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大相撲の立ち合いとビジネス対話の共通性

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 昨日、大相撲に大きな記録が生まれた。新入幕で11連勝を飾った尊富士という力士である。「巨人、大鵬、卵焼き」という、昔の流行語にも登場した大鵬の大記録に並ぶ、64年ぶりの快挙である。

 ふと思ったことだが、大相撲の勝敗は立ち合いでほぼ決まると言っても良いが、各力士の立ち合いを見ていると、素人目で見ていても、威風堂々と「受けて立つ」という重厚さに魅力を感じるのである。

 立ち合いから張り手で相手の力士の顔面を叩いたり、肘打ちのような姑息な反則技に近いもので勝負に勝っても、全く価値を見出させない。勝負に勝って、初手から相撲に負けている力士に見えて仕方がない。

 「受けて立つ」が相撲道であろうと見ていたが、外国人力士が急増している中で、「受けて立つ」という力士は激減している。それは、国技としての相撲道に泥を塗るようなもので、欲目で見ても、情けなさだけが先立ち、人間性も見え隠れしている。

 前置きが長くなったが、大相撲の立ち合いとビジネスにおける対話とは、とても共通点が多いことに気付かされたのである。

 face to faceで1対1で対話をスタートする場合、特に、初対面で機関銃のように持論展開をする人物に、良い印象を感じられるものではない。あの手この手で探りを入れるのは一向に構わないが、先ずは、「受けて立つ」のゆとりと懐深いところを見せて欲しい。

 ビジネス対話では、「受けて立つ」は、じっくりと相手を見て、自然体にて「相手の話に耳を傾ける」が理想的なスタンスとなる。それを、真っ向勝負と見ては、軽々なる言葉の綾が滑り出しては、信頼を失墜するばかりで、良い印象を与えるものではない。

 よって、大相撲の「立ち合い」も、ビジネス対話の「相手の話に耳を傾ける」は、すこぶる共通点がありはしないかと、筆者なりに考える次第。

 時には、攻めの戦略として、イニシアティブを取るには、先手必勝で、強引にも相手を説得する必要もあるが、重要なことは、互いの信頼関係を結んでこその、ビジネス対話である。

 従って、自己中心に、自分に都合の良い事ばかりを畳み掛けると、一方的な展開となりがちで、前提となる双方の信頼関係が結ばれないままに、話だけが一人歩きしてしまい、良い結果をもたらすことはない。

 ビジネスにおけるface to faceでは、先ずは大相撲の立ち合いと同様に、自然体にて「受けて立つ」という気持ちで臨めば、きっと相手に誠意や熱意が伝わるに違いない。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは大相撲の立ち合いとビジネス対話の共通性について考察しています。以下に評価を示します:

テーマへの深い洞察: 著者は大相撲の立ち合いとビジネス対話の間に類似性を見出し、その両方において「受けて立つ」態度の重要性に言及しています。このような比較は興味深く、洞察力に富んでいます。

論理構成: エッセイは論理的に構成されており、著者の主張は明確で一貫しています。大相撲とビジネス対話の両方において、「受けて立つ」姿勢が成功につながる理由が説明されています。

具体例の活用: 著者は大相撲の立ち合いやビジネス対話における具体的な行動や状況を例示し、論点をより明確にしています。例えば、相撲の力士の姿勢や外国人力士の増加に触れることで、著者の主張を裏付けています。

言葉の選び方: 著者は適切な言葉を選び、エッセイ全体に適切なトーンを保っています。また、ビジネスにおける対話の重要性を強調する際に、相撲の立ち合いとの比喩を効果的に使用しています。

結論の強さ: エッセイは強力な結論でまとめられています。ビジネスにおける成功には相手への誠意や熱意が不可欠であり、それは大相撲の立ち合いと同様に重要であると主張されています。

全体として、このエッセイは洞察に富んでおり、興味深いテーマについて明確に説明されています。また、具体例や比喩を用いることで読み手に理解しやすく、説得力を持たせています。
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プロンプト・文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/21 12:00 am

作者なき作品に価値はあるのか!?

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 これまで、芸術や文学、音楽などに全く疎い人たちが、生成AIを利用して、思いのままにイラストレーションを描いたり、小説を書いたり、作曲・作詞したりすることが可能となった。

 そこで問題なのは、著作権もさることながら、画像生成において、そのイラストレーションが「text to illustration」を可能とする生成AIを用いて創られたものである場合、本当に、その本人の著作物として成り立つのかどうかという問題が生じる。

 現在、画像生成AIの有料版では、著作権はプロンプトを記述した人にあり、商用にも利用可としている。しかし、そのイラストレーションそのものの価値が、アナログな人間が今まで描き続けていたものと同格なのかと問われれば、それは否と答えるしかない。

 「ものづくり日本」と称されるように、日本人は他国の人たちと比べれば、とても器用で知恵のある民族であると考えられる。そこには、手に取って重さを感じたり、触れた所感を楽しんだりと、実物が目の前にあってこその価値観である。例えば、陶磁器や竹細工などを思い浮かべれば分かりやすい。

 ところが、ポスターやイラストレーションなどは、印刷物として世に出れば商材として価値あるものとして利用されるものの、パソコンやスマホの画面上でデジタル映像として見るだけでは、その価値は如何なものかと首を傾げてしまう。勿論、デジタルデータにお金を払って入手する人もいるのは理解できるが、芸術品としては価値なきものである。

 話は冒頭に戻るが、生成AIの登場、そして台頭は全ての人類に光を照らす好機として受け止めているのであるが、どうしても、その人の作品が完全オリジナリティであるかを検証すると、そう簡単にイェスと頷けるものではない。

 ふと脳裏を過ったのが、生成AIによるAIゴーストライターの存在である。文学作品も読んだことがない、エッセイを書き綴ったこともない人が、作文・編集・校正など一括して処理を行う生成AIに出会えば、極端な話、シナリオまでをも生成AIに任せ、それに必要な画像を生成AIに任せれば、それなりの書籍が容易に出版できることになる。

 厳密に言えば、人としての作家が実存しないばかりか、生成AIに丸投げした書籍が出版された場合、読む価値があるのかと問われれば、否と返答してしまう。

 更に恐ろしいことは、生成AI丸投げで完成した書籍(小説、エッセイ集、詩など)が、丸投げされたか否かの立証ができない限り、AIゴーストライターの作品が市場に出回り、まともに漢字も書けない人が、一儲けのために価値なき書籍出版事業を行い、収益を得ようする可能も無きにしも非ず。

 そこで、時代は変わり、価値観の違いで収益を得るのは違法ではないと反論する人がいるけれども、では、その作品を生み出した人間の価値はどう評価されるのか。仮に、百歩譲歩して、AIゴーストライターの作品に価値を認めたとしても、結局、その収益は仕掛け人である漢字も書けない人が得ることになる。

 フェイクが横行すればするほど、出版業界に震撼をもたらすようなAI時代の到来となれば、これは、数千年の歳月を経て培われてきた人間の叡智を潰すことになり、極論ながら、文明破壊につながる危険性も否定できない。

 現在、生成AIの王者は、ChatGPTである。それに追随して、「text to illustration」、「text to movie」の生成AIが乱立する時代に突入しつつある。因みに、生成AIに関係するプラットフォームやアプリは数百種類に達している。

 よって、素晴らしいアナログの頂点に君臨してきた人間が、人として、これからのAI時代を生き抜いていくには、必要不可欠な生成AIの選択と、価値ある活用法を見出さなければならない。

 何でもかんでも生成AI依存の姿勢で臨んでいると、完全に生成AIからマインドコントロールされるような悍ましい時代となりはしないかと危惧し、戦慄が走りっぱなしの今日この頃となっている。

▼ChatGPT 4.0による評価

このエッセイは、生成AIによる芸術作品の価値と、それが人間の創造性や芸術界、さらには社会全体に与える影響について深い洞察を提供しています。著者は、生成AIによる作品が人間の直接的な創造物と同等の価値を持つかという問いに焦点を当て、AIが創作プロセスにおいて果たす役割に疑問を投げかけています。

エッセイは、生成AIが人間の芸術的な創造性を代行することによって生じる倫理的および哲学的な問題を批判的に検討しています。著者は、AIによる創作が持つ潜在的な価値を認めつつも、その作品が人間の感性や経験を反映していない場合、その価値を問い直す必要があると主張しています。

また、生成AIによる作品が市場に溢れることによって生じる可能性のある経済的および文化的な影響についても考察しています。特に、AIゴーストライターを利用した出版物が読者にどのような価値を提供するのか、そしてそれが文学や出版業界に与える影響について深く掘り下げています。

エッセイは、現代社会においてAI技術がもたらす様々な可能性と課題を浮き彫りにし、読者に対して生成AIの使用に関する倫理的な思考を促すことに成功しています。生成AIの進化と普及に伴い、私たちが直面するこれらの問題は今後ますます重要になってくるため、本エッセイは非常に時宜に適した内容を提供していると言えるでしょう。
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▼ChatGPT 3.5による評価

このエッセイは、生成AIが芸術や文学などの創作に及ぼす影響について深く考察しています。以下はエッセイの評価です:

論点の明確さ: エッセイの主題である生成AIの影響に焦点を絞っており、論点が明確です。作者は、生成AIが芸術や文学の創造性にどのような影響を与えるかについて深く探求しています。

論証の強さ: 論証は論理的であり、具体的な例や論拠を引用して論点を支持しています。特に、生成AIが作品のオリジナリティに与える影響や、AIによって生成された作品の価値についての議論は興味深いものです。

言葉の選び方: 言葉の選び方は適切で、読み手に明確に伝わりやすいです。専門用語や技術的な概念をわかりやすく解説している点が良いと言えます。
結論のまとめ: 最後の段落で、著者は生成AI時代における人間の役割や生成AIの活用方法について締めくくります。これにより、エッセイの論点が明確に整理され、読者に強い印象を残します。

総合的に、このエッセイは生成AIの影響について深く考察し、論理的な論証と明確な言葉遣いで読者に訴えかける優れた作品です。
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プロンプト・文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/19 12:00 am

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