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危機管理能力が低迷している教育現場

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<熱中症対策>
 毎年この時期になると、全国では熱中症で何十人、何百人もの人たちが病院へ運ばれる。重度の場合は、命に関わるケースもある。

 地球上が火玉になったり氷球になったりと、温暖化の魔の手が伸び、地球上の生物が根刮ぎ犠牲になりつつある。

 昔は、夏休みでも子供たちは裸足で運動場を駆け回っていた。部活では「水は飲むな!」と厳しい精神論を叩き込まれ、倒れそうになっても歯を食いしばり耐えていた。

 小学校の講堂では、長時間立ったままの状態で学校長の訓話を聞く。そこで一人、二人が倒れたり失禁したりすると全校生の噂となり、赤恥をかき、いじめを引き起こす。

 学校は将来の我が国を支える人材育成の「教育の場」であるが、病院や介護施設、ホテルや宿と同様に、人の命を預かる極めて重要な施設でもある。

 しかし、年々熱中症で病院へ担がれる子供たちの数が減ることもなく増えるばかりで、毎年のように重大事故が多発し、それを繰り返している。学習能力の欠落かと思ってしまう。

 熱中症に限らず、強行された行事の中で、冬山で遭難したり、部活キャンプで水難事故があったりと、行事を計画するのは一向に構わないが、特に、指導者側の危機管理能力の欠落が、不慮の事故を引き起こす要因と言っても過言ではない。

<修学旅行の実態>
 現在の修学旅行のシステムがどうなっているのか分からないが、過去を振り返ると、複数の旅行エージェントが各学校に営業を掛け、学校側が修学旅行の担当エージェントを決定し指名する。

 そこで「視察旅行」と言って、エージェントが修学旅行催行前に担当教師数人を招待し、そのコース及び宿泊施設の視察をするという慣習があった。

 実態は、物見遊山の宴会付き接待旅行(次の指名の媚薬効果を狙ったもの)に化し、2泊3日は呑めの歌えのどんちゃん騒ぎをする教職の姿もあった。

 本番の修学旅行となると、大勢の生徒の誘導は、教職というよりもエージェントの添乗員やバスガイド任せとなり、教職はトイレ休憩の売店で堂々と土産物を受け取り、これまた物見遊山に花が咲く。

 社会科見学実習の為の自由行動。腹を空かした生徒たちがホテルに戻り、夕食をあっという間に完食。それから各自部屋に戻り、早い時間に強制就寝させられる。

 教職は別室にて、「ミーティング」と題して、生徒の夕食メニューとは全く異なる、お造りなど豪勢な料理とビールや酒がテーブルに振る舞われる。それは「ミーティング」に非ず、「宴会」である。

 昭和の悪しき慣習の一つだが、生徒の親御さんたちは苦労して高額な修学旅行費を積み立てているにも関わらず、随行する教職の修学旅行費用はどのようになっているのか詳細は不明だ。

 翌日のトイレ休憩の売店では、またもや教職への土産物が山積み状態である。更に、エージェントは売店事務所の中に潜り込み、生徒が購入した土産物の合計金額からR(アールと呼ぶ:リベート)を現金で受け取り、売店宛の領収書に押印する。

 これが海外であれば、ガイドにもRがこっそり渡されるという仕組みである。このような悪しき慣習は、多分に現在でも水面下で続いていると推察するが、教育とは全く掛け離れたところで悪しき商取引が行われるのは、健全な教育現場とは言い難い。

 以上、今回は「熱中症対策」と「修学旅行の実態」について書き綴ってきたが、教職が不足する今日、そのモラルたるや低迷を続けているのが現状ではなかろうか。

 子供たちに「気づき」を与え育てるのは、非常に困難な仕事だが、教職としての危機管理能力やモラルをシフトアップしない限り、上述のような愚行は延々と続くのではなかろうか。

 よって、これからより健全な教育現場になるよう、各教職は自覚を持ち、見識高く、子供たちの教育指導にあたって頂ければと願うばかりである。
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書・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2023/7/26 12:00 am

豪傑役員の想い出・・・

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 筆者が青二才の頃を思い起こせば、新聞社平社員時代の話になる。当時、組織において出世したいと言う気持ちがないと言っては嘘になるが、毎晩、夜中まで自主残業にて、10年分ほどの関係資料や新聞記事、その他企画書を読破した事があった。

 自主残業の理由は、目の上の課長や部長たちを、実力をもって粉砕したいと言う気持ちの表れであった。勿論、下克上を狙っているのではなく、組織において実力がなければ、キャリアのある先輩たちに仕事で負けてしまうのが、腹立たしいからである。

 28歳にして、自分の名刺に初めて「係長」と言う職位が付いた。或る役員の配慮だろうと思うけれども、正直、嬉しかった。しかし、それでも満足できず、先輩よりも同期よりも、気持ちは10年先を見据えて、日々意表を突くような企画を作りまくった。

 呑みに誘われ、午前0時頃に呑み屋を出て、タコ焼きやらお好み焼きやらを手土産に、新聞社(当時は鶴屋百貨店の向かいにあった)の通用門に立ち、当直の守衛さんに手を振り、手土産を渡し、自分のオフィスに入れてもらった。それから2時間ほど資料を読み、タクシーで自宅に帰った。

 今思えば、若き頃の筆者は、平凡なるサラリーマンではあるが、日々、仮想敵国と闘っていたのだろうと。勿論、当時もパワハラやセクハラは、大なり小なり存在していたに違いない。目立ち過ぎると、必ず叩かれる。企画書を人の5倍ほどのスピードで書き上げると、嫌がられる。

 実は、皆が鉛筆や万年筆の時代に、既に自己所有のパソコン(Macintosh)を持ち込み、キーボードを乱打して、1週間に10本ほどの企画書を作り出した。隣の部長席で部長印を貰う必要があるが、その部長は筆者の企画書をデスクの境界線に積むばかりで、無視して押印しない。

 堪忍袋の尾が切れて、トップ10で鬼のような役員のところへ足を運び、一部始終を話すことにした。その役員はすこぶる理解のある方で、「よし、分かった。今日から部長たちの印鑑は取らんでもいい。直接持って来い!」の一言で決まった。そして部長に内線電話を掛けて、大声で叱責してくれた。

 何とも有難いことだろうと、早速、自分のデスクに戻り、部長のデスクと筆者のデスクの境界線に積んである企画書を全部持ち上げ、そのまま役員室へ持ち込んだ。「こんなに滞っているのか!?あいつは根性悪いな。君と水と油なんだろうが、構わんでいいから気にせずやってくれ!」と。

 それから、役員は定期的に夜の街に誘ってくれるようになった。或る日、「おい、ちょっと私の部屋に来てくれないか!?」と。慌てて足を運び入れると、「来週の水曜日、休めるか?」と役員がニヤニヤしている。「実は、ゴルフに行きたいんだが、君と、あ、あと一人、君の後輩に連絡して、来週の水曜日に休んで、付き合ってくれ!」と。

 その水曜日がやってきた。阿蘇東急ゴルフクラブへ行き、1ラウンド終了。日の沈む頃に帰宅して一息ついていたところ、役員から自宅に電話があった。「あの、申し訳ないが、この前の店に行きたいんだよ。ちょっと気に入ったイギリス人の女性がいるから、通訳してくれ!」との誘い。シャワーを浴びて、街中へ繰り出す始末。

 「釣りバカ日誌」のようだが、役員へ忖度することもなく、懐柔策にて相手を取り込むような姑息なことなど一切なかった。よって、筆者が起業する時に、何度も「考え直してくれんか!」と心配してくれた。辞職理由は、筆者の部下を虐めていた部長との諍いである。辞める必要など全くなかったが、若気の至りにてケジメを付けてしまった。

 折角入社した新聞社であるので、勿体なかったけれども、それもまた人生だろうと。しかし、上述のような豪傑役員は、最近の会社では全く見掛けなくなった。カミソリのように仕事には厳しく筋を通すが、「奥ゆかしさ」があった。胸筋開き、隙を堂々と部下に見せて、対等にお付き合いをしてくれるのである。

 因みに、周囲の人たちは、その役員を恐れ、できるだけ接点を持たぬように動きていたようだが、今思い出せば、プッと吹き出すような光景が浮かび上がる。実は、その豪傑役員とのエピソードはマンガ本にしたいほど、記憶の箱に山ほどオモシロネタが詰まっている。


▼写真はイメージ
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文責:西田親生

                     

  • posted by Chikao Nishida at 2020/11/3 12:00 am

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