯楽性に引き寄せられる。しかし、筆者はそこで止まらず、業務、品質、継続可能な価値という実務者の視点へ引き戻している。この視点があるため、記事全体が単なるAI雑感ではなく、経営者やクリエイターへの警鐘として読める。
Soraに対する書き方も冷静である。期待した、試した、しかし現時点では横に置いた。この順序があるため、否定ではなく検証後の判断として説得力が出ている。技術を知らずに批判する文章ではなく、実際に触れた人間の整理である点が読み手に伝わる。
また、「昨日の驚きは、今日にはもう古びてしまう」という一文は、生成AI時代の速度感を的確に表している。動画生成AIの世界では、数カ月前の成果物でさえ急速に陳腐化する。だからこそ、過去の実験動画を削除する行為が、単なる整理ではなく、自分の表現品質を守る行動として意味を持つ。
後半の「アナログ人間の存在価値」への展開もよい。AI論を技術論だけで終わらせず、人間学へ接続している。感性、経験、判断力、倫理観という四つの要素は、生成AI時代に人間側が磨くべき核心である。ここに筆者らしい思想性がある。
最も強い一文は、結語の「生成AI時代に求められるのは、流行を追いかける脚力ではなく、使うべき道具を選び抜く眼力である。」である。タイトルと完全に呼応しており、記事全体を一気に締めている。これはnoteの締めとしても非常に強い。
改善余地があるとすれば、「産業革命」「世界規模の産業革命」という大きな比喩は、読者によってはやや強く感じる可能性がある。ただし、筆者のICT黎明期からの経験を前提にすれば、十分に許容される表現である。むしろ、実体験を持つ筆者だからこそ使える言葉でもある。
総評として、本稿は生成AI時代の「撤退の美学」を描いたエッセイである。新しいものに飛びつくことだけが進化ではない。試し、見極め、捨て、残す。その判断力こそが、これからの生成AI活用における本当の実力である。この記事は、AI初心者よりも、すでに複数の生成AIを触り、少し疲れ始めた読者に深く刺さる。経営者、教育者、クリエイター向けの教材としても十分に使える内容である。
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文責:西田親生

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