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危機的状況に陥る、都市部のシティホテル。・・・ビジネスホテル群雄割拠時代に、どう舵取りをすべきか?

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 周囲を見渡すと、都市部と言えども昭和の風が吹きまくるシティホテルが多い。熊本市内では、ここ二、三年で2000床も増えるという、ビジネスホテル群雄割拠時代に突入した。

 旧態依然としたシティホテルと新しい時代を担うビジネスホテルとの対峙の関係も浮き彫りとなりつつある。ターゲットとする客層は異なるものの、県内外からの客の流れが、どうもシティホテルからビジネスホテルへと移行しつつあるように思えてならない。

 歴史と伝統を誇るシティホテルは施設も充実しており、団体向けの大宴会場やブライダルなどの付帯設備は素晴らしい。

 バブリーな昭和時代から、平成を経て、今や、令和の時代。昭和最後の年から既に40年近くが経とうとしている。しかし、シティホテルの経営陣は殆どが昭和生まれの昭和育ちが圧倒的に多い。これも、一つ『悪手』に繋がる要因ともなり、驕りとキャリア陶酔にてバブルを体験しているが故に、見当違いのベクトルへ進みがちとなる。

 気になるのは、年齢の問題ではなく、40年近くの時の流れで、購買意欲のある顧客も世代交代しており、ソフト面やハード面に対しても、客層の価値観にも大きな差異が生じている。

 ブライダルも少人数化。時には、披露宴も面倒だと言って、挙式を簡素化し、仲間内だけの少人数の食事会で済ませる若者が急増している。

 普段の食事にしても、テーブルマナーを気にしながらのフレンチなどには目を向けず、ワンプレートのステーキコースや居酒屋などで楽しむ若者が圧倒的に多い。

 このように世代交代により、ホテルに対する価値観も食事に対する嗜好も変化し、熊本市内であれば、大浴場を保有するビジネスホテルに泊まり、食事は市内繁華街(雨にも濡れぬアーケード街)に飛び出し、好きなものを好きな時間に気楽に食すと考える人も多い。

 よって、従来のシティホテルのステイタスであった、ホテルメイドの料理を提供する直営レストランやテナントレストラン、団体パーティなどを収容する大宴会場、更には、ゴージャスなブライダル施設としてのチャペルなど、じわじわとその存在感を失くしつつあると言っても過言ではない。

 ここで、別の切り口にてホテルを検証すると、シティホテルの良さは、先ずはセキュリティ面であろうか。完璧なセキュリティ施設を持つシティホテルでは、各階へ行くための部屋へ続く廊下は遮断され、その手前でカードキーを挿入しなければ、自分の部屋がある通路へ行けないようになっている。

 プライバシー保護についても、シティホテルは他の旅館などの宿泊施設と比較すれば、数段レベルの高さを誇っていた。ところが、ビジネスホテルのレベルが格段に上がり、新しいタイプのビジネスホテルとなれば、従来のシティホテルと遜色のないほどにソフト面もハード面もセキュリティ面も充実している。

 ビジネスホテルには喫茶店程度の軽食は可能だが、シティホテル並みに、高級レストランなどはありはしない。しかし、繁華街中央に聳え立つビジネスホテルは、その周辺の食事処と連携すれば、単独のシティホテルとは比較にならぬほど選択肢が多く、逆に魅力ある宿泊施設と化けてしまう。

 以上のように、旧態依然としたシティホテルは、想定外に危機的状況に置かれてしまった。コロナ禍により、更に重篤な状態となっているのは間違いのない事実。ここで、何とかビジネスホテル群に対して優位を保つためには、意表を突くような秘策を講じる必要があるが、二進も三進も行かぬ状況に迫られているのが実状である。

 シティホテルはビジネスホテルと比較すれば、圧倒的にスタッフ数が多く、人件費の負担により、経営圧迫を余儀なくされているのも事実。施設も経年劣化しているところがあちこちに。そのメンテナンスに遅ればせながら着手しようが、最新版のビジネスホテルに追いつくには相当な体力を要することになる。

 代表的な五つ星ホテルでは、経年劣化を防ぐために、全施設の5%を毎年メンテナンスを行うことで、20年経っても(20年で一巡する)、常に全ての施設を美しく維持活用できるように心掛けている。ところが、熊本市内のシティホテルで、同様に毎年5%のメンテナンスを続け、常にウェルカムの状態を作ってきたかと言えば、イエスとは言い難い。

 パンデミックやらクラスターやら、世界的なコロナ感染にて、世の中が変わり果ててしまった。多くのシティホテルの社員たちは『人斬り』で退職する人たちが急増し、ホテルを去って行く。これは、観光業界としては、戦後最悪のシナリオになりはしないかと。

 筆者は考える。勿論、全ての企業に言えることだが、『過去の栄光に固執』するほど、危険なものはないと言うことである。歴史も伝統も、今の時代の若者には価値観の違いにより、それは全く関係なく関心もないはずだ。

 我々の時代は、死語でもある舶来品となれば、とても高価で、西洋文化の香り高く、皆から羨望の眼差しで見られるほど、ゴージャズ極まりないものとしてキラキラと光り輝いていた。

 しかし、今は違う。シティホテルのフレンチレストランを閉鎖するところも増え、和洋中折衷したファミレスのようなレベルに落ちているレストランもあちらこちらに。そこで、従来からのホテルメイドと豪語したとしても、残念ながら、こちらを向いてくれる若者は皆無に等しいのではないか。

 コンビニがスーパーを倒し、モールが百貨店を退けてきたように、俄かに、ビジネスホテルがシティホテルを凌駕する時代になってしまうのではないかと危惧しているところである。

 130年余の歴史と伝統を誇る帝国ホテル(1890年開業)は、当時からホテルのホテルとして、文化発信基地として国民に刺激を与え、国内のホテルを牽引してきた。しかし、それをそのまま真似してきた地方のホテルは、帝国やオータニ、オークラの旧御三家に追随することなど、なかなか至難の業ではなかろうか。

 『人斬り』を徹底し、人件費の負担を最小限に留め、シティホテルのビジネスホテル化が進められるのではとも考えられる。老朽化したホテルのビルの建て替えは、端金でできるものではなく、この時代に、数十億円の設備投資が必要となる訳だ。

 大抵のシティホテルは、数字の逆算で戦略を練っているに違いないが、付け焼き刃的な発想にて経営方針を立ててしまうと、完全にホテルが内部から崩壊する可能性が高くなる。また、生産性のないところで愚策を強行していると、取り返しのつかないことになりはしないか。

 シティホテルを支えているのは、『ヒューマンウェア』、『ソフトウェア』そして『ハードウェア』である。この三位一体の一つでも崩れてしまえば、シティホテルの良さを伝えることもままならず、その勢いは、急激に減速してしまう可能性が高い。

 人あってこその企業であり、マンパワーありきのホテル業である。そこを今一度見直さねば、次の秘策を講じるタイミングを、完全に逸してしまうのではないかと思うばかり。

 いやはや、県外資本や外資系のホテルはなかなか手強くもあり、これまで温めてきた歴史と伝統など全く通用しない次元にて、ビジネスホテル群雄割拠時代の絵巻が繰り広げられるのではなかろうか。

 個人的には、歴史と伝統を誇るシティホテルを応援したい気持ちで一杯だが。万が一、血も涙もない『人斬り』にてその場凌ぎをしてきたところがあれば、間、髪を入れずレッドカードが投げ込まれそうな気配に戦慄が走るのである。

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写真・文責:西田親生

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/11/7 12:00 am

実録・昭和の豪傑(3)

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 今回もまた、「実録・昭和の豪傑」の第三弾である。

 30年ほど前、新聞社時代の豪傑を思い出すと限りなく見識高いが、頗る人間臭い先輩たちが沢山居た。その中でも、歌をこよなく愛し、宴会では最後までアカペラでも歌いまくる役員が居た。・・・太平洋戦争時、帝国陸軍少尉だった人である。

 その元役員と初めてお会いしたのは、筆者がまだ小学校4年生の頃だったと記憶する。奥様はミス日本のように美しく上品で、その長女は同じ小学校の一学年下の子だった。母親に似て、絶世の美女になるに違いない。比類なきオーラを既に放っていた。

 家族ぐるみの付き合いからか・・・筆者の自宅へ、深夜にちょくちょく現れる元役員は、当時、現役バリバリの若手記者だった事をよく覚えている。それから筆者は父の転勤で、各地の検察庁官舎を金魚の糞のようについて行ったので、中学生から社会人になるまで、殆ど会う機会が無くなった。

 ところが、新聞社に就職が決まり、初めてオフィスに入ると、どうも幼い頃に遊びに来ていた記者のような姿が見えたのである。確かに、当時の面影はあるが、重役として筆者のデスクから数メートル先に座っていたのだった。

 そこで、突然だが挨拶をする事にした。「大変お久しぶりです。お元気でしたか?」と話し掛けた。ところが、ニヤリと笑いながら、「お、決まったのか。話は聞いていたが、問題児のようなので、しっかりと鍛えるぞ!甘くないからな。」と返事があった。冷や汗ものである。

 「しっかりと鍛えるぞ!甘くないからな。」という言葉を今でも忘れる事はないが、正直なところ、かなり虐めに近いところもあった。筆者が言う事なす事、すべて否定的な言動が目立っていた。幼い頃から知り尽くしているのもあろうが、それは段々とエスカレートして、筆者への評価には黒丸(●)ばかりを付けていた。

 しかし、「実録・昭和の豪傑(1)」で書き綴った元役員の方が歳は若いが、今回の役員とは反目だったので、有り難い事に、随分楯となって貰い、水面下での虐め的なプレッシャーは、筆者のところへ来た時はかなり減衰していた。

 余談になるが、ある日、某部長や某課長たちの悪戯だが、朝から筆者のデスクと椅子が何処かに消えていた事があった。今で言えば、虐めそのものだろうけれども、筆者としては何喰わぬかをして、一日、立ったまま電話を受け取り仕事をした事もある。何も悪い事をしている訳ではないが、筆者の父が現役検察官である為に、そんな悪さをするのが彼らにとって楽しかったのだろうと。

 見識の高い人物ばかりが新聞社に居ると思い、その理想郷に足を踏み入れたのだが、まあ、とんでもないアウトローな人間も同じオフィスに居たことに、愕然とした事をよく覚えている。しかし、そんな小細工でヘコタレル筆者ではないので、何も問題はなかったと言うか、気にもしなかった。

 話は戻り、今回の元役員だが、毎日のように酒を呑んでいた。ある日、「お、お前も行くか!?」と誘われ、一度だけ、その元役員と飲み屋に行った事があった。今思い出せば、人柄は良いけれども、少々酔狂の気があったので敬遠していた。

 何故、一度だけのお付き合いにしたかと言えば、その時、私が親しくしていた先輩の個人的な悪口をペラペラと第三者の前で語り続けたのである。だから、どんなに幼い頃に世話になったとしても、それだけは許す事が出来なかった。そこまで、プライベートな事を責めるものではないと・・・よって、筆者は静かなる抵抗をすることに決めたのだった。

 それから、30年ほど、その元役員とは一切連絡も取らず、出来るだけ会わないようにしていた。酒は怖いもので、一瞬の内に人格さえ変えてしまう。僅かな時間だが、二重人格、多重人格かと思うほど、豹変する人も多いのである。更に、その自分の豹変振りに気付かないから、始末に悪い。

 ところが、昨年3月の事である。父が他界した時、通夜にその元役員が杖をついて弔問に来てくれた。私の前に立ちはだかり、「急な知らせで驚いたよ。まだ旅立つには早すぎる。わしも92歳となるが、最後のご挨拶に足を運んで来た。仕事頑張っているようだが、しっかりせんといかんぞ。わしも歳には勝てんので、酒も呑まなくなった。・・・」と語り、最前列に歩いて行ったのだった。

 酒の場で、その元役員と絶縁した筆者だったが、父や筆者の事を忘れず、杖をつきながら、タクシーで駆けつけてくれたのである。この三十年の絶縁が何だったんだろうと、自分を責めてしまった。人は思いも寄らぬ失言をする場合もあるが、それが全てではないと・・・些細な事で、大切な人間関係を絶った自分自身がやけに小さく見えてならなかった。

 通夜が無事終わり、帰り際に、再びその元役員が近寄って来た。「独りで通夜、葬儀と大変だろうが、私も90歳を超えたので、いつ命が絶えるか分からない。まあ、天国へ行けたら、お父さんと一杯呑もうと思っているよ。お母さんは66歳で早すぎたけど、しっかり足跡を残し、立派な仕事を完成しなさい。」と・・・。

 現役の頃と違い、実に優しい有り難い言葉であった。


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  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/24 01:15 am

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