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縦横斜めの全天球型思考回路にて、全てのコンビネーションを活用し、リレーショナルデータベースを脳内構築へ!

CHIE2022


 以前、とても読書が好きな人がいた。あらゆる書籍を読み漁り、知識を増やし、最終的には自費出版に辿り着き、英訳本まで出版した人だった。

 とてもユニークな人柄だったので、ある時期、些か接点はあったが、それから20年ほどお会いしていない。

 そこで気づいたのは、その人が追い求めていたのは、「知名度」と「名声」であった。名前を売り、有名になって、前人未到なる分野のエキスパートになるのが夢であったようだ。

 地方では、そのような人はわんさといるが、実は、その読書法に、違和感を感じたのだった。ひたすら読書をするのは構わないが、執筆者の考え方が全く異なるものを、強引に自論(受け売り)へと持ち込んでいた。筆者は、それを敢えて「毒書による弊害」と呼んでいるが、読書とは、自分の読書量を自慢するものではない。

 特に、専門分野においては、メスの入れ方次第では、複数の異なる理論が真逆になることもしばしば。そこで、複数の理論をそのまま自論に埋め込めば、当然の如く、意味不明、理解不能な論理展開になってしまう。

<全天球型思考回路をフルに活用せよ>

 ここで、歴史上の人物である加藤清正公について考察することに。

 清正公は熊本城など多くの名城を築城した凄い武士というイメージが圧倒的に強い。西郷隆盛も西南戦争で、鎮守府(官軍)としての熊本城を攻め落とせず退散する時に、「おいどんは熊本城(官軍)に負けたのじゃなか。清正公に負けた!」と言ったとか言わなかったとか。

 よって、ある書籍には「築城のエキスパート」として書かれている一冊を鵜呑みすれば、清正公のイメージはそこで止まってしまう。

 ところが、或る文献には清正公は「築城のエキスパート」のみならず、「治水事業の神」の一人として書かれている。また、それを掘り下げて行くと、加藤から細川へ移行する時の肥後国の石高は、54万石から70万石を超え、最終的には90万石を超えている。全てに、清正公の治水事業の賜物と言う訳だ。

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※熊本では、清正公を「きよまさこう」ではなく、「せいしょうこう」に「さん」を付けて「せいしょうこうさん」と呼ぶのが一般的。

※清正公が築城した熊本城は、茶臼山の地形を利用した、要塞。

※清正公の治水事業のヒントとなったのは、50歳ほど先輩の武田信玄の甲府盆地の治水事業である。更に、武田信玄の治水事業の原点は、当時の禅僧から入手した、更に昔の中国四川省成都盆地の利冰親子による治水事業となる。

※肥後54万石というのが一般的な石高だが、細川氏は江戸城の老中へ、54万石と過小評価の申請を行い、何らかの「得」をしていたのだろうか。

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<リレーショナルデータベースの脳内構築>

 読書にあたり、其々の書籍にはいくつか「キーワード」が存在している。そこで、深掘りをするめに、その「キーワード」を絞り込み、上述の加藤清正公について、更に関連する書籍を厳選し、深掘りの参考書として読むことにする。

 それを続けていると、頭の中は、じわじわとリレーショナルデータベースが構築され、標題の如く、「縦横斜め全天球型思考回路」にて、リレーショナルデータベースが脳内に構築され、役立つ時がやってくる。

 更に、清正公について興味を持つ人がいれば、実際に、熊本県内に残る、清正公の治水事業の跡(物理的芸術作品)を辿ることで、清正公リレーショナルデータベースがビジュアル化することになり、一層素晴らしいデータベースの構築に繋がって行く・・・。

 これが、一人の歴史上の人物を探究する場合に、最短最適な読書法ではなかろうかと、筆者は考える。あくまでも、私見であるが。

 地元には、漫画で描かれた楽しい歴史本や歴史上有名な人物の書籍が出版(特に新聞社などの出版物が多い)されているので、それらに目を通されると、すこぶるオモロい情報を発見されるのではなかろうか。

 余談だが、熊本城についての大型本「熊本城-城郭・侍屋敷古図集成」(1993年 北野隆著)は、当時定価5万円ほどだったと記憶するが、現在、アマゾンでも中古本として販売しているようなので、興味のある方は、是非ご覧頂ければと。

▼過去記事「治水事業の神」(2013年9月10日)
https://www.dandl.co.jp/rsblog/index.php?UID=1378751884Link

▼「熊本城-城郭・侍屋敷古図集成」(1993年 北野隆著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00BG642G0?tag=note0e2a-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1Link

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※リレーショナルデータベース的思考回路は、日本らしい「駄洒落」ではなく、欧米の「ウィッツ」的な一捻り、二捻りのものが好ましい。

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▼熊本地震(2016年4月)以前に撮影した熊本城
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写真・文責:西田親生

                               

  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/15 12:00 am

「九曜紋」の考察から・・・

▼細川家家紋「九曜紋」をあしらった提灯

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 「九曜紋」(くようもん)とは、熊本県民にとっては、とても慣れ親しんでいる家紋である。社会人であれば、ほ とんどの人たちは、細川家家紋であることを知らぬ人はいない。一昨日、紅葉の名所でもある旧細川刑部邸庭園(12月5日まで無料開放)を散策しながら、「九曜紋」の提灯や瓦などを撮影し、ふと思い出したのだった。

 一つは、現代社会における古い「家紋」の経済効果である。江戸時代の肥後藩主であった細川家の家紋について、 「九曜紋」で検索すると、その経済効果が絶大なことが窺い知れる。美味しそうなお菓子の写真等がわんさと抽出さ れ、昔の和のデザインが、今も尚、脈々と生き続けている。

 二つは、特に名だたる武将たちの家紋を見てみると、左右対称のものがほとんどだ。とてもシンプルなものから複 雑なものまで、多種多様。そのデザインを最初に考案したのは誰なのか知る由もないが、長年にわたり、その一族の 威風なる存在を諸国へ伝えるシンボルマークやピクトグラム、アイコンとしての役割を果たしていた。

 今の時代でも、車のエンブレムを見ると、高級外車については、インパクトのあるアイキャッチの跳ね馬であれ ば、ポルシェ、フェラーリ。ステアリングイメージであればメルセデス。輪っかが4つであればアウディと、瞬間的に メーカーイメージが伝わり、それぞれの洗練された車のデザインが頭に浮かぶ。

 しかし、国産車のエンブレムで、インパクトのあるデザインはなかなか見当たらない。敢えて挙げれば、スバルの 「六連星」(むつらぼし)ではないか。このイメージは、国内外で「スバリスト」と呼ばれる人たちに、この上なく 愛され、親しまれていると聞いたことがあった。また、バイクであれば、ヤマハの「音叉」エンブレムが印象深い。

 このように家紋やシンボルマーク、エンブレムなどを考察すると、その家系なり企業なりの歴史と伝統を垣間見る ことができる。読者の方々も、手隙の時にでも、ご自分の家紋の歴史を辿ってみると、何か新たな発見があるのかも 知れない。因みに、筆者母方の家紋を調べると「梅鉢」であった。

 話は前後するが、熊本銘菓に「九曜紋」のデザインを施した「五十四万石」という美味しい菓子がある。また、熊 本ホテルキャッスル1階レストラン名は「ダイニングキッチン九曜杏」であり、個室の奥座敷は「細川」となっている。 熊本市内を見回すと、「九曜紋」は色んなところで重宝されているようだ。


▼旧細川刑部邸散策
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▼熊本ホテルキャッスル(シンボルマークは、県木の銀杏)
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文責:西田親生

                     

  • posted by Chikao Nishida at 2021/11/28 12:00 am

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