太平記に登場するヒーローたちが、夢と野望を抱いて駆け抜けた西播磨の地。
その中心にあって播磨国のすべてが集まる要衝として栄えていたのがここ、姫路でした。
姫路城は市の中心部の北寄りに位置し、標高45.6mの姫山を中心に建てられています。
最初にここに城が築かれたのはいつだったのか、正確な記述は存在しませんが、現在の優雅で壮大な姿は、慶長6年(1601年)に池田輝政がおこなった10年にわたる大改築によって生まれたとされています。
姫路駅から大手前通りを北へ約900m進むと、広大な堀によっていとも簡単に行く手を遮られてしまいます。
橋を渡って大手門をくぐり三の丸広場に出ると、目の前には前景をすべて排除した天守閣から左手に翼のように伸びる西の丸までが見渡せます。その姿はまさに威風堂々。
総漆喰塗りで白鷺にも例えられる優雅な城に、なぜこれほどまでの威厳を感じるのか・・・・
その理由は、ここから城の内部へと進んで行くうちに誰もが実感していくことになります。
三の丸広場を進んで行くと、左右から高い石垣が迫ってきて、奥まったところにある菱の門から城内へ入って行きます。
ここから天守閣へ向かうルートのどこにいても、上から鉄砲で狙われる状態が続きます。
近寄ったり離れたり・・・・迷路のような道のりを何とか登り切ると、天守閣をぐるっと1周回り込む形でいよいよ内部へ!
昔のままの姿ですので、当然ですがエレベーターなどありません。
急角度の階段を這うようにして、五層七階の天守閣の最上階を目指します。
天守閣の内部は、至る所に鉄砲や槍などの武具を掛けておくためのフックのようなものがあったり、籠城に備えて水の処理ができる設備やトイレまで完備していたりと、戦いの中で必要な城としての機能をしっかりと備えた実戦本位の造りとなっています。
城の役目が軍事拠点から行政府へと移行して行く時期にあって、幕末までこれだけの体勢を維持していたのは、この姫路という土地が西国への睨みとして、とても重要な位置にあったからです。
もちろん、この姫路城も白鷺に例えられるような優雅な一面も持っています。
元和3年(1617年)、池田氏に代わって姫路城が新たに迎えた城主は桑名から来た本多忠政でした。
忠政は、嫡男の忠刻に嫁いできた千姫のために西の丸を整備。百間廊下と呼ばれる長い渡櫓の北詰に化粧櫓を配し、そこに千姫を住まわせました。
ここからは天守閣がとても優しく優雅な姿に見えるだけでなく、優美な庭園も造られるなど女性的な風景を創り出しています。
この姫路城は、平成21年度から天守閣の大規模修理が行われます。
工事期間中はおおきな素屋根で天守閣がスッポリと覆われてしまいますが、一般見公開も行なう予定になっていて、天守閣上層部を外から見るというこの時ならではの体験もできそうです。 |