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『伊丹万作』のエッセイを読み、当時の日本人精神文化レベルの高さに腰を抜かす。

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 1900年生まれの映画監督、脚本家、俳優、エッセイストとして活躍した『伊丹万作』。僅か46年の短命なる人生において、100年後に生きている我々に送った強烈なるメッセージは、心に刺さった。

 本日、たまさか或るテレビ番組の報道特集にて『伊丹万作』が1946年に書き残した『戦争責任者の問題』についての紹介があった。

 今、目の前に起こっている『ウクライナ危機』におけるロシアの『プロパガンダ』と、太平洋戦争時の大本営のそれとオーバーラップさせたものである。

 そこに、『虚偽情報』にて無知なる国民を騙したことへの反省の談が続いた。太平洋戦争を起こした狂人やその周辺と、無知なる国民とのブリッジ役が、当時のダメダメマスコミ。西日本新聞記事を例に挙げながら解説が続く。

 筆者は戦後生まれなので、当時の戦争を知る由もない。しかし、これまで色んな記録を紐解き、「竹槍でB29が落とせるか」、「旗艦戦艦が次々に撃沈されて戦いに勝つのか」、「日の丸の旗を国民に振らせて意味があるのか」、「学徒出陣でどれだけ若き逸材を殺したのか」、「自宅の鍋や寺の鐘などを没収し武器を作るのか」など、全てが『狂気の沙汰』だったことはインプットされている。

 77年前に終戦を迎えた日本だが、戦時中の国内の状況は、今のロシアと酷似している。変わりがあるのは、資源が潤沢にあるロシアの方が、戦争に直接関係のない市民生活は数段ゆとりがあるだけの話。されど、当時の日本国民はボロ雑巾のように疲弊しており、『赤紙』の恐怖に日々苛まれていたに違いない。

 8月15日が『終戦記念日』。当時の平穏無事なる国民生活を、国家より一気に潰され、最愛の家族を戦争で亡くした国民に対して、何が『記念日』だと言いたくもなる。厳しく言えば『敗戦猛省記念日』として、半旗を掲げるべきである。

 筆者の親族では、祖父の兄弟が海軍さん将校だったり、陸軍に属していた大叔父がマレー戦で戦死したことは聞かされていた。戦死した大叔父の最後の電報も保管しているが、戦死して勲章もらっても、何にもならない。先日、それら負の遺産を全て廃棄しようかとも考えていたところであった。

 父は戦時中には文官として内蒙古日本領事館配属で国外へ、また、叔父は旧制中学飛び級で熊本陸軍幼年学校に所属していたとのこと。二人からは、戦時中のことを余り聞かされたことはない。ただ、当時のダメダメ国策の被害者が、このように『プロパガンダ』を信じた人間だったのだろうと思っている。

 父や叔父は、戦後、検察の道へと軌道修正したようだが、今の若者と比較すれば、ダメダメ国策により一方的に人生を歪められ、自らの夢や希望などは、二の次三の次として、それなりに歯がゆい一生を送ったことになる。

 しかし、世界を見回すと、何十年も何百年もワープしたかのような、時代錯誤の稚拙極まりない『虚偽情報』が蔓延している。日本も同様に、『プロパガンダ』があちらこちらに存在している訳だ。国民にとって不味いことは隠蔽し、良さそうなことはオーバーアクションにて披露する。全て、選挙の票田獲得のための『虚偽情報』ばかりではないか。

 本日の報道番組を観ながら、マスコミの在り方について、自問自答してみた。思い起こすのは、米国のニクソン大統領時代の『ウォーターゲートスキャンダル』。当時、ワシントンポストの二人のジャーナリスト(ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン)の存在に心を打たれたことを思い出す。あの映画は、何十回観たろうか。尚、現在でも『ジャーナリズムの鑑』と伝えられるお二人だ。

 報道番組にて、当時の『虚偽情報のブリッジ役』を果たしていたマスコミという表現に、とても違和感を持った。一人のキャスターは、「戦時下となれば、自分がジャーナリズムを貫き通せるかどうか自信がない」と呟いた。

 冗談ではないが、そこでジャーナリストとして勇気を持ち、貫き通して貰わねば、国民は再び一瞬にして地獄に落とされてしまうことになる。


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写真・文責:西田親生

                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/15 12:00 am

映画「ローマの休日」のエンディグを思い出して・・・

▼ローマのハスラーホテル6階から見下ろすスペイン広場の階段
 ※オードリーがジェラートを食した階段

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 アジア圏の各国の動きを見ていると、国際法の遵守を徹底しているところは、ごく僅かである。驚くべきことに、国際法や国連決議(拒否権を悪用)などよりも、自国の都合を強調するばかりに、偏った国内法を制定、最優先し、あたかも神の如く振る舞う、時代錯誤の独裁者の姿が見え隠れする。

 ある記事に、某国がどんなに経済発展しようが、先進諸国の仲間入りをするには「品性」に欠けるなどを挙げ、先進国としての弁えも民度も全く確立されていないと。御意である。欧米の先進諸国からすれば、余りにも民度低き国々がアジアには多いと見られても仕方がない。

 品性、品格といえば、国も国を支える国民にも必要不可欠なものだが、それを考えている間に、ふと、不朽の名作「ローマの休日」(1953年)を思い出したのだった。オードリー・ヘップバーン扮するアン王女のドタバタ劇だが、オードリーの透けるような美しさと上品さは、神々しさそのものだ。

 ストーリーは、普段の窮屈な生活から飛び出したアン王女が、新聞記者と遭遇。僅か1日だったが、はらはらどきどきのハプニングの連続の中で、自由な庶民生活をしっかりと体感し、信頼の重要性に覚醒、更に、王女としての自覚が芽生え、エンディングの記者会見に臨むことになる。

 記者役は、当時の名優であるグレゴリー・ペック(※1)。190cmの長身で、グレーのスーツが似合うイケメンだ。話は横道に敢えて逸らすが、側から見れば、王女と一介の庶民との恋愛劇が「ローマの休日」。そこで、王女が記者ジョー・ブラッドリーの紳士な振る舞い(最初は大スクープを狙っていた)に心を寄せ、叶わぬ恋に陥ったのだった。

 ここで気付かされたのは、身分の差があるなしに関わらず、人は、互いに敬愛の念を持てば、互いに信頼できるということである。世界中で差別が繰り返されている昨今、国家間も個人間も信頼が欠落しているのは、この敬愛の念や尊敬の念、感謝の念が、現代辞書から抹消されているからである。

 日本の政治屋も同じことが言える。同じ日本人であるにも関わらず、江戸時代の如く、戦前の帝国主義の如く、常に血筋や家柄などの爆弾を抱え、上から目線で、透明性を求められる政治の世界に、イカ墨を大量に吹き散らかしている。そこは、敬愛の念など皆無となり、家柄差別という時代錯誤の癌細胞が脳細胞に食い込んだままの状態だ。

 差別は身分意識から生じているが、その身分という鎧を手に入れた人間は、早速、履き違えの人生をスタートさせる。己の身分を最上位に認識し、その他を全て否定する蛮行に及んで行く。更に、鎧を着た人物を寄せ集め、高い身分と自称する仲間を引き入れ、不特定多数の庶民を見下すという鳥瞰図となる。

 同じ人間であるが故に、全ての国民が平等であるのが民主主義の原点であるはずが、その土台は紛い物であり、時折、叙勲なり褒賞なりで、国民をあやしているに過ぎない。叙勲なり褒賞なりは、数歩引き下がって見ると、身分の裏返しのように見えて仕方がない。

 個人的な話で申し訳ないが、実は、筆者の実父も叔父二人も叙勲を受章している。本人たちは大変喜ばしく思っていただろうが、筆者からすれば、言葉は悪いけれども、血税の無駄遣いであり、仰々しい儀式により、単に差別化を助長するような起爆剤となっている。

 叙勲ともなれば、東京の有名ホテルに宿泊することになり、叙勲や褒賞のために上京した人たちを、有名ホテルは最高レベルの接遇で迎えることになる。リムジンを貸し切れば、ホテル玄関の他の公用車やタクシーが制止されるほど、最優遇措置を講じることになる。

 勿論、筆者は天皇制を真っ向否定するような、偏った思想を持ち合わせていない。ただ、今の時代となっても、江戸時代からの既得権益者保護政策が延々と続いている点が、民主主義社会なのかと疑問符が脳内から無数に飛び出してくる訳だ。叙勲や褒賞がなくても、庶民生活は一向に変わらないのである。

 キャリア組も、入省から同じように大きな勘違いに陥り、血税を予算という呼び名に切り替えると、自分の所属する省庁の「小遣い銭」のような感覚に陥り、後先考えぬ愚策を講じることで、税金がことごとく無駄無価値なところへ流出してしまう。自分の腹を痛めることがないから、自覚も反省もない。

 話は水平線の向こうまで飛んでしまったが、ここで「ローマの休日」のエンディングの記者会見について語ることにする。

 ある記者の質問「欧州の連邦化が経済問題の解決策だとご自身もお考えか?」に対して、アン王女は「欧州の一致団結を促すための政策であれば賛成です。」とさらりと答えている。

 次に、別の記者が「国家間の友好関係について、今後の見通しはどうですか?」と質問すると、記者ジョー・ブラッドリーに目線を向け、「守られると信じます。個人の関係が守られるのと同様に・・・」と答えたのだった。記者会見を終え、アン王女が自らマスコミに対して挨拶をすることに(侍従たちは一瞬戸惑うが)・・・。

 ここで、この映画が1953年に上映開始されている点に注目して欲しい。当時のヨーロッパの歴史を紐解けば、1951年にドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ6カ国が、ECSC設立条約(パリ条約)に調印している。

 更に、1956年にECSC外相会議が「メッシーナ宣言」を採択し、欧州経済共同体(EEC)及び欧州原子力共同体の創設を決定。1957年にEEC設立条約及びEAEC設立条約調印。尚、調印国は上のECSC加盟6カ国であった。

 よって、「ローマの休日」という名作のエンディングに、アン王女が「欧州経済共同体」という国家間プロジェクトが円滑に動き、「欧州の連邦化が経済問題の解決策」に繋がることに賛成の意を唱えるところが極みであった。その理由に「国家間の友好関係は個人の関係と同様に守られる(※2)」と言い切った。

 「ローマの休日」のエンディングに気づいたのは、今回初めてのこと。何度も見た中で、完全に政治的なものを外して、流し見していたのだろうと。本日は、日本にとっては終戦記念日となる。敗戦国として、いつまでも難癖を付けられっ放しだが、ここらで、忖度なしにて、威風堂々とした品格のある国家となるよう、政治の中枢にいる方々及び国民の民度を最上位に上げたいものである。

(※1)グレゴリー・ペックは、当時のポスターで自分の名前がオードリーより上に書いてあるのを見て、「お前たちは後から恥をかくぞ。この映画の主演は彼女であり、きっとオスカーも取るだろうし!」と、オードリーが他界した後の取材で、オードリーが大女優になることを既に予言していた。

(※2)アン王女と記者の二人が、個人的な信頼関係(恋)に至ったことが、そのメッセージの根底にある。


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写真・文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2021/8/15 12:00 am

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