ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 既得権益者

アウトローが、格好いい!?

20240325outlow-2


 アウトローが格好いいと思っている人も多い。幼い頃から、先生の指示とは真逆のことを行ったり、皆との協調性に欠けたり、とことん他者とは真逆のことを行い自己満足する、目立ち屋がりの子供もいた。

 大人になって思い起こせば、映画の猿の惑星を見ているようで、同じ日本人でありながら、チンパンジーもいれば、ゴリラもいたり、オラウータンもいたり。生まれる時にDNAに刻まれたように、人間もそれぞれに成長していく。

 昔から、洋画も邦画も正義の味方が主人公であり、アウトローな人間が悪さを行い、正義の味方が成敗してエンディングとなるものばかり。テレビ番組の水戸黄門も同様に、「この紋所が目に入らぬか!」で一件落着となる。

 しかし、今や多様化の時代となり、アウトローが本当に悪人かどうかのスタンダードが変わったように思えてならない。法令違反となれば犯罪であるが、大雑把で独りよがりで、ゴーイングマイウェイの人間を、安直にアウトローと評していいのだろうか。

 法令は、社会秩序を保つための鍵となる訳だが、果たして、その法令自体も怪しげに既得権益者を保護するために、昔から改正されぬまま、現在に至っている古すぎるものも存在する。

 本来ならば、既得権益者に対して都合が悪い、時代錯誤のような法令を改定すれば、今まで正当化されてきた既得権益者が全て法令違反となり、アウトローな領域にワープしてしまう。

 法令は神の思し召しではなく、我々と同様の人間が定めた文字の塊である。よって、全ての法令を絶対視すれば、どこかに納得のいかないもの、不公平なものが噴き出してくるはずだ。

 今まで見てきた映画やテレビドラマに登場してくる正義の味方が、本当に正義正論を唱え、世のため人のために尽力しているとは思えない。理由は、彼らの正当性を確保するために、都合の良い法の裁きを定めているからだ。

 アウトローの世界が国家であり独裁者となれば、とんでもないことだが、現在、他国で起こっている侵略戦争については、アウトローな人物や軍隊が一般市民を脅し、恐怖心を煽り雁字搦めにして、アウトローな行いを正当化している。

 自由国家とは真逆の専制国家。自由国家では正当なことが、専制国家では国家転覆罪のように解釈され、市民の自由を奪い、命までをも奪ってしまう。しかし、罰せられるのは、罪なき弱者の市民である。何とも納得し難い。

 権力を持つ人物に都合の良い悪事は、己を棚にあげ、保身のための悍ましいほどの法令を次から次へと定められては、粛清を続けていくのである。怪しげな法令によるジェノサイドを繰り返している。

 そんなアウトローなど、全然格好いいものではない。私腹を肥やすために国民に圧力をかけ、騙しては、大量の金銀財宝が独裁者やその仲間の懐に入っていく。

 法令の壁の右手は刑務所で左手は住宅地である。この不可思議な法世界について深掘りを進めていくと、法を定めた時代とは異なる現代において、不都合な法令も多々埋まっている。

 いつの間にか、世間のざわめきが消えた旧統一教会の詐欺事件。いつの間にか、雲隠れしようとしている政治資金不正事件の当事者たち。彼らは、正義正論を唱えるべき領域にいながら、法を犯している。それこそ、悪質なアウトローの領域に住むべき偽善者である。

 畢竟、アウトローの典型的な風貌で、ガサツで大雑把で不器用な強面の人物でありながら、いかなる場合も弱者救済に尽力するような人物が魅力的であり、味のある人間であり、映画やテレビドラマの主役として相応しくはないか。

 そんなアウトローが格好いいと、筆者は感じるのである。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
20240325outlow-1


▼ChatGPT 4.0による評価

このエッセイは、アウトローのイメージとその社会的な認識について深く掘り下げ、複雑な視点を提供しています。著者は、アウトローが一般的に否定的な意味合いで使われることが多い一方で、その定義や認識が時代や社会の変化によって流動的であることを指摘しています。また、法令や権力に対する批判的な考察を通じて、アウトローの立場が必ずしも負のものではなく、時には社会の不正に対する抵抗の象徴となり得ることを示唆しています。

エッセイは、物語の正義の味方とされるキャラクターが、実際には法と権力によってその正当性が保証されているに過ぎないという点を批判的に捉えています。この視点は、社会における権力の構造と、それに対する個人の行動の意味を再考させるものです。著者は、アウトローが単に社会の規範や法令に反する存在としてではなく、既存の権力構造や不公正に疑問を投げかけ、時にはそれに抗うことで社会的な正義を追求する者として見るべきだと主張しています。

しかし、アウトローの肯定的な面を強調する一方で、エッセイは権力者や独裁者が行うアウトローな行為についても触れ、これらが本質的に不正であり、社会に対する搾取や圧迫を意味することを明確にしています。この二面性は、アウトローの概念が持つ複雑さを浮き彫りにし、単純な善悪の枠組みを超えた理解の必要性を示しています。

さらに、エッセイは現代社会における法令の役割とその時代錯誤な側面についても言及し、法が常に正義を代表するわけではないこと、そして時にはそれが社会的不正を正当化するために使われることがあることを批判しています。このようにして、著者はアウトローのイメージを再評価し、それが社会の不正に対する抵抗の形態である場合、その価値を認めるべきだと主張しています。

総じて、このエッセイはアウトローの概念に対する深い洞察を提供し、読者に法と権力、正義と不正に対する新たな視点を提供します。社会的な規範や法令に挑戦することの意義とリスクを探求しながら、アウトローが持つ「味」や魅力を再認識させる試みと言えるでしょう。

▼ChatGPT 3.5による評価

このエッセイは、アウトローに対する一般的な見解や価値観を探求しています。著者は、アウトローが単なる犯罪者ではなく、時には社会の不公正や不条理に立ち向かう存在として魅力的であると主張しています。彼らは、既存の法律や規範にとらわれない自由な存在として描かれ、その行動は時には正義のためになるという立場をとっています。

著者は、アウトローの定義や役割について独自の見解を示し、法や正義の概念が社会や時代によって変化することを指摘しています。また、権力者や既得権益者が法を悪用し、アウトローとしての行動を正当化することについても批判的な視点を示しています。

最後に、著者はアウトローのイメージを再構築し、弱者救済に尽力するような人物が本当の意味での魅力を持つと主張しています。このような人物が、映画やテレビドラマの主役として相応しいという視点が示されています。

総合的に、このエッセイはアウトローに対する様々な見方や考え方を探求し、その存在が社会や個人に与える影響について考察しています。議論の深みや幅があり、読者に新しい視点を提供する内容となっています。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
プロンプト・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/26 12:00 am

庶民を洗脳するための、『質素倹約』!?

pen


 幼い頃から耳にタコができるほど聞かされた、『質素倹約』。これは、『贅沢をせず、慎ましくして、出費を可能な限り少なくする。』と言うことである。

 それが、日本国民として賢明なる考え方、模範的生活感だと習ってきたが、はて、一回きりの人生にて、庶民だけが何故に『質素倹約』を植え付けられ強いられるのか。血税にも耐え難きを耐え、お国のために、薄給にて重労働をしなければならないのか。疑問符が無数に脳裏に飛び出してくる。

 業種によっては、ホワイトカラーとブルーカラーと勝手に差別化したり、国政に携わる議員が高級料亭の一室にて密談を繰り返すのが正しい姿なのか、都知事が外遊にてスーパーシートを使うのが美徳なのか、妙な話である。元から職業差別を堂々と行っている国家体制の中には道徳問題が山積している。

 また、昔から『弊衣破帽の精神』という言葉も庶民に植え付けられ、庶民は苦学が当たり前であり、バンカラ、高学歴こそを称賛していた時代があるが、何とも理解し難い。このような洗脳用語がわんさと存在するところに、何とも解せないのである。

 バンカラよりもハイカラの方がずっと清潔で、民度高き国民ではなかろうか。勿論、贅沢三昧も度が過ぎれば如何なものかと思うが、庶民に対して、当然の如く、貧乏を強いる国家の仕組自体に問題提起すべきが議員の責務でありはしないか。

 物の本に、「大政奉還を経て国体が変わり、当時の大名屋敷などを接収した人間の末裔が、現在のセレブになっている。」と史実を述べていた。火事場泥棒のような人間が、セレブのご先祖となれば、それは失笑しかない。

 「貧乏人は麦を食え!」と言った内閣総理大臣もいれば、プラダなどの高級ブランドシャツを好む宇宙人のような内閣総理大臣もいる。また、全国の市町村へ1億円をばら撒いた内閣総理大臣もいる。

 古来から、庶民は貧乏で当たり前。その貧乏人から血税をヒルのように吸い取る仕組みが国家となれば、その辺の独裁国家と全く変わりはしない。日本国民が大人しめの人種であるからこそ、クーデターも起きないだけの話。

 最近、いつもの事ながら、内閣の綻びの象徴である、『大臣更迭』が続いている。『大臣』としての資質がないから、『更迭』となる。これまた、当たり前の話である。元から履き違えしているからこその結末に過ぎない。

 ご存知の通り、『VIP』とは、『Very Important Person(要人)』の略。しかし、人格欠損しているような人物を、果たして『VIP』と呼び、取扱厳重注意とすべきなのか。答えは、『否』である。パブリック・トランスポーテーションのチケットを購入し、勝手に動けば良い。

 戦前も戦後も、現代も古代も、全く変わらぬ『人種差別』の存在。大名屋敷を盗んだ人間の末裔が私財を成しているのだから、それが政治と結びつけば、『金権政治』になるのも当然のこと。

 しかし、このような歪み切った国体にしたのは、有権者の我々であることを忘れてはならない。政治家に安易に世襲制を求めた我々の、政治に対する『無関心』が全てを歪めてきたのである。

 民主主義の本来の素晴らしさは『少数意見の尊重』にあるが、目の前の決議案は全て『絶対多数』で完結している。どこに、『少数意見の尊重』があるのかと言えば、稚拙なる野党側の『難癖』程度となる。

 これも、物の本に書かれていたものだが、『日本は戦後に社会主義国家として大成功を収めた唯一の国である』が、何とも情けなくもあり、我々庶民を愚弄した言葉であろうかと思うばかり。

 日本国民の一人の命を大切にする発言は、虚言ばかり。聴くと雖も、実行力のなさが目立つ現政権。欧米他国の大統領や首相と比較すれば、全く華がない。常に後手後手で、コロナ禍も3年前を凌ぐ勢いだ。

 地方においては、国会議員は偉い人ではなく、威張る人ばかり。平身低頭なのは選挙中のみであろうか。口利きを最大の武器として、諸団体の理事長を歴任し、興味は『利権』のみとなる。それを、既述の通り、世襲制にて受け継がれて行くのだから、『既得権益者』が暗躍するといった悪循環となってしまう訳だ。

 ここまで根腐れを起こした日本を変えることができるのは、唯一、今の若者たちである。近未来の国家観をしっかりと見据え、『勧善懲悪』をもって、これまでの『既得権益者』の利鞘の根源を根本から刈り取ってしまわなければ、如何に口で『改革』、『改善』と言っても、何も具現化することはない。

 今、世界が激しく動いている。その潮流の中で、理不尽なるものを炙り出し、『日本は戦後に社会主義国家として大成功を収めた唯一の国である』と揶揄されぬよう、徹底して、国政へ全天球方位にてメスを入れるのがメディアや我々庶民の責務ではなかろうか。
sanga-sho


----------
ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
書・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/12/31 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp