■茶臼山全体を要塞化した名城・熊本城
現在の熊本城(写真左は宇土櫓)は、加藤清正が築いたもので、茶臼山全体を要塞化した城である。しかしその堅固な名城も、明治10年に西南戦争勃発の折、残念ながら焼失してしまった。(石垣、櫓の一部はそのままの状態で、当時の全景写真も残されている。)
◆大天守・小天守
大天守は三層六階地下一階、高さが32m。それぞれの階には、鉄砲方詰所や具足方詰所などがあり、極めて実戦的に優れた造りとなっている。有事の際に大天守閣1階根太石垣の張り出し箇所から、石垣を這い上がる敵に対して石を落とす仕掛けなども、実践的な名城としての特徴の一つに挙げられる。
◆石垣
熊本城の石垣は八合目あたりからは反り返ってほとんど90度となっており、通称「武者返し」と呼ばれている。それは敵が登ろうとも、簡単には登れない急勾配の仕組み。
◆櫓
熊本城築城当時の櫓は大小天守を含めて49もある大要塞。櫓は、武器、武具などの倉庫を兼ねるものでもあり、また、有事には兵士の駐屯地に利用する目的もあった。それら櫓のほとんどは、明治10年に勃発した西南戦争で消失しており、現在残っているものは、宇土櫓、監物櫓(長岡図書預櫓)、平櫓、五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓。(国の重要文化財)
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