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「貧乏人は麦を食え」と発言した国会議員

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 今回、政治資金不正事件がきっかけで、自民党内で派閥解散についての騒動が巻き起こっている。

 その背後には1950年の参議院予算委員会において、当時の池田勇人蔵相(後に内閣総理大臣となる/広島出身)が、「所得の少ない方は麦、所得の多い方は米を食うという経済原則に従って政策を進めたい」と発言した出来事が根底にあるように思えてならない。今の若い世代は、この発言を知っているのだろうか!?

 宏池会は、その当時の池田勇人氏を中心として結成された自民党の代表的な派閥であった。この派閥の会長から出た差別的発言は、時が経っても風化することなく、我々の記憶に残り続けている。このような特権階級的な考え方は、政治における倫理の欠如を示し、深刻な問題であろうかと思うばかり。

 池田勇人氏が第五高等学校(現在の熊本大学)と縁があり、「(※1)弊衣破帽の精神」を継承する人物として敬愛している。しかし、この差別的な発言だけは、史実として忘れることはできない。

 現在の報道によれば、自民党派閥解体の話題が頻繁に取り上げられているが、問題は派閥自体ではなく、議員自身の心構えや倫理にある。地方でも「口利き料」などの裏金が存在することからも、議員の関与が指摘される。このような社会問題を放置してはならないのである。

 従って、売名や私服を肥やすために議員になる人々は、議員としての資質を持たないばかりか、違法行為の温床となっている訳だ。

 政治資金不正事件は、数十年にわたり横行してきた問題の一端にすぎない。特権階級として自己視してしまい、国民の代弁者としての責務を果たしていないばかりか、ドミノ倒しのように政治家モラルの崩壊につながっている。

 畢竟、この事件を契機に、真摯な改革を実施し、透明性の高い清廉な政治家としての役割を果たすことが求められるのではなかろうか。

 余談であるが、吉田学校として知られる主要メンバーには岸信介(安倍晋三の祖父)、池田勇人、佐藤榮作(岸信介の弟)、田中角栄などがいた。

 当時、池田と佐藤との間で諍いが生じた際、吉田茂が「(※2)呑舟の魚は枝流に游がず」と池田に、「(※3)燕雀知らず天地の高さ」と佐藤に伝える(当時のメッセンジャーは田中角栄)ことで諍いは収束し、池田が次期首相となり、佐藤がその後を継ぐ流れとなった。

(※1)弊衣破帽の精神
「弊衣破帽」(へいいはぼう)という言葉は、「古びた服や破れた帽子」という意味だが、実際には外見や物質的な富に価値を置かず、内面の精神性や道徳的な価値を重視する態度を表している。

(※2)呑舟の魚は枝流に游がず
 「呑舟の魚は枝流に游がず」という名言は、舟を呑み込むような大魚(大人物)は、小川のような支流で泳がず、大海にて威風堂々と泳ぐという例えである。 

(※3)燕雀知らず天地の高さ
 「燕雀知らず天地の高さ」は「井の中の蛙大海を知らず」と同義。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、政治資金不正事件とその背後にある池田勇人の発言について評価します。著者は派閥解散騒動を取り上げ、池田勇人の発言から派閥の問題、議員の倫理、政治資金不正事件まで幅広い議題に触れています。以下は評価のポイントです。

歴史的背景の活用: エッセイは、池田勇人の発言を1950年の参議院予算委員会に遡って説明し、歴史的背景を提供しています。これにより、読者に対して事件の重要性を理解させる助けになります。

問題提起と社会問題への言及: 著者は池田勇人の発言から現代の政治問題への洞察を提供し、特権階級的な考え方と議員の倫理の欠如について言及しています。さらに、地方の問題や議員の関与にも触れ、社会問題への関心を高めます。

提案と結論: エッセイの結論では、政治資金不正事件を真摯な改革の契機とし、透明性の高い清廉な政治家の必要性について議論しています。提案と結論は明確で、問題を解決するための具体的な方針を示しています。

文化的要素の説明: エッセイには「呑舟の魚は枝流に游がず」と「弊衣破帽の精神」といった日本の文化的な比喩が含まれており、これらの要素は読者により深い理解を提供します。

全体的に、このエッセイは歴史的背景を活用し、社会的な問題を指摘し、提案と結論を明確に述べています。著者の議論は論理的で組織的であり、読者に政治の倫理的側面について考えさせる良いエッセイです。
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写真・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/26 12:00 am

仕事を趣味と思えば、気持ちが楽になる。

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 人は、若き頃の筆者もそうであったが、趣味の領域では、水を得た魚のように生き生きとしており、元気溌剌としたオーラが漂っていた。

 ところが、目の前の仕事となれば、失敗が許されぬ仕事へのプレッシャーや周囲の人間関係にて、心身ともに日々疲弊することが多く、いつの日か、突然もがき苦しみ、耐えるに耐えれぬ状況下に置かれてしまう。

 メンタル面はとても大切なものであり、特に、仕事面では仕事内容そのものよりも、周囲の人間関係の方が毒性が強く、恫喝など言葉の暴力に潰され、自らの異変に気づいた時は、相当なダメージを喰らっているのである。

 仕事を仕事と思うからこそ、日頃の上下関係が頭から離れず、冗談混じりの嫌がらせを真に受けて仕事に集中できず、心と身体のバランスを崩しがちとなる。パワハラやセクハラは朝飯前のように行われていた時代の名残である。

 そこで、仕事は趣味であると思えば、仕事自体のプレッシャーからは解放され、考えようでは不完全な仕事を完全なるものへと動かすことに生き甲斐を感じるようになってくる。よって、周囲の心無い人の嫌がらせや揶揄など、全く気になることもない。

 面白いもので、仏頂面の上司でも、会社経営者たちでも、若き頃は同様の悩みに直面し、もがき苦しんだはずだ。その修行の過程において、処世術にてパスしてきた人間だけが、長年の間、会社に居座ることになる。

 人というものは、どうしても他者と比較をすることで、自らの優位性を重んじるがあまり、無意味に敵対心を持ったり、他者を陥れたり、モラルなき、仁義なき戦いをしている。大変ご苦労なことである。

 国内、津々浦々、数ある企業や教育関係、医療関係など、修羅場と言われるような環境は無数に存在している。勿論、パワハラやセクハラ事件が多発する中でも、平然と罪を犯す心無い人が、今も尚、暗躍しているのも事実。しかしながら、事件になるのは氷山の一角である。

 仕事は、趣味である。趣味を楽しみ、休むために働くのではなく、働くために休むことが必要だ。心身ともに疲弊している自分に気づいた時は、無理をせず、堂々と休暇を取り、崩れたバランスを微調整することをオススメしたい。

 最後に、言葉は適切ではないと思われるが、一言、物申しておきたい。

 「叱責されようが、揶揄されようが、仕事で失敗しようが、絶対に死ぬことはない。」のだから、自らのリズムを崩さず、「Going my way.」ならず、協調性を保ちながらも「強引にマイウェイ!」で、社会人として充実した日々を楽しんで頂ければと・・・。

josui-chikao


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  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/19 12:00 am

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