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大切な水、そして怖い水・・・

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 目の前に注がれたコップ一杯の水。それをまじまじと見つめながら、自然界における水の存在の大きさや、我々生き物に不可欠な存在として・・・小さなコップの中の水が、やけに強大なものに見えてきた。

 人生を水の流れに例えると、穏やかに蕩蕩と流れる時もあり、滝や激流になったり、枯れたりすることもある。・・・予期もしない事に翻弄され、やっと平穏無事な生活に戻れたかと思った矢先、また、静かな水面の美しい波紋を楽しむ暇もなく、またもや激流に呑み込まれて行く。

 ある時は大きな渦となり、トルネードの中心のような闇の世界に引きずり込まれたり、穏やかな水面から突然水の無い世界へ撥ね飛ばされたりすることもしばしば。・・・疲労困憊の中、やっとのことで水場に辿り着いたと安堵していると、またもや想定外の事で、静かな水面がにわかに荒れ狂ってくる。・・・その繰り返しが、我々の人生であろうと、しみじみと感じたのであった。

 しかしながら、後手後手の受け身の人生を送っていると、想定外の出来事に殆ど対応できなくなってしまう。やはり、十二分に先を見据えて、想定外の事が起きた場合をシミュレートしながら、常に攻めの人生の足場をしっかりと固めておかねば、とんでもない事になりかねない。

 個人的な事で大変申し訳ないが、筆者の場合は、仕事のスピードやその他シミュレーションに掛けては、人の2倍、3倍の速度をもってこなせると自負しているものの、身辺については、どうも面倒臭がり屋で、長年の間、後手後手に回っているような気がする。

 若き頃は、まあ後手後手に回ったとしても、取り返すエネルギーも時間も十分にあるが、壮年期を過ぎると、そのチャンスさえ遠のいてしまいがちとなる。よって、常に、平穏無事な生活環境を求めながらも、不慮の事故や想定外の事が自分自身に降り掛かってきた時に、如何に対処すべきかを、日頃からしっかりと体勢を整えていなければならないのだと、遅ればせながら再認識した次第。

 人生・・・これは、皆さんのようにどんなに高等教育を受けた人間であっても、思い通りに・・・それも、上手い具合にオペレートできるものではないのだろうと・・・「如水」・・・大変難しい人生の課題である。

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  • posted by Chikao Nishida at 2014/2/21 12:00 am

国語嫌いが、本を書く。

▼近々出版する「如水 第4弾 吉村悌二の世界」の原稿(A6サイズ、36頁、モノクロ)

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 国語大嫌いの人間だった、筆者。それが、1週間前に取材でフレンチレストランへ足を運び、対談しながら撮影したモノクロ写真を数十点選び、原稿を書く。一日で、約15000文字を書き殴るのである。・・・どんなに逆立ちしても、自ら信じられない様な仕事をしている。

 ずっとずっと昔の幼い頃に遡及して、どんなガキだったのか思い出してみた。幼稚園、小学校の頃は絵を描くのが大好きで、幼稚園の時に「夢の超特急こだま号」という絵を、クレヨンを使って描いた事がある。

 それから、小学校1年生となり、グラウンド中央の大きな楠に繋がれた牛の絵を大木と並べて描き、その時、楠の木肌をどう表現するかに一瞬間迷った事を思い出した。確か、「V字」の幹の上から下へ細かく輪郭を描き、後から一つ一つ表情が異なる色付けをした。

 同じく小学校1年生の夏、或る絵画コンクールに出品するとの事で・・・ジャングルというタイトルがお題だったのかどうか忘れたが、画用紙1枚という制限を破り、3枚を一つの作品として描いたことがあった。ジャングルのニシキヘビが1枚の画用紙に入らず、結局、その下、更には左下までニシキヘビの大きな頭を描くために、画用紙が3枚必要となったのである。作品を受け取った先生が苦笑いしていた。

 小学校高学年となり、どんどんと漫画に引き込まれていった。しかし、我が家では漫画本は禁止となっていたので、友達の家や理容室に行って、漫画を読みあさっていた。「意地ばあさん」が凄く好きで、自分で画用紙1/8程度の小さな手描きの漫画本を作ったのだった。更に、「ピリピリくん」という主人公を考え、同じサイズで漫画本を2冊手作りしたのである。何となくパーマンに似ていたような・・・。

 中学生の頃、社会科の先生から授業中に注意を受けた事があった。それは、先生の授業内容を全てノートに漫画で描いていたのが見つかったからだ。猛烈に叱られるかなと思ったら、「休み時間に職員室へ来なさい!」と一言。・・・こりゃやばいと思いつつ、職員室のドアをノックした。

 「おお、来たね。ちょっと相談だが、近々PTA参観があるので、その授業の時に君の漫画を使いたいので、この画用紙20枚ほど渡すから、最近の授業内容からこの辺まで、全部漫画で描いてくれないか!?」と。

 叱られるのが、褒められたのかどうか分からなかったが、約束通り、家に戻り、毎晩深夜まで数日間掛けて、下書きなしで、マジックで描いていった。・・・さて、PTA参観日である。その先生は、得意げに教室の左右、後ろの壁に貼られた筆者の漫画を指さしながら、授業を進めていったのだ。

 そして高校時代・・・化学が大嫌いだったが、同じく、全てノートは漫画だった。三年生になる時に、その化学の先生が教室にやってきた。「あの漫画のノート、私にくれないかな!?」と言って、次の週に二年生の時の「漫画化学本」を差し上げた。どちらかと言えば、数学や物理の方が断然好きだったので、化学は筆者にとっては無用だった。

 夜な夜な、このようなつまらぬ事を思い出しながら、自分自身の履歴をチェックし、見つめ直す事も必要ではないかと・・・。

 昨年3月に他界した父と、或る日、猛烈に議論した事があったが、子供の教育についての疑問を投げ掛けた時の事。「子供に何でも押し付け、親の理想像を子供に期待する教育方針は間違いではないか!」と、かなり強い口調で言い放ったのだった。漫画も駄目、絵も駄目、将来就職を考えるのであれば、父親の職業がベストであるという歪んだ子育てに、この歳になって初めて反論したのであった。

 まあ、あれやこれやを思い出し、「あの時は、こうすべきだった!」、「あの時、Yesと言わず、Noと言って遣るべきだった。」、「あのポイントで気付くべきだった。それが人生の分水嶺だったのだろう。」など・・・自問自答を繰り返しながら、自分の背中を眺めていると、今の自分の姿が何故こうなのかが良く見えるようになってくる。

 国語の試験で、「作者は、何を言いたかったのか、百文字以内で答えよ。」とある。・・・作者と同じ時代に、その近くで生活していた訳でも、交友関係もないのに、何故、作者の気持ちが分かるのか!?と屁理屈を言う筆者が居た。一度、「作者にしか分からない。」と回答を書き、国語の先生から酷く叱られた事があった。

 人生って面白い。人は皆、得手不得手があるが、得手であってもそれが即仕事に繋がる訳ではない。かといって、不得手であっても、いつの間にか仕事に繋がっているケースも多々ある訳で、たまには、両目を瞑って、ダーツを投げ、それが突き刺さった方へ自分を向けても「有り!」かと・・・。

 人生って、本当に面白い。


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  • posted by Chikao Nishida at 2014/2/20 02:15 am

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