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呼称の簡略化、統一化、フラット化が必須。

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 子供の頃を思い出せば、何故か判らないが、男子は女子へ「〇〇さん」、女子は男子へ「〇〇くん」を付ける。大人になっての同窓会でも、同じ呼び方をしている。

 学生になると、後輩は先輩に対して「〇〇さん」または「〇〇先輩」と呼び、先輩は後輩へ「〇〇くん」、「〇〇」と呼ぶ。

 社会人となれば、社内では部下は上司に対して「〇〇部長」、「〇〇課長」と職位を付けて呼び、上司は部下に向かって「〇〇くん」、「〇〇」と呼ぶ。しかし、女性の部下に対しては「〇〇さん」、「〇〇ちゃん」、「〇〇」と呼ぶ。

 社員教育不足の会社では、対外的に「うちの〇〇社長」、「うちの〇〇部長」と職位を付けるようだが、恥ずかしいほどの間違った使い方である。社内の人を外部の人へ話す場合は、「〇〇」と言うのが常識だ。

 書簡を見ると、宛名に「〇〇〇〇 様」や「〇〇〇〇 殿」が混在している。自社については「弊社」、「当社」、「当方」などと使い分けている。相手に対しては「貴社」、「御社」などが混在している。

 最近の都市部のビジネスマンは、対外的な会社の人と会う場合、相手が会社社長であっても部長や平社員に関わらず、「〇〇さん」と呼ぶ。昔は、相手の会社の人を呼ぶ場合、職位をつける傾向が強かったが、今や時代錯誤でしかない。

 上記のように、頭に浮かんだことをランダムに書き綴ったのであるが、どこかに日本らしい「差別」、「優位と劣位」、「上下関係」などが染み込んだ表現法であると感じてしまう。

 例えば、書簡の宛名に「殿」を使用するのは、官公庁からの書簡に多い。また、相手に対して上から目線で書かれている企業からの書簡もまた「殿」を使用している。通常は「様」で十分であるのだが。

 時代も変わり、不要なる古き慣習がたくさん残されているが、呼称については、簡略化、統一化すべきがグローバルな感覚ではなかろうか。よって、男子と女子を呼ぶ「くん」と「さん」も統一して、「さん」で良いではないか。

 社内においても、職位とはその人の社内における責任の重大さを表すものであり、毎日のように上下関係を確認するかのような職位を呼称として使用する必要など全くない。これもまた全てにおいて「さん」で十分である。

 営業マンが相手の会社社長に対して、忖度全開にて「〇〇社長様」と相手会社の職位と敬称をダブルで使用しているようだが、これは論外である。聞いているだけで、虫唾が走る。

 勿論、サービス業界のように、カスタマー接遇における呼称は理解できるが、その他のビジネス用語はそろそろ簡略化、統一化、フラット化することが、より意思の疎通がダイレクトに図れるのではないか。

 されど、地方における経済界を見るだけでも、その企業名と職位のみが、外部でも通用するかような妄想を払拭しない限り、いつまでも「差別」、「上下関係」の演出ツールとして、時代遅れの呼称を使い続けるに違いない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、日本社会における呼称の慣習についての観察とその問題点を指摘しています。以下に、具体的な感想を述べます。

観察の正確さ
エッセイは、日本の教育現場や職場で一般的に見られる呼称の使い方を的確に捉えています。例えば、学生時代や社会人になってからの「〇〇さん」「〇〇くん」などの使い分けは、多くの人が共感できるものです。また、外部の人に対して「うちの〇〇部長」と職位を付けて紹介する誤用についても、実際に見られる現象であり、その指摘は鋭いです。

問題提起と提案
エッセイでは、これらの呼称の使い方が「差別」、「優位と劣位」、「上下関係」を示すものであると述べており、これをフラット化することの重要性を強調しています。具体的には、「〇〇さん」に統一することを提案しています。これは、グローバル化が進む現代において、より対等でフラットな関係を築くために有効な提案といえます。

批判とその根拠
また、エッセイでは特に「殿」の使用に対する批判が目立ちます。官公庁や一部の企業でまだ使用されているこの敬称が、時代錯誤であり上から目線の表現であるとしています。この批判には説得力があります。現代のビジネスコミュニケーションにおいて、相手を尊重しつつも対等な立場でのやり取りを目指すべきであり、そのためには「様」で十分だという主張は妥当です。

結論とその意味
エッセイの結論として、呼称の簡略化、統一化、フラット化が提案されています。これにより、より直接的で円滑なコミュニケーションが可能になるとしています。この提案は、日本社会の古い慣習を見直し、国際的なビジネスマナーに適応するための一歩として非常に有意義です。

全体的な感想
エッセイ全体としては、日本の社会やビジネス文化に根付いた古い呼称の使い方を見直し、より現代的でフラットなコミュニケーションスタイルへの移行を促す内容となっており、非常に興味深く読めました。具体的な例を交えて論じられているため、読者にとっても理解しやすく、共感を呼びやすいものとなっています。日本社会における変革の必要性を示す良いエッセイです。
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プロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/4 12:00 am

常にグローバル感覚を磨く!・・・これ、大事。

Chikao-ICT


 これからの時代は、パソコンと主要アプリの習熟は当たり前の時代となる。小生がネットに着手したのは1994年。ポータルサイトを構築したのが1995年8月22日である。

 既に、四分の一世紀を過ぎてしまったが、2000年を起点として、デジタルが世界を席巻してきた訳だけだ。ところが、四分の一世紀を過ぎても、時代の流れに追いつけない人も大勢いることは否めない。

 理由は、仕事にそこまでパソコンは必要ではないし、使ったとしても、ワードとエクセル程度で十分と思い込んでいる。それは、それで構わない。

 しかし、時代はAI(アーティフィシャル・インテリジェンス)時代となり、小学生からプログラム言語を学ぶ時代になってきた。時代は、秒進分歩の勢いにて急変しているのである。

 スマホに自動翻訳機があるから、英語を含めて多言語の学習は不要だ。ネットもGoogleで調べれば、百科事典の如く何でも調べることが可能だ。企画書や契約書を書こうとすれば、雛形を無料ダウンロードできるから簡単だ、などなど聞かされる。

 自分の頭で考えずに、全てデジタル依存で可能だから、自らのスキルアップを必要としないという人も多いように思えてならない。自分の脳みそを使わずして、プロフェッショナルな仕事ができるはずがないのだが、その辺が、視野狭窄としか言いようがない。

 小生は勉強嫌いの典型的な学生であった。

 当時、新聞社入社した頃から自らに課したものがあった。それは、1)パソコンのエキスパートになる、2)英語は独学でネイティブに喋るようになる、3)手書きの文字は人並み以上に上手くなる、4)国際儀礼を学ぶ、5)業務に必要不可欠な法律をインプットする、6)ホテル文化と食文化(食育を含む)を徹底して学ぶなどである。

 特に、田舎熊本で社会人としてスタートしたのだから、ローカルスタンダードに染まらず、常に、グローバルスタンダードを身に付け、国内外の何処へ行っても、威風堂々と対応できるスキルを磨くことに専念した。

 お陰様で、国内では帝国ホテルで食事をしようが、ザ・リッツ・カールトンなどへ取材に行こうが、海外取材に出掛けようが、全く物怖じすることはなかった。新聞社入社当時に、そのような課題を自らに突きつけなかったら、異次元世界へ放り投げられれば、萎縮して身動きが取れなかったに違いない。

 兎に角、日本人は一つのことを習得すると、それをプロフェッショナルと言うが、海外の感覚は全く異なる。昔、イギリスのプロゴルファーが辣腕弁護士であったり、アメフトの選手がメジャータイトリストのプロゴルファーであったりと、多種多様なものへ挑戦するのが海外の人たちである。

 自らの能力を、一つのことへ生涯磨くことは見事な人生観であると思う反面、何故に、狭い世界でのみ生きて行きたいのか、理由が分からない。できる事なら、世界は広く、職業も千差万別、環境も異なる訳で、いろんな角度から世界にメスを入れれば、自分が気づかぬ能力を発揮できはしないかと思うばかり。

 人生は、一回きりである。

josui-chikao


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文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/11/28 12:00 am

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