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自己満足ばかりを求め、墓穴を掘る。

▼記事と写真は関係ありません

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 最近は、刃物を使った殺傷事件が横行し、それも、一度そのような事件が発生すると「これだ!」と思って、連鎖的に犯罪が急増する傾向があるようだ。何かに対する苛立ちや、自暴自棄となり孤立した挙句の脳内爆発。我々常人としては、理解に苦しむところである。

 このような蛮行に至る要因は様々であるとは思いつつ、極論であるけれども、幼少期の育ちや躾、教育、更には両親や祖父母からの愛情の欠落ではないかと推察する次第。筆者自身も幼少期を思い起こせば、現在でも理解に苦しむような周囲の言動が記憶に刻まれている。

 ただ、家庭的には「悪さをすれば、厳罰に処す!」ような厳しい家庭であったために、社会悪への一線を越えることを考えたこともなく、実際行動に移したこともなかった。しかし、自分の心の中では何度か水爆級の憤りを覚えたこともあり、社会人となり、当時の是非を考えるに至っている。

 現代社会は「いじめ」のオンパレードのような醜い社会。しかしながら、「いじめ」も昔から存在しているもので、それを社会悪として取り上げるようになったのは、この三十数年ほど前だったと記憶する。筆者は「いじめ」の対象者になりにくい性格だったけれども、一度だけその対象になったことがあった。

 それは、同級生や幼友達との歪な関係ではなく、担任教師Kからのダイレクト、且つ、公然とした「いじめ」に遭遇したのであった。その教師Kが、「君の1歳年下の従兄弟は勤勉家で人の言うことを良く聞くが、君は根性も皮肉れ腐っているし、どうしようもない!」が口癖だった。

 授業中に筆者の後ろに近づき、「これは三年苔というんだよ。首周りが汚れまくっている!」と、クラス中に聞こえるような声で、筆者の襟を指差して嘲笑していた教師K。今でも、その人物の言動を許すことはないが、逆に、「可哀想な人物」の一人として記憶の箱に封印している。

 このように「いじめ」の最先端にて暴言を放っている教師Kもいたのだから、子供の筆者としては対抗策を講じることは、我慢以外できなかった。当時は、手のひらビンタや細い棒(ネブチと言っていた)の愛の鞭など日常茶飯事の時代。或る高校の柔道教師が2度も生徒の鼓膜を破ったという事件も起きた。勿論、その柔道教師は左遷であるが辞職には至らなかった。

 また、最近「私は負けると泣きじゃくるほど悔しいんです!」というコメントを頂いたことがあった。これは、近年で話題にもなっている「アンガーマネジメント」に通ずるものであり、自分の心をコントロールできない不器用さが、そのまま激昂となって現れるものではないかと思われる。

 プライドの高い人ほど、この激昂はエベレスト山のブリザードのように激しい。「負けて泣くより、勝って泣け!」または「負けて泣きじゃくるより、超えて泣け!」と物申したい。人生は終焉まで「学習」である。発展途上の若き成人は、これから幾重ものエベレストのような、気が遠くなるような山々を縦走しなければならない。

 一昨年だったか、「私は瞬間湯沸かし器のようにキレるタイプです!」と言い放った某企業の社長がいた。このタイプは、負けず嫌いもさることながら、根幹の部分は、自信喪失(社内降格を2度経験)及び父親からのDV、そして家庭内離婚が全てを物語っているように思えてならない。つまり、自ら信頼できる対象者がいないのである。

 自信過剰の人間は、或る時、とんでもない失態を曝け出し、想定外の降格処分なり解雇なりに直面する。自分以外の人々を全て否定し、我こそがお山の大将と思い込んでいるのである。我が身勝手持論が理想であり、他のサジェッションなどには耳を傾けず、誤ったベクトルにて暴走、爆走を繰り返す。

 更には、視野狭窄という資質も要因の一つであり、実務書ばかりに傾倒しているあまり、「私は文豪なるものの本を読んだことがありません!」と豪語する。だったら、ハリセンボンのような毎日を送るのは当然だが、時折、石坂洋次郎の純愛小説でも読んでみれば、凡人の心の動きが分かるというものだ。

 何についても「偏り過ぎ」は、人生をネガティブな方向へと引き摺り降ろす危険性が無きにしも非ず。世の中の鳥瞰図をしっかりとマクロで捉え、更に、自分に欠落している分野なりジャンルなりを、勇気を持ってこっそりミクロ的に垣間見るのも、視野狭窄解消の秘策であると考えられる。

 テレビの向こう側では「◯○評論家」という人物が、滑舌良くバルカン砲のように喋っている。自分では妙な人物であるとは思っていないだろうが、論旨を分析すると、どこかに「稚拙」さが沢山転がっている。以前、公金を無駄遣いした知事さんあたりも、同様であると受け止めている次第。

 何はともあれ、自分自身の背中を客観視できない人たちは、知らぬところで、数知れずの「赤恥」をかいている。今回の日本大学の大騒動も然り。2歩も、3歩も引いてみれば、「稚拙な子供集団」であると、世の中に映っているに違いない。関わっている人間は全てが「守銭奴」であり、教育分野には不似合いな人物であった訳だ。

 欲目で見れば、処世術に長けており、差別化の軍師であったのかも知れないが、自分自身と近しい周囲のみの「幸」を追求しては、そのまた周囲は迷惑千万であるばかり。誰しもその環境下において「幸」を感じることはない。ただ「惰性」で現在に至っているだけの話である。よって、「惰性」を黙認してきたところが、お山の大将への忖度重視の「稚拙な子供集団」である証となる。

 前述の「瞬間湯沸かし器のような人間」は、自信過剰ではあるが、その以前の「忖度主義」の社内構造にもあたふたしていた。自分が世話になった人物を表では忖度し、裏では凌駕のために「○○ボンクラ」の集団を指揮してきた暴君だと、毎日のように誹謗中傷を繰り返し投げ掛けた。

 以前、「猿の惑星のような社内」と記事にて書き込んだことがあったが、まさしく、現代社会の見えざる会社の裏側。ほとんどと言っても過言ではないほど、「猿の惑星のような企業」がわんさと存在している。勿論、先日の自民党総裁選の経緯を振り返れば「猿の惑星のような人物」も数人暗躍していたのも記憶に新しいところである。

 畢竟、自分の心を如何にコントロールできるかが「鍵」となるが、筆者も含めて、そのコントロールは容易いものではない。だから、失態もあり、失言もある訳だ。まあ、ポジティブに捉えれば、「人間らしくていいんじゃない!?」と言いたいけれども、世の中の人たちを不幸のどん底に貶める行為だけは、絶対に無縁な人生であるべき。

 自己満足ばかりを求め、他人を巻き込み、あちこちでヘドロを撒き散らかしては、世のため人のためになりはしない。


▼美しい花を愛でて、心に安寧を!
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写真・文責:西田親生

                           

  • posted by Chikao Nishida at 2021/12/13 12:00 am

豪傑役員の想い出・・・

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 筆者が青二才の頃を思い起こせば、新聞社平社員時代の話になる。当時、組織において出世したいと言う気持ちがないと言っては嘘になるが、毎晩、夜中まで自主残業にて、10年分ほどの関係資料や新聞記事、その他企画書を読破した事があった。

 自主残業の理由は、目の上の課長や部長たちを、実力をもって粉砕したいと言う気持ちの表れであった。勿論、下克上を狙っているのではなく、組織において実力がなければ、キャリアのある先輩たちに仕事で負けてしまうのが、腹立たしいからである。

 28歳にして、自分の名刺に初めて「係長」と言う職位が付いた。或る役員の配慮だろうと思うけれども、正直、嬉しかった。しかし、それでも満足できず、先輩よりも同期よりも、気持ちは10年先を見据えて、日々意表を突くような企画を作りまくった。

 呑みに誘われ、午前0時頃に呑み屋を出て、タコ焼きやらお好み焼きやらを手土産に、新聞社(当時は鶴屋百貨店の向かいにあった)の通用門に立ち、当直の守衛さんに手を振り、手土産を渡し、自分のオフィスに入れてもらった。それから2時間ほど資料を読み、タクシーで自宅に帰った。

 今思えば、若き頃の筆者は、平凡なるサラリーマンではあるが、日々、仮想敵国と闘っていたのだろうと。勿論、当時もパワハラやセクハラは、大なり小なり存在していたに違いない。目立ち過ぎると、必ず叩かれる。企画書を人の5倍ほどのスピードで書き上げると、嫌がられる。

 実は、皆が鉛筆や万年筆の時代に、既に自己所有のパソコン(Macintosh)を持ち込み、キーボードを乱打して、1週間に10本ほどの企画書を作り出した。隣の部長席で部長印を貰う必要があるが、その部長は筆者の企画書をデスクの境界線に積むばかりで、無視して押印しない。

 堪忍袋の尾が切れて、トップ10で鬼のような役員のところへ足を運び、一部始終を話すことにした。その役員はすこぶる理解のある方で、「よし、分かった。今日から部長たちの印鑑は取らんでもいい。直接持って来い!」の一言で決まった。そして部長に内線電話を掛けて、大声で叱責してくれた。

 何とも有難いことだろうと、早速、自分のデスクに戻り、部長のデスクと筆者のデスクの境界線に積んである企画書を全部持ち上げ、そのまま役員室へ持ち込んだ。「こんなに滞っているのか!?あいつは根性悪いな。君と水と油なんだろうが、構わんでいいから気にせずやってくれ!」と。

 それから、役員は定期的に夜の街に誘ってくれるようになった。或る日、「おい、ちょっと私の部屋に来てくれないか!?」と。慌てて足を運び入れると、「来週の水曜日、休めるか?」と役員がニヤニヤしている。「実は、ゴルフに行きたいんだが、君と、あ、あと一人、君の後輩に連絡して、来週の水曜日に休んで、付き合ってくれ!」と。

 その水曜日がやってきた。阿蘇東急ゴルフクラブへ行き、1ラウンド終了。日の沈む頃に帰宅して一息ついていたところ、役員から自宅に電話があった。「あの、申し訳ないが、この前の店に行きたいんだよ。ちょっと気に入ったイギリス人の女性がいるから、通訳してくれ!」との誘い。シャワーを浴びて、街中へ繰り出す始末。

 「釣りバカ日誌」のようだが、役員へ忖度することもなく、懐柔策にて相手を取り込むような姑息なことなど一切なかった。よって、筆者が起業する時に、何度も「考え直してくれんか!」と心配してくれた。辞職理由は、筆者の部下を虐めていた部長との諍いである。辞める必要など全くなかったが、若気の至りにてケジメを付けてしまった。

 折角入社した新聞社であるので、勿体なかったけれども、それもまた人生だろうと。しかし、上述のような豪傑役員は、最近の会社では全く見掛けなくなった。カミソリのように仕事には厳しく筋を通すが、「奥ゆかしさ」があった。胸筋開き、隙を堂々と部下に見せて、対等にお付き合いをしてくれるのである。

 因みに、周囲の人たちは、その役員を恐れ、できるだけ接点を持たぬように動きていたようだが、今思い出せば、プッと吹き出すような光景が浮かび上がる。実は、その豪傑役員とのエピソードはマンガ本にしたいほど、記憶の箱に山ほどオモシロネタが詰まっている。


▼写真はイメージ
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文責:西田親生

                     

  • posted by Chikao Nishida at 2020/11/3 12:00 am

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