公式HPより下記引用白峯神宮は「まり」の守護神として「精大明神」が祀られています。「精大明神」は蹴鞠・和歌の宗家である公卿・飛鳥井家が代々守護神として邸内にお祀りしてきたもので、当神宮がその祭祀を受け継いでおります。 そのために、現今では「まりの神様」として崇敬され、日本サッカー協会からはワールドカップに使用された公式ボールも奉納され、全国から御神徳を仰ぐ人々が急増して参拝者で賑わっています。「まり」を扱う球技一般、ことに野球・バスケット・バレー・ラグビー・ゲートボール、果てはゴルフ・ビリヤードに至るまでも、その御神徳を戴こうとして参拝されています。
ここからまた、公式HP引用です^^;白峯神宮では、毎年七月七日午後四時三〇分からの「七夕祭」に、地元の少女たちによって「小町をどり」が奉納されます。 この踊りは、元来、奈良時代、宮中の行事として始まった陰暦七月七日夜の乞功奠(きこうでん・巧みになることを乞祈る祭り)の際、供え物として公卿等が詠んだ「和 歌」を届ける時に、文使い(ふみづかい)のお供をしていた娘たちが、その道中で歌い舞った踊りが起源とされています。 その後、これが民間で七夕の風習になり、特に女子が手芸と芸事の巧みなることを願う祭事として定着し、元禄の頃になりますと西陣界隈の乙女たちを熱狂させまして、あでやかな西陣織の着物を着飾って町々を歌をうたい、踊り歩いたのが始まりであるとされています。 衣装は、紫のハチマキに桔梗の銀かんざし、緋の襦袢を片袖ぬぎにして、金襴のたすきと帯、赤いしごき、青を基調にした着物は、緋とのコントラストがひときわあでやかさをまします。その着つけも、元禄の優雅さがしのばれ、一層乙女たちの可憐さを強調します。 左手に小太鼓をもち、右手のバチをかざしてシナをつくり、広場中央の七夕飾りの大笹の元、牽牛・織女の周りを回りながら、歌に合わせて打ち鳴らすトントンとかわいた小太鼓の音が、静かな境内に響きます。 明治の遷都以後、この行事は途絶えておりましたが、これを惜しんだ地元の人々が、時代風俗の考証を吉川観方、作曲・振り付けを茂山千五郎氏の協力を得て、昭和三十七年の七夕祭に復活させたものです。以後、今日まで、夏の風物詩として、当神宮ゆかりの「けまり(蹴鞠)」と共に広く親しまれています。 また、「七夕」に当神宮に奉納されるのは、神宮の境内に地主神として尊崇されている地主社の御祭神(精大明神)が和歌・けまり上達の守護神、また七夕の神とも伝承されていることによります。
という事で(どんな事やねん)祇園祭の宵々山を見学してきました!
さすがにめっさ人がいてました^^やっぱり鉾は提灯に灯りがつくと
綺麗です。鉾もあまりみず屋台ばっかり見てたんでえらそうな事は
言えませんが・・・明日・明後日で祇園祭りはクライマックスです
ので是非綺麗に飾りつけられた山鉾を見物におこしやす^^