「えのきぞの」の歩み「えのきぞの」の歩み

初代 榎園 豊

明治43年誕生
昭和元年上野精養軒に入社
昭和9年料理研究所開設
当時は外国の食材や調味料を取り入れた調理法はありませんでした。
食材を焼く、煮るといった純和風の料理が主流だったのです。
そこで当時の軍の師団長の応援を取り付け外国の調理法を取り入れて、新しい手法の料理を一般家庭に広げようと指導にあたりました。
昭和12年NHKラジオに初出演 (35年に渡り多数のテレビ・ラジオに出演)
昭和20年榎園料理学院を味噌天神に移転 (その後、二代目と共に8千人以上の卒業生を輩出した)
平成11年永眠(92歳)

榎園一雄
(前榎園料理学院院長)

昭和4年誕生
昭和25年初代豊に師事して料理を学ぶ
昭和49年仕出しを始める
初代豊のもと料理を学び栄養理論(いかにバランスのよい食事をとるか)を極めました。
そして栄養理論を生かした幅広い料理・食材の知識 を料理学院の生徒さん達に教え、また、料理学院だけでなく熊本各地で講演を行い料理の知識の普及に努めました。
平成14年日本料理ENOKIZONOの監査役を務める

榎園豊成
(えのきぞの料理長)

昭和36年誕生
昭和58年~大学卒業後、大野屋迎賓閣、京都桜田で料理の技術を学ぶ
榎園料理学院の長男として日本料理の世界に入るため大阪へ修行に行き、真の日本料理である懐石料理を学びました。
その後京都に移り、茶の湯の道へ進み、お茶事・茶懐石の研鑽を積みました。
平成4年熊本に戻る
初代豊・二代目一雄と共に料理学校の講師を務めました。
また、京都で学んだ茶懐石をいかし、熊本でお茶事の懐石を提供しております。
平成14年日本料理ENOKIZONOオープン、料理長を務める。
平成30年新店舗にて「えのきぞの」オープン、料理長を務める。