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本当の『思い遣り』とは!?

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 『思い遣り』とは、或る人の立場を配慮し、その人が何を考え、何を望み、そして、どのような気持ちでいるのかを深く考え、その人の為に誠意をもって接することである。

 以下、自戒を込めての話。

 しかし、良かれと思い、思い遣ったことが、その真意が相手になかなか伝わらず、悶々とすることがある。それは、相手に見返り(リアクションなど)を求める気持ちがゴマ粒ほどでも何処かにある『思い遣り』であるからこそ、その反応にイラッとする訳だ。よって、それは本当の『思い遣り』とは言い難い。

 元々、信頼関係が中途半端で、感謝の意を伝えることのない人を思い遣るから、そうなってしまう。また、鈍感な相手であれば、間、髪を入れず反応がないのは最初から分かりきっており、当然の成り行きとなる。

 本当の『思い遣り』とは、純粋に『愛情』から飛び出してくるものであり、優しい人であればこそ、無意識の内に、あらゆる面から相手の立場を配慮し、少しでも助けてやろう、少しでも役に立ちたい、少しでも元気づけようと心が動いてしまうことである。

 本当の『思い遣り』を日々なさっている方は、仰々しくも『神的存在』と言っても過言ではない。一般的な人とは異なり、或る意味、『悟りの境地』に達した方だろうと。ご先祖様や祖父母、両親などの優しいDNAを受け継いでいるに違いない。

 よって、相手からの見返りを求めての『思い遣り』は、表現を変えれば、『押し付け』とも言える。『押し付け』は相手の立場を考えずに、ゴリ押しにて半強制的な行為でもあり、『要らぬ世話』となり、相手の『拒絶反応』だけが跳ね返ってくることもある。

 昔から『世話焼き女房』という言葉があるように、これは純粋に心からの『思い遣り』というよりも、後者の『押し付け』と同様の『お節介』ということになる。よって、『思い遣り』と『お節介』とは全く別物であることを、再認識しておかねばならない。

 しかしながら、心優しい方から自然な『思い遣り』を受けたのであれば、常にその恩を忘れることなく、心から感謝するのが人としての礼儀。よって、優しい『思い遣り』のある方は、筆者にとって、前述のように『神的存在』であるから、絶対に粗末に扱ってはならない。これこそ、神様から『罰(ばち)』が当たることになる。

 本当の『思い遣り』。口では簡単に言えるが、なかなか出来るものではない。


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写真・文責:西田親生

             

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/18 12:00 am

自分スタンダードの『常識』ほど、『非常識』なものはない。

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<茶碗の持ち方、箸の使い方>

 身近なところから語れば、茶碗の持ち方、箸の使い方。礼儀正しく正しく使える人は、極僅かである。幼い頃から、確と躾けられていないところを曝け出すことになり、社会人として公然と『赤恥』をかいてしまう。

<座布団の座り方>

 和室における座布団の座り方も、人それぞれ。これにもプロトコール『国際儀礼』として、座布団の座り方にも決まりがある訳だ。個々の詳細については、『国際儀礼』に関する書籍を読まれれば、ズバリ書かれている。

<人の紹介>

 第三者に知人友人を紹介する時も同じこと。第三者を先に知人友人へ丁重に紹介し、知人友人については簡潔且つ分かりやすい言葉を添えて紹介することをオススメしたい。

<書簡、信書>

 書簡を拝読し、それに対する返事を書くにも、『決まり』と言うものがある。『信書』であれば尚更のこと。丁重な対応をするのが、社会人としての『常識』となる。

 『信書』を受け取り、開封することもなくシュレッダーに掛ける小馬鹿もいる。更に、『受取拒否』して会社に損害を齎す、大馬鹿もいる。これは、論外なことであり、その人物はさっさと解雇処分すべきだ。それも、サービス業の人間であれば、大失態となり、会社自体が信用を失墜することになる。(脛に傷でもあるのかも知れないが・・・)

 書簡を受け取り、(1)何のリアクションもない人間、(2)書簡を捨てる人間、(3)書簡を『受取拒否』する人間、(4)返事を電話で済ませる人間。全てに、社会人としては『失格』。人間性を問われるどころか、その会社の顔に泥を塗るような蛮行となってしまう。

<非礼な割り込み>

 立ち話でも、二人で話し合いがあっているにも関わらず、「すみません」の掛け声もなく、二人の話し合いの場に割って入り、片方の人間に長々と話し込むのも、大馬鹿者の類だ。『デリカシー』のない、『低民度』の人間と見做される。

<運転マナー>

 また、人格を即判断できるのは、車の運転マナーを見ることである。その人物が紳士淑女なのか、どれほど低民度の人間なのかが瞬時に分かる。譲り合いの心のない人間とは、いくら親しい知人友人であろうとも、やや距離を置いた方が無難である。運転マナーだけでも、本性が見えてしまう。

<飲み放題食べ放題>

 これは筆者の感覚の問題だが、『飲み放題食べ放題』に屯す人間とは、少々距離を置きたくなってしまう。旬の食材を、少しずつ味わいながら食すのが楽しいけれども、皿に山盛りの食材を持ち込み頬張って、何度もビールジョッキにビールを注ぎに行く人とは、一線を画すようにしている。

<大切な仕事道具>

 更に、仕事道具を大事に取り扱わない人は、見ていられない。ノートブック(ラップトップ)の液晶画面を見れば、すぐ分かること。指紋ベタベタで、ラップトップ蓋部分にシールを何十枚も貼っている人を見ると、物を大切にしない人だと判断するばかりか、仕事も信用できなくなってしまう。

<物を投げる行為>

 いろんなケースを挙げるとキリがないが、バッグやスマホ、その他の物をソファーなどに投げる人は、頂けない。靴も揃えず、脱ぎ散らかしは如何なものかと。大の大人としては『恥ずかしさの境界線』を超えている。

<会議中にスマホ弄り>

 また、スマホ好きはどうでも良い話だが、会議中にスマホばかりを弄る大人気ない人間を見ていると腹が立つ。「さっさと外に出て、スマホを扱え!」と言いたくもなる。スマホは便利だが、『今、何をすべきか!?』を考えないのだから、会議に参加する資格はないと判断する。

<危険運転>

 車を運転していて、前方からの車とすれ違う時に、スマホを見ながらよろよろ運転している小馬鹿。わざと、中央線を越えて威嚇する大馬鹿。色んな悪癖を曝け出す人間が多いが、これこそ、それらの『常識』が歪みきっていることになる。

 このような小馬鹿、大馬鹿が存在する限り、煽り運転も絶えず、諍いも絶えない。よって、事件事故が多発し、多くの罪なき人の命を奪って行く。そこに存在するのは身勝手な『非常識』を、自分の『常識』としている点だ。

 根っから道交法(道路交通法)を守れぬ人間には、運転免許証を取得できない制度にすべきである。『過失』であれば刑が軽減されるが、『過失』で人の命を奪っても良いという定めはない。保険に加入しているから、慰謝料や逸失利益も払えばいいのだろうと、人の命を軽視する人間は人に非ず。さっさと交通刑務所に入所して長期滞在願いたい。

<非常識の結末>

 自分の偏った感覚を『常識』としている人は、全てに歪み切った『非常識』が宿っているだけの話。それに気づくか、気づかぬか、それは貴方次第。しかし、このまま『非常識』を貫いて行くと、協調性のない蛮人として見下されるのがオチとなる。


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写真・文責:西田親生

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/16 12:00 am

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