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「民度」を認識させるのは、至難の業。

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 「民度」とは、「Wikipedia」では、『特定の地域・国に住む人々または、特定の施設・サービスの利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指す。』とある。

 平たく言えば、幼少期からの家庭環境、躾、教育、交友関係、同僚関係などに影響を受け、無意識に沁み込んだ人それぞれのスタンダードとなる。

 果たして、セレブの家庭に育ったからと言っても行儀が悪かったり、要人の子供として育っても世間知らずであったり、一部上場企業の社員の子供であっても一般常識が欠落していたりで、人それぞれに癖を持つ。

 しかし、社会においては、見えざる「恥ずかしさの境界線」というものが存在し、それを意識している人と全く無視する人との格差は、想像を絶するほど所作に現れる。

 法治国家における法への認識よりも、一家庭内の非常識が常識となり、それを「燕雀知らず天地の高さ」と揶揄されるのは、自分スタンダードが社会的水準に達しているという誤解が起因となり、自分スタンダードが非常識の領域内あることに気付かぬケースが多い。

 よって、一言で「民度」という言葉を発して、不特定多数の人々に「民度」の概念なり、その重要性について認識させるのは容易なことではない。

 「民度」と縁遠い方々は、無意識の内に、本人が公然の場で赤恥をかいたり、暴言を発したり、独り善がりの挙動により周囲に迷惑を掛ける可能性が高いということになる。

 以前、「民度」について別角度で記事を掲載したところ、すぐにコメントが付いた。その方のご意見は「元々、日本人は民度が低い人種ですよ!」とズバリ切っていた。それは一理ある。何故なら、50年前の公衆トイレのスタンダードは、「臭い、汚い、使えない」の三拍子揃った不衛生な施設であったからだ。「低民度」の象徴的なハードウェアの実態であった。

 周囲の人々が「民度」について意識すれば、「迷惑行為等防止条例」なんぞ不要になる。勿論、凶悪犯も詐欺なども激減するであろうと推察する次第。

 子供の頃は、よちよち赤子の時を過ごし、とことこ歩き始め、目の前の現象に感動し歓声を挙げる。ところが、じわじわと知恵がつき、自我に目覚め始めた頃に、その産なるピュアな子供の顔つきが豹変し、時には犯罪に手を染めたり、周囲に当たり構わず迷惑を掛ける蛮行に出る訳だ。

 よって、幼少期の人としての躾や教育は最重要であり、それが全国民へ浸透して行けば、「民度高き国民」と上皇が仰った言葉に値する国家になりはしないかと考える次第。

 「民度」の高い低いについては、諸外国から観光で来日する外国人のスタンダード(習慣)と比較すれば、一目瞭然である。

 そこで、「民度」が高いのか低いのかの見分け方は、食事の礼儀作法、所作を見れば一目でわかる。お茶碗の持ちかた、お箸の使い方、惣菜の取り方、食べ方と食後の皿やその他器の状態は「民度査定」の物的証拠となる。

 ホテリエが学ぶプロトコール(国際儀礼)を徹底的に学ぶ必要はないが、せめて、繊細なる日本文化を継承している現代人に求められるのは、ラフで派手な欧米化ではなく、東洋の「民度」の鑑と称賛される日本流の「民度」を意識することではないか。

 一時期、「新人類はタメ口だ!」と誹謗されることがあった。それは「新人類」が悪いのではなく、欧米化をこよなく愛する日本人の若い人たちが「フランク」というキーワードに触発されて、そのまま実演しているに過ぎなかった。よって、一方的に悪いと仰々しく指摘するものではない。

 ただ、他者に対して、「敬愛の念」を持ちつつ「フランク」であるべき姿を先輩諸氏がお手本を示せば良いだけの話である。昭和の悪しき慣習の中には、「畏敬の念」を重要視し、下手すると恫喝が当然のように思い込む「燕雀知らず天地の高さ」の熟年層が多いのではないか。

 畢竟、「民度」に対する意識と「敬愛の念」が備われば、オフィシャルでもプライベートでも「諍い」は激減することになる。また、社会的な事件事故も激減するはずである。

 刑事事件で警察のお世話になるものではない。脛に傷を沢山作っても人生において勲章にもならず、子々孫々に「恥ずかしさの境界線」を逸脱した先祖がいたと揶揄されるに留まるだけで、自慢にもならぬ話である。

 「公序良俗に反する行為」は、法治国家としては違法行為として処罰される。理由は、「公序良俗」という概念が理解できず、自分スタンダードの「民度」があまりにも他者に迷惑を掛けすぎた結果であることを認識すべきである。

 今一度、千差万別なるそれぞれの家庭におけるスタンダードは、ちょくちょく見直してみても、得することばかりで、絶対に損することはない。他者に迷惑を掛けないが大原則であり、それが不可能だと感じる人は、社会集団生活適正人格とは何ぞやと自問自答し、自らの立ち位置を再確認されても宜しかろうと。

 因みに、高尚なる「民度」を学ぶには、ザ・リッツ・カールトンや旧御三家と言われる帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオオタニの「ホテル文化」に接することをお勧めしたい。

 超一流ホテルは「文化発信基地」であり、いろんなヒントが隠されている。別に足を運ぶ必要はなく、それに関する書籍を数冊選び、「ホテル文化と食文化」とは何ぞやから始まり、付随するショッピングモールやブライダル、イベントなど、新しい時代を創造してきたホテルの核心に触れるだけでも、自分のスタンダードのレベルがどの位置にあるのか判別可能となる。
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書・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/7/23 12:00 am

「部下の客観的査定」が、定石。

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 いろいろな企業を観察していると、大抵の場合、上司と部下の関係、同僚の関係、更には経営者と社員との関係が問題になっていることが多い。

 企業にとっては、当然のことながら、「部下の客観的査定」が定石であるが、それが主観バリバリの「依怙贔屓ありきの査定」となれば、「モラルなき企業」として「脆弱」となるばかりで、じわじわと足元から腐って行く。「コンプライアンス」などどこ吹く風である。

 では、「部下の客観的査定」とはどう言うことなのか。以下、ランダムに検証したい。

1)上司のご機嫌伺いをしながら仕事をする部下

 上司にとっては、「ご機嫌伺い」をされるのだから、決して不愉快なものではない。しかし、これを心地良く感じていると、社内に「無法地帯」が現れる可能性がある。

 上司と部下との関係で必要なことは「信頼関係」である。しかし、それが「ご機嫌伺い」となれば、「信頼関係」なんぞ存在するはずもなく、そこには「虚言」であったり「欺罔」がゴロゴロ転がっているだけだ。

 「ご機嫌伺い」の心地良い言葉を何度も聞かされ、まんまと騙される単純極まりない上司も多く、健全企業として必要不可欠なる「部下の客観的査定」を忘れ、企業全体が根腐れを起こしてしまうこともしばしば。

2)上司に気に入られて有頂天になる部下

 起業する前は、新聞社に勤務していたが、昭和の風は生ぬるく、「依怙贔屓」の大全盛の時代でもあり、僅かながら、上司への「胡麻刷り」を堂々行う、「大根役者」もいた。しかし、単純な上司は、その「胡麻刷り部下」を可愛がり、「依怙贔屓の泥沼」に嵌って行くのである。

 また、社内で力を持つ上司に気に入られた「胡麻刷り部下」は、その権限が自らも同等であるかのように勘違いすることで、横暴なる言動が目立ち豹変する者もいる。実に厄介な現象であるが、これまた「依怙贔屓」の負の遺産として企業を根っこから腐らせて行く。

3)牢名主のような「似非ベテラン社員」の勘違い、履き違え 

 「ベテラン社員」は、企業にとって頼り甲斐があり、必要不可欠なる存在である。しかしながら、それが「牢名主」のような「似非ベテラン社員」となれば、決裁権もない職位にも関わらず、役員トップのような口調で、周囲の部下や外部に対して「虚言」や「不平不満」を吹聴して回る輩もいる。

 これもまた、企業全体を毒ガス室のように窒息させ、「笑顔のない仕事環境」を常態化し、部下のモチベーションなど全く上がるはずもなく、「企業実績低迷」という最悪の事態に陥って行く。

 更に、経営側がその「牢名主」を信頼し、その発言に耳を貸すようになれば、企業全体が「病的」なものとなり。上司と遣る気ある部下との「信頼関係」が完全に崩れ、気づけば、多くの有能な部下たちが会社を去って行く。

4)誹謗中傷、揶揄、悪口、陰口、告げ口の底なし沼

 長年の間、心無い「牢名主」が幅をきかせていると、健全であるべき企業の軸が歪み切ってしまい、その「悪き慣習」が社内全体に蔓延し、善良なる部下たちは仕事に集中できぬ状況下に陥り、二進も三進も身動きができなくなってしまう。

5)手柄は全て自分のもの、失敗は全て他人のもの

 元々狡賢く、自らを認めてもらう為に、演出過多の人間は思いの外多い。一歩、二歩離れて見ていると、態とらしい挙動が滑稽でもあり、それを堂々と行っている姿は、「恥ずかしさの境界線」を逸脱している。

 特に、職位や給与について固執している人間は、人を蹴落としてでも上座に座りたいと卑怯な手法にて、同僚を裏切り、保身の為に異常行動を採ることもある。

 本来ならば、「失敗は最高のオポチュニティ」として、皆で共有すべきものである。

 以上、ランダムに挙げてみたが、これらの解決法は、先ず、上司が狡賢い部下や、卑怯な部下、更には人格欠損の部下であるか否かを見抜くことだ。

 しかし、その上司が若かりし頃、同じような「依怙贔屓」ありきの環境にて慣れ親しんで来たのであれば、改善の余地はない。

 賢明なる経営者であれば、以上のような「悪き慣習」を社内で認めることはない。それを放置していると、愚行なり蛮行が蔓延し、どんどん皆に感染してしまい、「モラルなき企業」として腐ってしまう。それは、全てに経営者の責任であり、自業自得と言うことになる。

 返事が素晴らしくフットワーク良く働く部下を見て、ほとんどの上司は良い査定をするに違いない。しかし、「人格査定」にまで届いていないために、小手先で騙され、本質を見破ることができず、心無いお調子者を黙認することになってしまう。それでは、「能力ある人材が背負う企業」とは真逆のベクトルとなり、企業は衰退して行く。

 畢竟、経営者や上司は、部下が「ノイジー・マイノリティ」なのか、「サイレント・マジョリティ」なのかの見極めができなければならぬと言うことである。

 平たく言えば、「ノイジー・マイノリティ」はお祭り野郎であり、お調子者であり、常々「虚言」を発しては「保身」に傾注している輩が多い。

 それに対して、「サイレント・マジョリティ」は寡黙で常識者、人格者であり、企業実績を憂いて一所懸命に仕事に邁進している人が多い。

 それに気づくか否かで、企業のカラーも「ホワイト」になるか「ブラック」になるか、決まってしまう。実に簡単なことだが、一般企業において、それが理解できぬ経営者も少なくはないのが現状である。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/3 12:00 am

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