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コンサルは諸葛亮孔明のような人物たれ!

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 いろんなコンサルの「note」を拝読すると、先ず、驚くのが自画自賛のオンパレードで「俺は天才だ!」と言わんがばかりの自己宣伝に傾注している人がいる。

 それも、高学歴でいろんな企業に携わり、山ほどの実績を背負っている感を出しているが、はて、その人格はとなれば、少々、ノイジーマイノリティ側に立つ方かと思い、拝読を止めてしまうことが多い。

 よって、コンサルは、高学歴を謳い知識を光らしめて、自分を売るものではないのだが、それに気付かぬコンサルも多いように思えてならない。

 コンサルは、コミュニティのガキ大将ではなく、常に脇役として、諸葛亮孔明のような役割を果たすのがベストである。そこで、大上段に構えて、我こそはで自己宣伝されても、苦笑ものとなるだけの話。

 人格とは、当然のことながら、公序良俗に反することを過去においても、現在、未来においても縁遠い人を指す。更に、クライアントに対して、自然体で接し、嘘偽りなく、最短最速最適な打開策を講じるのが、コンサルの醍醐味でもあり、重責であるはずだ。

 数百冊、数千冊もの実務書を読破し、どんなに知識を付けようが、重要な人格が欠如していては洒落にもならない。そのような人物は助成金や補助金問題で人参(虚偽情報)をぶら下げ、最終的には約束を果たさず、クライアントとの諍いが生じて逃げるばかりとなる。

 肝心なことは、サイレント・マジョリティ側に立つコンサル目指して、日々研鑽を積み重ね、信頼の厚い、頼り甲斐のある、切れ味の良いコンサルであるのが理想的な姿ではなかろうか。

 蛇足ながら、じゃじゃ馬のように日々SNS上で、自己宣伝のために大騒ぎしている姿は、欲目で見ても格好いいものではなく、信頼に値しない。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージした何ちゃってコンサル
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▼ChatGPTによる感想

このエッセイはコンサルタント業界に対する鋭い批判と理想の模索を提示しています。著者は、多くのコンサルタントが自己宣伝に忙しいことを指摘し、それが実際の能力や人格と必ずしも一致しないことを憂慮しています。特に、高学歴や実績を前面に出すことで自己の価値を過大に宣伝する姿勢は、著者にとっては本来のコンサルタントの役割から逸脱していると感じられているようです。

エッセイにおける諸葛亮孔明の比喩は、コンサルタントが目立つことよりも、裏方として効果的に機能し、クライアントの成功を支えるべきだという理想を示しています。孔明のように、知恵と策略で他者のために尽くす姿勢が求められているのです。

また、エッセイは人格の重要性を強調しています。どんなに知識が豊富であっても、誠実さや倫理性が欠けていれば、コンサルタントとしての価値は低いとされています。クライアントとの信頼関係を築き、真の意味での支援を行うことが、最も尊い職務であると著者は主張しています。

この観点から、コンサルタントは自己中心的な行動を控え、よりクライアントのニーズに応じたサポートを心掛けるべきだというメッセージが強調されています。さらに、SNSでの過度な自己宣伝は品位を損なうとも指摘されており、真摯な姿勢での職務遂行が求められています。

全体として、このエッセイはコンサルタントに対する深い洞察と改善への呼びかけを含んでおり、業界内での倫理的な態度と職務の本質に焦点を当てています。これは、単に知識や技術を売るのではなく、真の価値を提供するプロフェッショナルであるべきだという強いメッセージを送っています。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/4/20 12:00 am

『利他の精神』は、世の中を平穏に。『利己の精神』は、世の中を不穏に。

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 人と人との接点において、天秤に掛けては、自らの利益ばかりを求める人の方が多いに違いない。よほど神的仏的存在でない限り、『利他』を生涯全うすることは容易くはない。

 先ずは、人の立場になってよく考えること。酷く凹み切って困り果てている人を助ける。自らが力不足であれば、知人友人へ救援を頼む。

 古き昭和時代と雖も、『向こう三軒両隣』と言い、近所の向かいの三軒、そして我が家の両隣には、独特の『利他の精神』が存在し、互いに困っている時に支え助け合う関係が成り立っていた。

 現在は、マンションであっても、新興住宅地であっても、『向こう三軒両隣』が昔のように成り立つところは皆無に等しい。最悪の場合、向こう三軒も我が家の両隣も、どんな人が住んでいるのか知らぬことが多い。

 筆者も御多分に洩れず、両隣は貸家になっており、挨拶に見えたことは記憶するが、具体的にどのような仕事をされているのか、家族構成がどうなのかは、判然としない。

 向こう三軒も、朧げながらに隣人の職業は知り得ているものの、日頃から双方の生活時間が合わず、数ヶ月に一度ほど立ち話程度の接点しかない。筆者は最古参の住人の一人だが、新しく入居される方との距離は、次第次第に遠のいて行く。

 或る日のこと、大きなタラバガニが贈ってきたので、全部食べれないと思い、隣人の方々へシェアすることにした。しかし、そのカニを受け取りながら返ってきた言葉が、「いつも、こんなに高級食品を食べられてるんでしょうね!?」と。意外な反応に愕然とした。

 勿論、取材ではちゃんとした物を撮影し試食するが、普段、腹が減れば、カップヌードルも、レトルトカレーも頬張りながら仕事をしている自分がいる。夜食となれば、冷蔵庫を漁り、残り物に手を加えて、おじやにしたり、目玉焼きを上に乗せたり、当然の如く、庶民らしい生活である。

 『利他の精神』と一口に言っても、これは筆者のような庶民が一朝一夕に会得できる精神ではない。考えれば考えるほど、自らの半生において納得できぬことが多く、猛省ばかりとなってしまう。

 人様が『寸志』と言われても、頂くものは感謝して、しっかりと食し、その感想なりを届けるのが、頂いた側の礼儀である。「こんなに高価で美味しいものを他人の私に差し上げるよりも、自分で楽しめば良いのに!」と思うこともしばしば。

 筆者が知り得る人の中で、『利他の精神』をお持ちの方は、五人ほどいらっしゃるが、決して、贅沢三昧をされるような似非セレブではない。自らが大変な時でも、ポーカーフェイスにて、人助けをされている方々ばかりだ。

 よって、筆者ごときが『利他の精神』について語るべきものではないが、庶民の一人として思うことは、他人の幸を真剣に考えられる人は、神様仏様の次元にて、現実世界を超越したところに立たれているということだ。

 そのような方々を考えていると、これまで体験してきた『諍い』が如何に小さなものであるかと、恥ずかしくもあり、赤面ものとなる。

 多くの人は、自らの施しに対して見返りを求めてしまう傾向がある。しかし、そこが根本的に異なるのが、『利他の精神』をお持ちの方々である。決して見返りを求めず、自然体にて他人の幸を祈る方々である。

 人生、三分の二を過ぎた筆者であるが、山頂の『利他の精神』に辿り着くには、気が遠くなるほど、果てしなさを感じてしまう。まだまだ未熟者であるが故に、試行錯誤ばかりの日々なのだろうと。

燕雀知らず天地の高さ
西田親生の自由気まま書
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書・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2022/12/30 12:00 am

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