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ここ一番の時に、人は本性を現わす・・・

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 助けてくれる人、見捨てる人、難癖つけて逃げる人・・・これが、世の中である。

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 誰しも、自分が思うように物事が動かないことがある。筆者も、半生を振り返れば、山あり谷あり、紆余曲折の時を耐え忍んできたように思えてならないが、情けないやら、今も尚、現在進行形である。

 人生は、死ぬより生きる方が険しく大変だと言われるけれども、諸先輩の話を聞けば、なるほどと頷くばかり。その笑顔の奥には、私たちが想像を絶するような苦労も辛抱も沢山あったに違いない。しかし、そこはポーカーフェイスの諸先輩。見事である。(武勇伝を自慢げに語る先輩は除く)

 ここ数年間を振り返るだけでも、タイトルの通り、「ここ一番の時に、人は本性を現わす。」を身に染みて感じたことがあった。善かれと思い一所懸命に仕事をしても、契約先が豹変して難癖つけたり、契約不履行で逃げたり、愕然とすることがあった。

 固い絆であるはずの「信頼」という太いパイプも、一瞬の内に崩れてしまう。その時、その人の言動を冷静に分析すると、これまでにこやかで素敵な人間像であったはずが、嘘のように悍ましい残像として、投影される。

 取材を続けている中で、時折、事前連絡もなくドタキャンが増えたり、根拠もない悪い噂(濡れ衣)を流されたり。コンサル契約を自から依頼しておきながら、突然反故にしたり。敬愛の念も、仕事への情熱も全て嘘であったかのような愚行に触れて、心折れることもあった。

 大切な「信頼関係」であると考えていたが、悪い夢でも見ているような気分である。マグネシウムが一瞬にして燃え上がり、昇華する様とよく似ている。残されたものは、虚無感のみ。これまでの数年間、数十年間というものが、毒々しいフェアリーテールとなってしまう。とても残念なことである。

 上述のように「ここ一番の時に、人は本性を現わす。」に直面した時は、腑が煮え繰り返るほど腹立たしく、何度も何度も唇を噛み締めるが、逆にポジティブに前に前に進むよう、自分に言い聞かせながら尻を叩き続けることにしている。

 目の前を通り過ぎて行った人の中にも、極めて稀だが、人としてありえないほどの「捨て台詞」を置き土産にする人がいた。

 「今まで、いろいろ協力してきたじゃないですか!」、「今まで無理をして、頑張って来ましたよ!」、「優遇してもらったけど、肩身が狭くてダメなんです!」など、恩着せがましかったり、意味不明な言葉が飛び交った。仕事は互いの信義則を礎に成り立つものだが、一方的で的外れな言葉に閉口するばかり。多分に、社内又は家庭内で問題が生じたのだろうと・・・。

 「信頼」とは、距離が近くなればなるほど、礼節を重んじつつも、遠慮なく、敢えて相手の為に苦言を呈したり、冗談なり本音を言える間柄となる。しかし、豹変した人は、お金を支払う方が偉いかのような態度になったり、「恩着せ」という不協和音を放つ。仕事において全く問題はないのに、歪んだ感情的なものが噴き出してくるのだ。

 相手を「信頼」しているからこそ、コンサルとして契約、そして助言ができるが、そこで「恩着せ」を盾に、「実績」を無視することは、難癖や履き違えとしか言いようがない。唐突だが、「愛」と「恋」との違いが頭に浮かぶ。極論ではあるものの、「愛」は対価を求めず、「恋」は対価を求めるということだ。

 よって、「恋」には「失恋」という言葉があり、「愛」には「失愛」という言葉は存在しない。そこに大きな違いが有りはしないかと、筆者なりに考える。分かりにくく、アブストラクトな見解で申し訳ないが、筆者はそう感じてしまうのである。

 自称仕事人の筆者は、受けた仕事は200%でお返しするを常として来た。勿論、その情熱を充分汲み取ってくれる人もいる。時には、「これだけしてもらっても当然!」と、お金を支払う方が如何にも上位であるかのように、段々とその横着ぶりが露呈する人もいる。

 不適切な表現になるが、手首まで食って、更に、肘まで食い、旨かったら、肩まで食ってやろうという、貪欲さというものが滲み出ている訳だ。そこで、貪欲さの対象が見当たらなくなると、さっさと心無い置き土産となってしまう。

 以下は自己反省に基づくものだが、筆者の考え方や遣り方で不味いところは、200%の仕事で恩返しという点である。よって、皆さんが仕事を受ける場合は、契約に基づき、契約外業務まで首を突っ込み、世話をする必要はないということだ。それは、善かれと思い突っ込んだとしても、如何せん、「評価」は無視される可能性は高い。(良い時は良く、悪い時は最悪のレッテルを貼られてしまう)

 勿論、契約相手が人格者であり、互いに共存共栄へ必要不可欠なる間柄としてスクラムを組むのならば、200%と言わず、1000%の気力と能力をもって対応すべきだと考える。

 仕事には「愛」をもって臨み、また、大切な人へは唯一無二なる「愛」のみで勝負するのが一番であると。どんなに否定されようが、どんなに異見されようが、筆者の仕事への拘りやスタンスは、生涯変わることはない。


▼熊本県農業公園カントリーパークの薔薇の花
iyashi20220526


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  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/26 12:00 am

閉鎖的な組織ほど隠蔽に走る・・・

▼記事と写真は関係ありません

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 「虐め」が絶えない現在、被害者の1人の未来よりも、虐めた輩10人の未来を重視するような、爆弾発言をした或る教頭のニュースが流れた。本末転倒なる発言に、虫唾が走り、戦慄さえ覚えたのである。被害者の死に対して、教育者の気狂い発言は絶対に許されるものではない。

 脳が腐っている人物でなければ、このような発言をのうのうとできるはずがない。今まで数限りなく報道される「虐め」の事件について、学校側や教育委員会側のまともな記者会見を聞いた試しがない。聖職と言われる教育者の集まりながら、情けないことに、虚言の連発ばかりが記憶に残る。

 有名教育専門家が「閉鎖的な組織では、必ず、隠蔽ありきだ!」と切って捨てたが、御意となる。教育関連に限らず、一般企業においても、閉鎖的なところでは隠蔽ばかりが罷り通り、特に、役員による保身の為の責任転嫁、証拠隠滅、隠蔽工作などは日常茶飯事となっている。

 勿論、強力な労働組合が存在すれば、役員であろうが、首謀者を追及することは可能だが、大抵の場合は御用組合が多く、殆どの社員は悪質な経営側の隠蔽工作など知る由もない。よって、出来損ないの役員を串刺しにするような第三者機関は必要不可欠であり、とことん炙り出さなければならない。

 話は戻るが、全国放送にて、死に至った被害者を無視する狂人教頭については、マスコミもしっかりと顔写真を公表し、善良なる国民に問いかけて欲しい。代理人である弁護士も、冷静沈着な中にも、心の中では激昂したのではなかろうか。悲しいかな、被害者の母親は無念であろうと。

 理不尽なる事象が、間欠泉のように延々と吹き出しているのが現状だ。日本人精神文化の低迷が大きな要因であるが、「虐め」の被害者が目の前で踠き苦しんでいる時は、周囲は勇気を持って事実を開示し、苦痛に耐えに耐えている被害者を逸早く救済しなければならない。

 特に、コロナ禍によるニュー・ノーマルな生活を余儀なくされつつある、我々のこれからの人生において、「積善之余慶」を確と心に刻み込み、日々、世の為人の為に歩むことが求められる。


▼今週最後の冷製パスタランチ(熊本ホテルキャッスル)
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  • posted by Chikao Nishida at 2021/8/21 12:00 am

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