
熟年となり、同級生や周囲の人たちと比較して、自信を失うばかりの人がいる。
周囲の人たちが、自分の自信を奪っているのだろうか。そうではない。他人との比較によって、これまで目を向けずにいた自分の不足が、見えてきたのである。
そこで必要なのは、自分自身を厳しい目で捉え、外の世界に目を向け、知的水準を高める努力だ。しかし、その一歩を踏み出さず、自分がこうなった理由ばかりを語る人がいる。
幼い頃に十分な躾を受けなかったから。学ぶ機会に恵まれなかったから。職場環境がひどく、それに感化されたから。言い訳は一人前である。
確かに、生育環境や教育環境が、その人の考え方や生き方に与える影響は大きい。本人の力では、どうにもならなかった事情もあろう。しかし、過去の事情を何度語っても、今の自分に足りないものが、それだけで補われるわけではない。
「自分には学がない」「この程度の人間だから」と、自己評価の低さを繰り返し口にする。それで自分を説明したつもりになっても、現状打開にはつながらない。むしろ、その言葉が、努力をしなくて済む理由になってはいないか。
小さな気づきがあっても、行動に移さない。昨日と同じ今日を重ねながら、自分への失望だけを積み上げていく。それでは、何年経っても、自信だけが確実に失われていくのである。
熟年になって自らの立ち位置を知り、周囲との隔たりを身にしみて感じる。ところが、そこで諦めてしまう人も少なくない。
「この程度でも何とか生きてこられたし、仕事もしている。自分の人生なのだから、まあいいか!」
そう言って、済ませてしまうのだ。
特に、一人暮らしなどで身近に指摘してくれる人がいなければ、自分の考え方や習慣を見直す機会も少なくなりがちだ。日々の生活が成り立っている限り、努力のない時間を惰性で過ごしても、何の支障もないと思い込んでしまう。
この「支障がないから、変わらなくてよい」という人生観が危うい。
今の暮らしが成り立っていることと、自分自身に納得して生きていることは、全く異なる。他人と比べるたびに心が揺らぐのであれば、「まあいいか」の一言では片づいていないのである。
人生における手抜きの方向へ進むのは、実に楽だ。しかし、知的水準を高め、自分の考え方や習慣を見直すのは、容易なことではない。
自分に足りないものを書き出してみれば、思いのほか多いことに気づくだろう。一つの不足を見つけると、それにつながる別の不足も見えてくる。どこから手をつければよいのか、途方に暮れることもあるはずだ。
幼い頃から学びの基礎を身につけ、その都度、自分を省みて軌道修正してきた人は、問題が積み重なる前に対処する習慣を持っている。だが、その習慣を持たないまま年月を重ねれば、長年の思い込みまで含めて、見直さなければならなくなる。
いつだったか、努力に踏み出せず、現状に押し潰されそうになっている人に、筆者から見て足りないと思われるものを列記し、提示したことがあった。
書き始めると、次々に出てくる。箇条書きにしても、容易には書き尽くせないほどだった。しかし、それでも、その人が見直すべきことの全てを、筆者が把握できたわけではない。
熟年ともなれば、長年かけてつくり上げた「自分スタンダード」の歪みを見つけ、直すのは大変な作業である。ドラム缶いっぱいに詰められた、ひまわりの種やカボチャの種の中から、一部が傷んだものを一粒ずつ探し出すようなものだ。表面を眺めただけでは、奥に埋もれたものまでは見えてこない。
目の前のノートに列記された不足だけを補えば、それで済むわけではない。一つの指摘を手がかりに、それが日々の言動や判断とどうつながっているのかを、自分で考える必要がある。
歴史書の内容を記憶したり、数学の方程式を解いたりする学びにも苦労はある。しかし、自分自身を見直す作業には、あらかじめ問題も正解も用意されていない。何が足りず、それを補うために何を学び、何を改めればよいのか。その問いから、自分で探さなければならないのである。
これまで見ようとしなかったものを見つめ、気づかなかった癖を知り、当たり前だと思っていた判断を疑う。一朝一夕に答えが出るはずもない。だから、時間がかかる。だから、覚悟が要る。もちろん、正解は一つではない。
ただし、全ての不足を一度に解消しなければ、前へ進めないということではない。
指摘されたことを一つ確かめる。分からないことを一つ調べる。学んだことを、今日の行動に一つ反映させる。その小さな実行があって初めて、「自分にも変えられるものがある」という実感が生まれる。
自信を取り戻してから努力しようと思っていては、いつまでも動けない。努力を重ね、自分との約束を一つずつ果たしていく。その積み重ねが、自分を信じる根拠になるのである。
過ぎた年月は取り戻せない。しかし、今日も昨日と同じ言い訳で終えるかどうかは、今の自分が決められる。
自信を失いつつある熟年諸君。さあ、今日は何から始める?
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▼Geminiによる感想
西田親生氏のnote記事「努力しない人は、どんどん自信を失う」について、以下に詳しく感想を述べます。
1. 全体を通した印象と核心をつく視点
この記事は、熟年期を迎えた人が直面しがちな「自信の喪失」というデリケートなテーマに対し、耳に痛いものの本質を突いた鋭いメッセージが込められています。
多くの人は自信を失うと、「周囲の環境が悪い」「過去に恵まれなかった」といった外部要因や過去の事情に原因を求めがちです。しかし、筆者はそれを「言い訳」とバッサリと切り捨てます。他人との比較によって自分の不足に気づいたのであれば、必要なのは過去の嘆きではなく、「今の自分を見つめ直し、知的水準を高める努力」であるという主張は非常に説得力があります。
2. 「まあいいか」という惰性と危うさ
特に印象的なのは、現状維持の心地よさに浸ってしまう心理への警鐘です。
「この程度でも何とか生きてこられたし、仕事もしている」
「自分の人生なのだから、まあいいか!」
日々の生活に大きな支障がないと、こうした妥協を正当化しやすくなります。しかし筆者が指摘するように、「暮らしが成り立っていること」と「自分自身に納得して生きていること」は全く別物です。この違いに目を背け、「まあいいか」で済ませ続けていると、心の奥にある違和感や揺らぎは消えないまま、気づかぬうちに「自信」という土台が静かに削り取られていくのだと感じさせられます。
3. 自己点検の難しさと「自分スタンダード」の歪み
自分自身を見つめ直す作業を、「ドラム缶いっぱいの種の中から、一部が傷んだものを一粒ずつ探し出すようなもの」と表現している比喩が非常に秀逸です。
長年かけて作り上げた「自分スタンダード」(思い込みや癖、判断基準)の歪みを自分で正すことは、想像以上に骨が折れる作業です。あらかじめ正解が用意されている学校の勉強とは異なり、自分のどこが足りず、どう改めるべきかをゼロから探すには、膨大な時間と覚悟が要ります。だからこそ、多くの人が途中で諦めてしまうという現実がリアルに描写されています。
4. 解決へのアプローチ:「小さな実行」の価値
この記事の最も救いがあり、前向きなメッセージは結びの部分にあります。 すべての不足を一度に解消する必要はなく、以下のような小さなステップの積み重ねこそが大切だという点です。
指摘されたことを一つ確かめる。
分からないことを一つ調べる。
学んだことを、今日の行動に一つ反映させる。
「自信を取り戻してから努力する」のではなく、「努力を重ね、自分との約束を果たすからこそ、自分を信じる根拠が生まれる」という順序は、自己啓発としても非常に本質的です。過ぎた年月は取り戻せませんが、「今日をどう過ごすかは今の自分が決められる」という最後の一言は、停滞している人の背中を静かに、そして力強く押してくれる響きを持っています。
まとめ
総じて本書(記事)は、耳に心地よい言葉で慰めてくれる安易なエッセイではなく、「自分の人生に責任を持ち、もう一度自らの足で立ち上がろうとする大人」に向けた骨太なメッセージだと感じました。現状に漫然とした不安や不足感を抱えている人にとって、自らの生活や習慣を省みる素晴らしいきっかけになる一編です。
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文責:西田親生

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