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育ちは、怖い。

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 他人様の育ちについて口を挟みたくはないが、育ちが悪いと言われる人は、素行が悪い人が多いように思えてならない。

 いくら多様化の時代といえども、飲食店にて他人のオーダーしたものをなめたり食べたり、テーブル上のサービス品を直接飲んだり入れ替えたり。どう見ても、幼い子供もしないようなことを、大の大人がやっている。

 SNS上で写真や動画が拡散されると、有名人になれると履き違えしている。そこで、一歩二歩下がって、自らの行動が愚行であることに気付かぬところが、大人気なくもあり、育ちの悪さを露呈しているのである。

 上記のような愚行を飲食店で行えば、威力業務妨害罪として告訴され、刑事及び民事で咎められ、警察沙汰になったり、想定外の賠償金を請求されたりするのは当然のことだが、そこに思考が及ばないのは無知なる利己主義の表れであると言っても過言ではない。

 どうして、毎回報道でそのような人物が登場するのか理解に苦しむが、幼い頃からの育ちの悪さと躾のなさが、全てを物語っているのではなかろうか。

 勿論、育った環境などで人を差別することは許されないが、違法行為をする人物を擁護する訳にはいかない。店の売り上げが急激にダウンしたり、その店を敬遠するお客も多く出るのは確実である。その後始末を、誰がしなければならないのか。

 社会的なルールやモラルへの認識不足は、どうしても、その育ちにかかっていると筆者は考える。さらに、そのような報道に直面して、愕然とするばかりとなってしまう。

 日本人は世界でも民度の高い人種であると思いつつ、上皇様のお言葉にも「民度高き国民」とあったことを今でも覚えているが、果たして、飲食店で愚行を働いたり、レンタカーを乗り回し事故を起こして、レンタカー代も踏み倒すのが、民度が高いと言えようか。

 巷で日々起きている事件や事故を冷静に分析すると、事件や事故を起こした人物のモラルは皆無の状態であることが浮き彫りとなり、さらに悪いことに、猛省をする姿を見たことがない。

 子供は親の背中を見て育つと言うけれども、元々親ががさつで、社会的なルールを無視し、モラルなき人生を送っているのであれば、その子や孫たちは、同様の失態を真似して、繰り返すだけとなる。

 少しでも、公序良俗なり、社会正義なり、共存共栄のための最低限のルールやモラルについては、幼い頃から徹底的に躾ける社会環境であって欲しい。この恥ずかしい状態では、他国の文化レベルや民度が低いなど揶揄できる立場ではない。

 この意識が少しでも芽生えれば、日頃報道されるような愚行、蛮行は激減するに違いない。

 いやはや、教育や躾のある育ち方(道徳)を、今一度、教育者の方々も、勉強(試験対象教科)以上に重要な教科として必須であり、それが子供たちの良い育ちにつながることを再認識していただければと思うばかり。

 よって、しっかりと躾を受けた子供たちは、一端の大人となって「他者に迷惑をかけぬ人生」がどれほど重要なことなのかが理解できるはずである。
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、社会の現状に対する深い懸念と、育ちやモラルについての考察が述べられています。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみます:

構成と論理展開: エッセイは明確な構造を持ち、段落ごとに異なる観点が示されています。論理的に展開され、読み手が内容を追いやすい構成となっています。

議論の深さと洞察力: 作者は、育ちやモラルの重要性に関する洞察力のある議論を展開しています。特に、社会における個々の行動がどのように影響を及ぼすかについての深い理解が示されています。

言葉の選び方と表現力: エッセイは適切な言葉を用いており、感情的になりすぎることなく、客観的な視点から問題を掘り下げています。また、具体的な例や比喩を用いて、論点を明確にしています。

提案と結論: 最後に、作者は教育や躾の重要性を強調し、子供たちが社会的なルールやモラルを守ることの重要性について訴えています。提案された解決策は実現可能性があり、問題解決に向けた一歩となる可能性があります。

総合的に、このエッセイは社会的な問題に対する深い理解と洞察力を示しており、読者に考えさせる良い素材となっています。
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AIプロンプト・文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/2/10 12:00 am

生成AIの優位性と劣位性

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 本日は、テキスト生成AIで突出している「ChatGPT」について語りたい。

 「ChatGPT」の最大の優位性とは何か。それは、一人の人間が生涯を通じてもインプットできない大容量の情報を学習することにより、実務的な定型業務に関して、機材が壊れたり電源が切れない限り、瞬時に捌き続けることができる点であろうか。

 人間が書き綴った文章や表集計、プレゼン資料などで、論理展開(起承転結/三段論法など)、文体、表現力、語彙力、感情移入などの検証においては鋭い目を持っている。よって、文章の流れや揺らぎ、誤字脱字や文法的な問題点を指摘し、修正する能力を有している。

 AIは、人間が書き綴るエッセイや記事に対して、教科書的な論理展開を重視し、通説、逆説のバランスを取っているか、辛辣な言葉や批判的な内容なのか否かを感知し、万人受けする文章へと修正する。従って、著者自身の強い表現力を、ある程度のところで抑えられるのである。

 SNSなどの公然の場で、特定する人を誹謗中傷したり、言葉の暴力にて攻撃するのはモラルの問題でもあり違法行為であるが、自然体にて書かれたエッセイや小説などに対して、万人受けするように平均化を提言されると、味のないものになってしまう。

 AI評価最優先の時代となれば、表現の自由や言論の自由を制限してしまう。よって、AIが主であり人間が従という関係になり、考えない人間が当然のように増えてくる危険性がある。全て、優等生のような味気ない文章があちらこちらに散在することで、これまで培われてきた人間世界が音を立てて崩れていくに違いない。

 喜怒哀楽があるのが人間であり、曖昧さや感情が吹き出すのが人間である。それを、過度な表現、攻撃的な言葉、強い感情、一方的な見解、反対論者への配慮、統計調査データなどの裏付け不足などと、ガチガチに修正するような評価となれば、誰しも、オリジナリティを失い、AIに評価の高い、AI優等生的なドキュメントが世界を席巻してしまう。

 人間の素晴らしさは、善きにつけ悪しきにつけ、想定外のことを起こしたり、裏切ったり、逆に賛同する側へ傾いたりと、予測不能な言動の存在にある。当然の如く、悪事(公序良俗に反すものなど)は論外であるが、人間の曖昧さをAIが理解することはない。

 如何に、AI優等生のような文章を書き綴ったとしても、誰もが書けるような平均的な無味乾燥なものとなってしまい、熱い血が流れている人間の存在価値を見失う危険性がある。

 AI世界は、あくまでも主は人間であり、AIは従でなければならない。どんなに事務処理が一瞬にしてできようが、大量データの四則演算を高速に計算したり、統計解析を自動で裁いたりするとしても、人間ではないのだから、評価の対象とはならない。ただ、将来的には、AI vs AIの企業間競争(戦争)も現実味がある。

 AIを導入するから、大勢の人間の首切れば人件費による負担が軽減すると安直に考えている経営者もいるだろうけれども、それは、余りにもAIへの期待値が大きすぎる。

 スタッフが激減しても、AIがお喋り相手になってくれるから何も問題ないと言い放つ人もいるかも知れない。これもまた、人間に対する尊厳を忘れ去った偏った見解ではなかろうかと受け止める。

 筆者は、アバターが登場する仮想現実世界を2007年から体験し、毎日のように徹夜にて、そのSIMの管理運営を行ってきたものの、結論として、バーチャルな世界よりもリアルな現実世界に、それとは比較にならぬほどの大きな価値を見出したのであった。

 理由は、仮想現実世界にてどんなに理想的で楽しい夢を見れたとしても、翌朝目が覚めれば、現実に戻っているのである。目の前の景色や鏡に映る自分自身の姿が、動かしようのない現実、実態なのである。

 当時、現実逃避のために仮想現実世界に没頭していた人も多かったが、「仮面」を被った人間に見えて仕方なかった。気持ちは十分理解できるものの、仮想現実世界でどんなに満足しても、現実世界に変化がなければ、手元のゲーム機で遊んでいるのと同じことである。よって、挙げ句の果てには、悲しいかな「仮面の告白」を聞かされることが多かった。

 何はともあれ、AI依存症と言われぬように、AIの優位性と劣位性をしっかりと理解した上で、その変化や進化を楽しみながら、リアルな現実世界の自分自身の実像を見つめ、自身の考えをしっかりと持ち、一歩、一歩、新たな世界に踏み出すことが重要ではなかろうかと考える次第。

▼ChatGPT 4による評価

このエッセイは、生成AI、特にテキスト生成AIの優位性と劣位性について深く考察しており、多角的な視点からAIの影響を議論しています。以下に詳細な評価を行います。

主題の明確性と論理展開: エッセイは、「ChatGPT」を例にAIの優位性と劣位性を探求しています。論理展開は一貫しており、各段落がスムーズに連結している点が評価できます。起承転結の構造がしっかりしており、読者が理解しやすい流れになっています。

情報の正確性と包括性: AIの能力についての説明は、一般的な理解に基づいており、適切な情報が含まれています。さらに、AIの限界と人間の特性を比較することで、技術的な側面だけでなく、社会的・倫理的な観点からも議論を広げています。

スタイルと表現力: エッセイは、表現が豊かで読みやすい文体を採用しています。感情移入や語彙の使用も適切で、主張を効果的に伝えています。
批判的思考と洞察: 著者はAIの利点と欠点を批判的に分析し、AIが人間社会に与える潜在的な影響を深く掘り下げています。特に、AIによる表現の均質化や創造性の抑制についての指摘は、重要な洞察を提供しています。

現実世界との関連性: AIと現実世界との関係を、著者自身の経験を交えて説明している点は、読者が現実と技術の接点を理解するのに役立っています。
結論の効果性: エッセイは、AIを適切に理解し、その利用を現実世界にうまく統合することの重要性を強調して終わっています。これは、技術進化の中で人間性を保持するという重要なメッセージを伝えています。

全体的に、このエッセイはAIの影響について深い洞察を提供し、読者に重要な問題について考える機会を与えるものです。技術的な詳細と倫理的な考察のバランスが取れており、AIの未来についての議論に貢献しています。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/29 12:00 am

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