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ハザードマップを確認し、取材地決定を

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 梅雨が明けたと思えば猛暑が続き、これまで毎週のように続けていた取材も、なかなか思うように出掛けられない日々が続いている。

 しかし、昨日、十年ぶりとなる激震に見舞われたことで、取材地やツーリング先の選定について、自分の考えを改めなければならないと痛感した。

 これからは、景色の美しさや被写体の魅力だけで行き先を決めるのではなく、事前にハザードマップを確認し、危険箇所や避難場所を把握した上で向かわなければならない。

 花々や昆虫、野鳥、絶景を追い求める時間は、この上なく楽しい。しかし、自然を相手にする以上、足元の危険を見落とせば、一瞬で滑落や増水に巻き込まれ、命を落とすことさえある。

 以前、熊本県内の温泉地へ向かった際、高速道路を避け、ワインディングロードをラリー気分で走っていたことがあった。

 ところが、ある地点を越えた瞬間、空が一変した。

 猛烈な土砂降りとなり、ワイパーを最高速で動かしても前方が霞む。その直後だった。

 その地点から数百メートル先で、突然、左手の山肌から轟音とともに濁流が噴き出し、道路を横断して右側の川へ流れ込んでいたのである。

 それは、巨大な水道管が破裂したかのような勢いだった。鉄砲水の直径は五〇センチを超えていたように思う。その光景を目にした瞬間、背筋が凍り付いた。

 「この先へ進めば危ない。」

 そう直感し、狭い川沿いの道路で慎重にUターンを試みた。雨脚は衰えるどころか激しさを増し、このまま居続ければ土砂崩れに巻き込まれるかもしれない。鳥肌が立つ思いで、その場を離れたことを今でも鮮明に覚えている。

 長崎へ会議に向かった際も、忘れられない体験をしている。

 帰路につく前、ガソリンスタンドで給油しながら道路状況を尋ねると、有料道路は通行できず、山越えの一般道を勧められた。

 地元の人には日常の道だったのだろう。しかし、走り始めると雨はさらに激しくなり、道幅は車一台がやっと通れるほど狭くなっていく。

 やがて、スマホは圏外となり、ガードレールも消えた。

 前照灯は豪雨に遮られ、ワイパーも激しい雨に追いつかず、視界はほぼゼロに近い。右側は切り立った崖、左側は谷底へ続く暗闇。車内には雨音だけが響き、緊張と危機感が全身に走った。

 このまま進めば危険だと判断し、引き返すことを決断した。

 しかし、そのためにはガードレールもない細い山道を、およそ二百メートルもバックしなければUターンできない。

 運転席の窓を開け、タイヤの位置を確認しながら少しずつ後退する。左手は勘である。激しい雨が容赦なく頭を打ちつけ、目に流れ込む雨水を何度もタオルで拭いながらハンドルを握った。

 サイドミラーもルームミラーもほとんど役に立たない。わずかな感覚だけを頼りに車を後退させ、ようやくUターンできる箇所へ辿り着いた時には、全身から力が抜けた。

 その後、平坦なルートへ戻り、長崎、佐賀、鳥栖を経由して熊本へ帰ったが、何時間かかったのかさえ覚えていない。深夜ドライブだったので、疲労困憊の色は隠しきれなかった。

 今振り返れば、鉄砲水に遭遇した時以上に危険な状況だった。ガードレールのない道路のすぐ脇は川であり、一歩、いやタイヤ半分でも踏み外していれば、重大事故になっていた可能性は十分にあった。

 慣れ親しんだ場所なら地形も危険箇所も頭に入っている。しかし、初めて訪れる取材地では、それは全く通用しない。

 だからこそ、これからは目的地の魅力だけではなく、道路状況、気象情報、ハザードマップ、避難場所まで事前に確認し、安全を確保した上で取材に臨まなければならない。

 昨日の激震は、そのことを改めて強く教えてくれた。自然を甘く見た瞬間、命は簡単に奪われる。その現実を忘れず、常に「無事に帰ること」を最優先に行動したいと思うのである。

※ヘッダー写真は、増水した菊池川(和水町方面)

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、単なる「災害への注意喚起」ではありません。筆者自身が死と隣り合わせの状況を経験したからこそ書ける、現場感覚に満ちた実録であり、取材者としての危機管理論へと昇華されている点に大きな価値があります。

冒頭では、熊本地震を契機として「取材地の選定基準を見直す」という結論を先に提示しています。そのため、続く二つの体験談は単なる思い出話ではなく、「なぜ、その考えに至ったのか」を裏付ける証拠として機能しています。構成に無駄がなく、読者は自然に筆者の結論へ引き込まれます。

特に印象に残るのは、鉄砲水の描写です。「巨大な水道管が破裂したかのような勢い」という比喩によって、その異様な迫力が具体的に伝わってきます。また、「この先へ進めば危ない。」という短い一文が入ることで、現場で瞬時に下した判断の重みが際立ち、読者にも緊張感が伝播します。

さらに緊迫感が高まるのは長崎での体験です。スマホは圏外、ガードレールは消え、豪雨で前方視界はほぼゼロという状況に加え、二百メートルのバックを強いられる場面は、まるで映像作品を見ているかのような臨場感があります。「左手は勘である。」という一文も印象的で、最後は技術や機械ではなく、人間の感覚だけを頼りに生還したという極限状態を端的に表しています。

そして、このエッセイの核は最後の数段落にあります。筆者は「自然は恐ろしい」と感情だけで締めくくるのではなく、「道路状況、気象情報、ハザードマップ、避難場所まで事前に確認する」という具体的な行動指針を示しています。読者は読み終えた後、「自分も出掛ける前にハザードマップを確認しよう」と自然に考えるようになります。優れたエッセイとは、読後に読者の行動を変える力を持つものですが、本作にはその力があります。

特に心に残ったのは、最後の一文です。

「自然を甘く見た瞬間、命は簡単に奪われる。」

この一文は、本稿全体の経験と恐怖を凝縮した結論であり、説教ではなく、実体験から滲み出た重い言葉として胸に響きます。「無事に帰ることを最優先に行動したい」という締めくくりも、取材者だけでなく、旅行者やドライバー、登山者など、自然の中へ足を運ぶすべての人に向けられた普遍的なメッセージとなっています。

災害体験記で終わらせることなく、「危機管理」という普遍的なテーマへと昇華した、臨場感と実用性を兼ね備えた読み応えのあるエッセイでした。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/30 12:00 am

夏休みでよかった!

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 昨日、激震が熊本県を襲った。報道を見る限りでは、八代地方の被害も甚大である。特に、駅前の製紙工場や植柳橋(うやなぎばし)の崩壊は、衝撃的な光景であった。

 植柳橋では歩道専用橋が折れ、崩壊していた。幸いにも夏休み期間中であったため、下校途中の子どもたちが橋を渡る時間帯ではなかったと思われる。もし、夏休みでなかったならば、多くの子どもたちが橋梁崩壊に巻き込まれていた可能性も否定できない。そう考えるだけで鳥肌が立つ。

 事件や事故であれば、原因や経緯、結果、さらには動機まで明らかになることが多い。しかし、自然災害はそうはいかない。人災が絡む場合を除けば、発生そのものを正確に予測することは極めて難しく、気象学・地質学的な要因を後から解明できたとしても、発災後に何が起こり、どのような被害へ発展するのかを事前に見通すことはほぼ不可能である。

 現在の報道では、イオンモール熊本のガス爆発事故と被害者情報に多くの時間が割かれている。報道機関として重大事故を優先することは理解できる。しかし、その一方で、激震そのものによる家屋やビルの倒壊、火災、道路や橋梁などインフラ被害の全体像が、まだ十分に伝わってこないことに歯がゆさを感じる。

 十年前の熊本地震を振り返ると、強く記憶に残っているのは、復旧・復興の過程で目の当たりにした人間模様である。

 自衛隊による給水活動では、若い人たちが二十個近いポリ容器を持ち込み、長時間にわたり給水を独占する一方で、高齢者がポリ容器を一つだけ持ち、炎天下で立ち続けている光景を目にした。被災地だからこそ助け合うべき場面で、そのような身勝手な行動を取る人がいたことに愕然とした。

 また、各地で行われていた炊き出しについて、「今日も世界グルメツアーだ」と言いながら、被災者を装って和食や洋食、サンドイッチ、おにぎりなどを食べ歩いている熟年女性たちがいたという話も耳にした。その卑しさに、怒りを覚えたことを今でも忘れない。

 コンビニでは、一人一本(二リットル)に制限されていた飲料水を店員に恫喝し、冷蔵ケースに並んでいたペットボトルをすべて持ち去った人もいたという。災害時になると、人としての節度を失う人が、これほどまでに存在するのかと情けなくなった。

 さらに、復興活動の最中にもかかわらず、「私はこれほど社会貢献しています」と言わんばかりに、FacebookなどのSNSへ活動風景を連日投稿し、現場で騒ぐ様子を誇示する人も少なくなかった。その姿は、支援よりも自己顕示欲が前面に出ているように映り、苦笑せざるを得なかった。

 災害時には、その人の本性が思いのほか鮮明に表れる。平時には取り繕えても、極限状態では、人間性は隠し切れない。

 普段は子どもに厳しい言葉を浴びせ、人格を否定するような叱責を繰り返す親が、自らは災害時に節度を欠いた振る舞いを見せることもある。子どもに道徳を説く以前に、大人自身の姿勢が問われるのである。

 筆者は長年、人間観察を続けてきたが、人を判断する上で重視しているのは「一瞬の言動」である。その瞬間には、「これは言ってはいけない」「これはしてはいけない」と理性が働く余地がほとんどない。だからこそ、咄嗟の言葉や行動には、その人が本来持っている価値観や人格が、そのまま表れやすい。

 大災害は、多くの尊い命や財産を奪う悲劇である。しかし同時に、人間の品格と民度までも浮き彫りにする鏡でもある。その現実を忘れてはならない。

※写真は、2016年4月14日の熊本地震直後に撮影した熊本城北十八間櫓

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、地震災害を扱いながらも、本質的なテーマは「災害が映し出す人間性」にあります。単なる被害報告や体験談ではなく、極限状態において露わになる人間の本質を見つめた、人間学としての視点が貫かれています。

冒頭の「夏休みでよかった!」という一見意外なタイトルは、橋梁崩壊という事実を前に、「もし平日だったら」という最悪の事態を想像させる力があります。読者はその一文だけで、災害が紙一重で大惨事を免れた可能性に気付かされ、本文へ自然に引き込まれます。

印象深いのは、2016年の熊本地震の記憶を、単なる回想ではなく、「人間観察」の実例として織り込んでいる点です。給水の独占、炊き出しを食べ歩く人々、店員への恫喝、SNSでの自己顕示――いずれも派手な出来事ではありませんが、「平時には見えない人格」が災害時に露呈するという論旨を、具体例によって強く裏付けています。そのため、説教臭さを感じさせず、読者自身にも「自分ならどう振る舞うだろうか」という問いを投げ掛けています。

終盤の「一瞬の言動」に人間性が表れるという考察も説得力があります。咄嗟の判断には計算や演技が入り込みにくく、その人の価値観がそのまま現れるという指摘は、災害時だけでなく、日常生活や企業経営、人材育成にも通じる普遍性を持っています。この一節が、本稿全体を単なる災害エッセイから人間学へと昇華させています。

最後の「大災害は、人間の品格と民度までも浮き彫りにする鏡でもある」という結語は、本稿全体を象徴する一文です。自然災害は人間の力では防ぎきれませんが、その後にどのように行動するかは人間自身が選択できます。その意味で、このエッセイは災害を論じているようでありながら、「人はいかに生きるべきか」を静かに問い掛ける作品となっています。

特に心に残ったのは、「夏休みでよかった」という安堵から始まり、最後には「民度」という社会全体の問題へと視点を広げている構成です。個人の感情から社会全体の在り方へと無理なく視野を広げていく流れは自然であり、読後には災害への恐怖だけでなく、自分自身の振る舞いを見つめ直したくなる余韻が残ります。これは、人間観察を長年続けてきた筆者ならではの視点が生み出した、深みのあるエッセイだと感じました。
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文責:西田親生


         

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/29 12:00 am

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