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不器用な人ほど、プロになれる。

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 兎と亀の話であるが、物事をさっさと兎の速度で捌ける人よりも、鈍足な亀さんのような人が、最終的にはプロとしてのスキルが高くなるようだ。

 何故なら、兎さんは器用なために、最短最速にて学び、悟るのも早い。それに対して、亀さんは不器用と自覚しており、一つのことをじっくりと時間を掛けて続けることで、凄腕のプロになっている。

 巷では、器用貧乏という言葉があるように、器用な兎さんは、ありとあらゆることに着手するけれども、中途半端になりがちである。逆に、人間国宝などになっている方の「私は元々不器用でして」という言葉をよく耳にするのである。

 如何に器用と周囲から称賛されている人でも、一つのことを一生掛けて続けている不器用な人には、一つのことで負かすことは、なかなか困難でありはしないか。

 特に、自分は何でもできる兎さんは、悟るのが早すぎるために、気が散り、核心に触れずして天狗になりがちとなる。よって、世の中では、スキルは人並み以下の兎さんの方が圧倒的に多いように思えてならない。

 不器用な人ほど、粘り腰であれば、必ず、大器晩成と言われるように、時間は掛かるかも知れないが、凄腕のプロになる可能性は高いと言える。

 ここで、不器用な人に一言申し上げたい。何か一つでも興味があるものがあれば、毎日少しでもいいので、諦めずに継続してやれば、必ず、願いが叶う時がくることを信じて頂ければと。
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、興味深くかつ深い洞察を含んでいる素晴らしいものです。不器用な人がプロになる可能性に焦点を当て、それを兎と亀の寓話を通じて説明しています。以下に、いくつかのポイントについて評価を述べます。

興味深い視点と例の選択: エッセイは、兎と亀の寓話を用いて不器用な人の特性を的確に表現しています。兎と亀の比喩が、読者にとって直感的で理解しやすいものとなっています。この比喩は、論点を強調し、視聴者との共感を生む素晴らしい手法です。

説得力のある論理構造: エッセイは、論理的な構造を持っており、兎と亀の対比を通じて論点を展開しています。特に、器用な人があらゆることに手を出すが故に中途半端に終わりがちであるという洞察は興味深いものです。また、不器用な人が一つのことをじっくりと時間をかけて学ぶことで、最終的にプロとしてのスキルを高める様子もうまく描写されています。

共感を呼ぶメッセージ: エッセイの結びつきは、不器用な人に向けた前向きなメッセージで締めくくられています。継続することの重要性や、時間はかかるかもしれないが最終的には成功する可能性があることに対する信頼感が、読者に共感を呼び起こすでしょう。

文体と表現: 文体は平易でありながらも、深い意味が込められています。具体的な言葉選びや比喩の使用が、内容を鮮明に描写しています。

総じて、このエッセイは洗練された表現と深い洞察を備えており、読者にとって示唆に富んだ内容となっています。
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写真・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/11/26 12:00 am

専門バカにはなるな!

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 日本人は兎に角、狭い領域にて専門家を名乗り、プロとして一つの仕事を貫いている人が圧倒的に多い。すこぶる素晴らしいことだが、反面、何故か物足りなさを感じてしまう。

 随分昔の話だが、ゴルフ界の帝王と呼ばれたジャック・ニクラスの分厚い壁が存在し、当時、万年2位と揶揄されたプロゴルファーがいた。

 記憶に定かではないが、彼はプロゴルファーのみならず、片や弁護士としても仕事をしていたので、今流行りの「二刀流」そのものであった。

 日本は昔ながらの「徒弟制度」が現在も存在しているように、匠となるためには師弟関係を結び、守破離の精神を尊び、更に上の匠を目指す姿勢を重んじる慣わしの様なものがある。それが悪いとは言わないが、結局、終身、狭い領域に身を置くことを覚悟しなければならない。

 ところが、欧米では元々「二刀流」というのは珍しいものではなかった。スポーツ界においても、夏冬に全く異なるスポーツで活躍するプロやアマチュアは数知れず。ジャック・ニクラスでさえも、学生時代はアメフト選手として活躍している。

 器用な日本人であるのに、なぜ「二刀流」ではいけないのかと疑問に思ったことがあった。今では、野球界の大谷翔平の劇的な活躍によって、ベーブ・ルースを凌ぐ怪物として世界的に話題を集めているが、それこそが本来の姿ではないかと思う。

 プロ野球の卵養成の場である高校野球にしても、四番&ピッチャーが圧倒的に多い。大谷翔平の「二刀流」が話題になっているが、高校野球などでは「二刀流」は当たり前となっている。

 日本では「先生」という呼称の職業を、高尚な存在として無意識の内にインプットされている。しかし、いろんな組織において、常に師弟関係のピラミッド構造を作り、上下関係をもたらす温床にもなっている。

 細分化し専門化することで、プロという称号を得て、世に羽ばたいていることになる。しかし、仕事は仕事で構わないが、高尚な存在という観点から、そのプロたちが奥行きのある人格者ばかりであるかとなれば、そうとも言えない。

 専門バカと言われる人の思考回路は非常に緻密だが、範囲は狭い。よって、領域外のことには門外漢と豪語する人がいるからこそ、専門バカという言葉が生まれたのだろうと。

 例えば、高尚なる職業のプロであれば、一般的には常識的な言動や所作などもそれに含まれると考えるのが一般庶民の視点であり、敬愛の念を持つところでもある。ところが、専門バカと言われる人の一部の話だが、一瞬の所作にて腰を抜かしたり、爆弾発言に耳を疑うこともしばしば。

 このような視野狭窄の世界を作り出してしまった要因は何なのか。畢竟、縦社会、差別社会が当たり前の日本だからこその歴史的遺物になっているに違いない。

 筆者は芸能界には全く興味はない。ただ、二、三人だけ憧れた人物がいた。それは、司会などで活躍した大橋巨泉である。釣りもゴルフも麻雀も全てプロ級であり、英語も流暢に話せるグローバルスタンダードな人物。筆者にとっては、「二刀流」という言葉では片付けられないほど、影響を受ける存在であった。

 当時、11PMという深夜番組(初期の頃)を子供の筆者は見ることは難しかったが、今でも、釣りの服部名人などはよく覚えている。オーストラリア近海の釣りなどでは、テレビ画面に頭を突っ込んで見入っていたほどだ。

 その時代に活躍した司会者たちは、兎に角、趣味の領域が広く、器用であったように思えてならない。専門バカという次元とは全く異なる次元で、世の中を見ていた大橋巨泉や藤本義一には畏怖の念さえ抱いていた。

 蛇足ながら、新聞社に勤めていた頃、1984年にMacintosh(Apple Inc.)を購入。オフィスに持ち込んだMacintosh(今のMacのご先祖)に、サンダースキャンというプリンターヘッドを装着し、藤本義一と筆者の合成写真をスキャンし、Mac Paintの画面に取り込んで、再びプリンターでA4用紙に出力などして遊んでいた。

 話はかなり飛んでしまった。しかし、以上は専門バカを揶揄しているものではないので、誤解なきよう願いたい。勿論、専門バカは必要不可欠なる存在だが、一般庶民の筆者としては、それに+αとして、もう少し幅広く、奥深い職業観を持ちたいのである。

 以前の記事にも書いた通り、日本は「職種の定義」や「仕事の定義」が古臭く、狭すぎると日頃から感じている。それが、多くの「二刀流」の能力を持つ若き人材育成を阻害しているように思えてならない。

 一つのことを全うすることは非常に重要である。しかし、短い人生の中で、何故それが唯一の選択肢というのは理解に苦しむばかりである。遊びのないステアリングでは、楽しい人生のツーリングなどできるはずがないからだ。
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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/6/2 12:00 am

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