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「ケチ」な人生を徹底できない!

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 私事で、大変申し訳ないが・・・

 昨日は、結構長時間の電話が続いた。

 或る方と、人生とはなんぞや、生き様とはなんぞや、そしてお金や財産とはなんぞやと・・・随分、深いところまで話をしたのだった。

 2年前に他界した父のスタイルは、「子供や孫に何も残さない。」という考え。他界したのち、何も残っていなかった。あっぱれ!である。現役を退き、その信念は変わらず、自分の趣味趣向のままに、自由に生きてきた人間である。頭脳明晰だが、「ケチ」だった。母と比較すると180度異なり、見事なまでに「ケチ」だった。正直なところ、父から素敵なプレゼントや小遣いなど一切貰ったことはない。貰ったとしても、価値のない三流品で、父には不要な物ばかりだった。それを、単に「ケチ」と思い込んでいたのだった。

 昨日話して行く中で、気付かされたことは、人様のために一所懸命慈善行為をしたとしても、何もならず、「先ず自分が一番幸せにならなきゃ、周囲を幸せにすることさえできない。」ということだ。余力があるこそ、ボランティアが出来る。余力があるからこそ、人様の世話ができるのである。私のような庶民は、まずは、自らを幸せにすることに専念しなければならぬことが、よく理解できた。即ち、余力ができて、初めて人様の世話ができるのである。

 しかし、子供心に「道徳」、それも洗脳するための偏った「道徳」をインプットされているので、自分が貧しくて辛くとも、人様に優しく、そして支えるという心が、いつの間にか植えつけられたいたことを知った。それも、今頃になってである。

 大人社会に入り込むと、その「道徳」とやらは何処へやら。納得の行かない事、「道徳なき輩」が目の前を無数に横切り、動揺の色を隠しれないことばかりが起こったのである。これって「道徳」に反してない???と独り言を呟く。思えば、一人の洗脳された子供が、大人になって、そのギャップを体感し、落胆を続けていると、人間不信になるばかりか、この自由な社会であるべきが、嘘のように檻の中に見えて仕方ない。

 お金はついてくるものと思い込み、周囲に対して大盤振る舞いしていた時期もあった。世のため人のためと遣ってきた自分が、今思えば、実に阿呆らしい。そんなことを赤の他人が、感謝の意を心に刻み、敬愛の念をもって接するはずもなく、ただ、その場で「ラッキー」の連発であろうと。下手すると、要らぬお世話だと迷惑がられていたのかも知れない。

 私は、食事や飲み方で、人様からおごってもらうことは、極めて少ない人間である。何となく、人様の財布からお金が出て、そのお陰で食事をしたり飲んだりするのが嫌だった。「だったら、割り勘でいいじゃない!」と言われそうだが、まさしくその通り。おごってやっても、それをいつまでも記憶して、そのお返しをする人なんぞ、極僅かなものである。

 畢竟、レストランへ行き、そこで会食をするとなれば、各々財布に余裕のある範囲内で、自分の好きな物を食べれば良い話である。昨日の電話で得たことは、凄く衝撃的な物事の考え方だった。私が育った環境では思いもつかなかった、すこぶる合理的な考え方であった。

 契約をしたら、契約通り支払うのは社会人としての常識であるが、今必要でもないのに、ただ流行に押されて、無作為に衝動買いするような物欲は、意味もなく、価値もない。そして、何も残らないのである。単なる自己満足の世界で終わってしまう。

 父は、自らが一番幸せになることを望み、その余裕綽々の中で、母をしっかりと愛してきたのだろうと。逆に、母は父を相当尊敬していた。よって、父が買い物をする時に、父のレザーコートなどを買うと、自分が買ったかのように喜んでいたことを思い出す。父の「ケチ」はそこまで来たかと白い目で見ていたが、母にはこっそりと和服を買っていたようだった。

 なるほど。^^;;;;

 お金の遣い方をしっかり身に付けることが、人生では最重要課題だろうと。・・・しかし、私は父のように「ケチ」な人生を徹底できないような気がしてならない。どうしたものかと・・・。^^

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  • posted by Chikao Nishida at 2015/6/9 03:49 am

人として・・・・・

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 人として、茶葉のように生き生きスクスクと育つには・・・昔から伝わる言葉に、「さもしい」というものがある。決して良い言葉ではない。しかし、この言葉通りの人をたまに見掛ける。本人の挙動、言動がそうであっても、本人は美徳と思っている。

 人の資質なり本性なりを見極めることは、容易なことではない。さもしい人の呟きやブログに関心を持ち、読んだとしても・・・何の意味もない、価値もない。見抜けぬ人ほど、同調する傾向にある。同じ穴の狢なのか、朱に交わって赤くなったのか分からないが・・・
Facebookの「いいね!」も無意識に軽軽に行っては、恥をかく。

 「一所懸命」の姿を演出している人間ほど、ズル賢い者は居ない。同情を引き出すための演技をしているだけの話。そこはしっかりと、見定める必要がある。さもしい人に接点を持つようになると、実に厄介だ。気付かぬうちに、その負のスパイラルの泥濘に入ってしまう。

 親や先輩に注意を受けた言葉を思い起こせば・・・「嘘をついてはダメだ。正直者になれ。」、「人を騙してはダメだ。そんな卑怯な人間にはなるな。」、「人の身も心も傷つけるな。敬愛の念をもって臨め。」、「コソコソするな。堂々と歩け。」、「人を外見で判断するな。人の心の中を見抜け。」、「意地汚い人間にだけはなるな。爽やかな人間になれ。」、「おべっかを使うな。自然体で臨め。」、「人に迷惑を掛けたら、謝罪、反省をして、二度と繰り返すな。」、「守銭奴や乞食根性を持った人間にだけはなるな。」、「無責任な安請け合いをするな。できないならできないと言え。」

そして、最後に・・・

「諸先輩の忠告を真摯に受け止め、人生を踏み外すな。」と・・・

rice


「感謝」の言葉、「ありがとう」を言える人・・・・・・・素敵です。
「謝罪」の言葉、「ごめんなさい」を言える人・・・・・・素敵です。
「労い」の言葉、「おつかれさま」を言える人・・・・・・素敵です。
「心配」の言葉、「気をつけて」を言える人・・・・・・・素敵です。
「苦言」の言葉、「だめよだめだめ」を言える人・・・・・素敵です。
「愛情」の言葉、「愛しているよ」を言える人・・・・・・素敵です。
「信頼」の言葉、「お任せします」を言える人・・・・・・素敵です。
「仕事」の言葉、「おかげさま」を言える人・・・・・・・素敵です。
「食事」の言葉、「いただきます」を言える人・・・・・・素敵です。
「完食」の言葉、「ごちそうさまでした」を言える人・・・素敵です。
「挨拶」の言葉、「おはようございます」を言える人・・・素敵です。
「断り」の言葉、「それはできません」を言える人・・・・素敵です。
「約束」の言葉、「お任せください」を言える人・・・・・素敵です。
「敬愛」の言葉、「勉強になりました」を言える人・・・・素敵です。
「和解」の言葉、「水に流しましょう」を言える人・・・・素敵です。
「向学」の言葉、「教えてください」を言える人・・・・・素敵です。
「紹介」の言葉、「信用のおける方です」を言える人・・・素敵です。
「熱意」の言葉、「是非お願いします」を言える人・・・・素敵です。
「感動」の言葉、「大変嬉しく思います」を言える人・・・素敵です。
「協調」の言葉、「強く同意します」を言える人・・・・・素敵です。

 特に、トラブルが生じたり、人様に迷惑を掛けた場合、「謝罪」の言葉をしっかりと伝えると、大抵の場合、大事に至らぬことになる。それを言えぬ人は、許されることでも逆走し、想定外の不幸駅行きとなってしまう。

 あなたは、素直に「ごめんなさい」を言えますか!?


【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/Link

               

  • posted by Chikao Nishida at 2014/12/15 02:53 am

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