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ネット事業の勝負所で母の死に直面・・・

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 1995年は、筆者にとってポジティブな面でもネガティブな面でも、一生忘れることができない一年(起業後5年目)である。

 ネガティブな面では、実母の急死である。糖尿病(提案新病名:ダイアベティス)の合併症が原因で若くして世を去った。それも、12月7日。本日が命日である。しかし、当時、東京で本格的なインターネット事業を始動しようとした矢先の出来事であった。

 深夜に救急で運ばれた熊本市民病院へ足を運ぶと、口や鼻に管をつけて意識不明の状態に陥った母の姿を見て、正直、辛い気持ちは吹っ飛び、現実を受け入れられない自分がいた。深夜午前3時を回っていたと記憶する。

 午前3時半過ぎに臨終。担当医から呼ばれ、「急性肺炎で亡くなりましたが、このレントゲン写真をご覧ください。以前の入院先のものですが暈けており、これでは肺の状態がはっきり分かりません。診断書を見ると、肋間神経痛とあります。これは事実なので、お伝えしておきます。」と、厳しい表情で語ってくれた。

 その担当医社、一言、医療ミスの疑いありを暗に伝えたかったのであろうと。確かに、腎臓の具合が良くないからと、検査入院をしてから数日後である。生前、母がこんなことを言っていた。「腎臓の検査をした病院では、何故かしら、通路脇にある長椅子に、寒い中に3時間以上も待たされてしまって、体調が悪くなったみたい。」と。

 これもまた、モルモット扱いのようで、免疫力が低下している患者をいい加減な検査をしたように思えて、その医療施設についても疑義の念が残ったのは確かである。

 しかし、絶命したのは事実。それを、あれはどうの、これはどうのと、医療ミスを追及したからと言っても、母の命が戻ってくることはない。よって、熊本市民病院の担当医には感謝の言葉を残し、母の死に至るまでの、直接間接の要因については全て忘れることにした。

 母の死の約三ヶ月半前の、1995年8月22日。その日が筆者にとってはポジティブな面でのビッグイベントの一日であった。

 熊本県初の公式ポータルサイト「The Rosetta Sone」を立ち上げたのが同日であり、新聞やテレビで騒がれた。それから本格的なインターネット事業を展開するという明確な目標を立て、東京への足場固めに入った時期である。

 当時、大手旅行代理店1社からネット事業の打診やら、大手航空会社のシステムを取り扱う関連会社からネット上でのシステム構築の見積の話などが飛び込んでいた。よって、1996年1月から、東京で一世一代の巨大プロジェクトに着手予定としていた。

 母が他界する前々日である12月5日には、熊本大手シティホテルで「インターネット事業」についての大々的な講演会が開催され、300坪の大宴会場を埋め尽くした聴講者の前で講演を行った。その夜の午後8時に母の入院先の病院へ、入院後に初めて見舞いに行ったのである。

 ところが、母の姿を見ると、すぐに死期が目の前に来ているのに気付かされた。よって、翌日気になり、12月6日午後から電話を掛けたところ、1分もせずして電話を切りたがる母が残した言葉が、「インターネット事業は大変だろうけど、頑張ってね!」の一言である。それが、母の最後の言葉として、今も耳に残っている。

 このように、ポジティブな面とネガティブな面、それも一生で一回しか味わえないようなものに直面した想い出は、善きも悪しきも、心底に深く沈み込んでおり、思い出す度に、心臓や胃が痛くなる。しかし、何度思い出したとしても何も変わることはなく、戻ってくるものはないのだから、と自分に言い聞かせる。

 これが、まさしく人生の悪戯なのかと。

 しかし、その頃のボルテージは、4分の1世紀を過ぎた現在まで一粒も捨てたことはなく、東京への道を閉ざしたのは自らの判断であった訳であるから仕方がない。ただ、この熊本の地においてインターネット事業の先駆者として続けてきたのだから、微力ながら最後まで牽引して参りたいと考え、現在に至っているのである。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者が1995年に経験した母の急死と、同じ年に立ち上げたインターネット事業に焦点を当てています。以下に、いくつかのポイントを挙げて評価してみましょう。

ポジティブな面とネガティブな面の対比:

エッセイは、ポジティブな面とネガティブな面の対比を強調しています。母の急死とインターネット事業の展開が同じ年に起こったことで、筆者は人生の中で喜びと悲しみを同時に味わったと描写されています。
感情表現:

筆者は母の急死に対する感情や経験を深く掘り下げ、読者にその辛さや複雑さを伝えようとしています。感情表現が豊かで、読者に共感を呼び起こす効果があります。
医療ミスに関する記述:

エッセイでは、母の死について医療ミスの疑いがある可能性が示唆されています。これは筆者が直面した困難な状況を強調しており、読者に考えさせる要素となっています。
目標の達成と母の最後の言葉:

インターネット事業の展開や目標設定に関する記述もあり、特に熊本県初の公式ポータルサイトを立ち上げたことがポジティブな成果として挙げられています。母の最後の言葉が、筆者にとって励ましとなり、事業に取り組む原動力となっている様子が伝わります。
結論:

エッセイは感情豊かで読者に深い印象を与えます。同時に、人生の喜びと悲しみ、成功と失敗をバランスよく描いており、筆者がそれらの経験から得た教訓や成長に焦点を当てています。
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写真・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2023/12/8 12:00 am

母の命日に思うこと・・・

▼知り合いの叔母さんが、長い髪を切る前に、髪を結ってもらった母の姿

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 朝から私事で申し訳ないけれども、ふとカレンダーを見ると、12月7日。66歳という若さで他界した母の命日である。

 とても料理好きの母親で、母が他界するまで、筆者に手を挙げたり、叩かれた事なんぞ、一回もなかった。暴れん坊だった筆者が叩かれないと言うのは、信じられない事だが、優しすぎるほどの人物であった。

 自分のことよりも、他人の世話焼きばかりに専念する、昭和の肝っ玉かあさんのような風貌。思い出すたびに、脳裏には母の笑顔しか出てこない。辛いこともあったはずだが、決して、子供には見せず、夫婦喧嘩も皆無。

 某年12月5日に、現在のANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイの玉樹で、インターネットの講演会での講演を終え、午後8時前に母の入院先に足を向けたのだった。入院して2ヶ月半ほど経って、初めての見舞いとなる。

 今だからこそ言えるが、糖尿病の合併症にて腎臓が悪くなっており、母の死期が迫っていることを、筆者なりに感じていたのである。よって、12月5日に入院先の病室にて母を見た瞬間に、数日の命しかないと確信した次第。

 入院先では、苦しさに堪えながらも、笑みを浮かべ、風邪気味の筆者に、逆に、うがい薬を手渡して、「インターネット事業を頑張ってくださいね!」と、か細い声で話し掛け、僅か10分程度の面会にて、帰途に着いたのである。

 翌日、母の事が余りにも気になるので、昼過ぎに電話をしたが、僅か1、2分ほどで「死ぬようなことはないと思うけど、ちょっと辛いから、電話を切りますね。」と言って、ガチャっと電話が切れた。何か、嫌な予感が脳裏を過った。

 筆者の予感は的中した。その日の深夜に病院から連絡が入り、病態が急変したらしく、熊本市立病院へ転院したと言う。それから2時間ほど経ったろうか、熊本市立病院から「危険な状態なので、すぐに来てください!」と。

 到着したのは午前2時半頃。酸素吸入をして、意識を失った母の姿があった。ベッドに横たわる母は、既に死に体の状態である。それから1時間ほどで、弱々しく動いていた心臓が突然止まってしまった。

 優しい母が、この世から居なくなった瞬間である。祖父母が他界する時も立ち会っていたけれども、母の死は余りにも可愛そうでもあり、ショックだった。辛そうな入院期間中に、僅か1回しか面会に行かなかった自分を責めた。

 これは言い訳にしかならないが、仕事も大変な状況下で、深夜まで仕事が続くことが多く、時間的に、入院先へ足を運べるような余裕もなかった。しかし、心の中で、「母を見舞いに行くと、安心して死んでしまう。」と思っていた。

 案の定、母は自分の死期を知りつつも、筆者が顔を見せるまでは、何とか生命維持に集中して、頑張って、待っていたのだろうと・・・。

 最後の別れは猛省ばかりの筆者であったが、写真のように京料理「えのきぞの」のような食事を食べさせることが出来なかったのが、一番悔いている。糖尿病であるが故に、厳しく食事制限を告げた自分が心苦しかった。

 ただ、母の思い出は、いつもニコニコと笑顔で家中を明るく照らしてくれたこと。検察官であった厳しい父親を、掌(たなごころ)に転ばせていたこと。父と釣りに行く時に、早朝から丼一杯を握った、超弩級の三色おにぎり4個(昼、夕の二人前)。

 思い起こせば切りがないほど、楽しい思い出ばかりが蘇ってくる。今も、天国からこちらを見て、バカをしている筆者に苦笑しているのではなかろうかと思うばかり。そうそう、父も数年前に他界したので、生きている時よりも、今は父も母も一緒に遊びまわっているに違いない。

 話は変わるが、先日、幼友達の母が他界したと言う。90歳を超えての大往生。実は、その母親のために、写真の京料理「えのきぞの」のテイクアウトで、だし巻き卵やカニクリームコロッケなどを持ち帰り、とても喜んで食べてくれたと聞いていた。

 しかし、その幼友達から連絡があり、「美味しい美味しい!」と食べて、二日後に静かに眠るようにこの世を去ったと言う。ほとんど食欲はなかったらしいが、「自宅にいて、腕のいい料理人さんの本物の料理を食べれて、幸せだね。」と・・・。

 幼友達の母親の喜ぶ姿を想像しながら話を聞き、とても胸が痛くなった。死に際には、何とか美味しいものを食べさせるべきだと、今更ながらに、猛省する筆者である。母には大変申し訳ないけれども、その代わりに、しっかりと健康長寿で、これからもグルメに突っ走ろうと!


▼筆者は母に似ているが、髪の毛はこんなにフサフサではない!(苦笑)
haha


▼皆が喜ぶ、京料理「えのきぞの」の弁当や料理群。
miyabi


bento


takeout


enokizono



▼京料理「えのきぞの」のお節情報(写真提供:同店)
osechi



お品書き>
 海老・あわび・数の子・いくら・子持ち鮎・蛸柔らか煮・鰆の味噌漬け・たたきごぼう・黒豆・筍・田作り・紅白なます・栗きんとん・きんかん・くわい・蓮根のサーモン巻き など

 その他、要予約として、お雑煮(千百円 税込)、お刺身盛(二人前 5千5百円 税込、四人前 1万1千円 税込)、カニクリームコロッケ(5百円 税込)などが準備されている。

申し込み方法のご案内

(締切日時) 令和2年12月25日(金)まで
(申し込み) 電話予約 096−211−5525 又は店頭受付

店頭受け取りのお客様
 ・お渡し日時 令和2年12月31日(木)午前11時〜午後3時まで(※時間厳守でお願い致します)
 ・お渡し場所 熊本市中央区新屋敷1丁目9−19 濫觴77A
 ・お支払日  令和2年12月31日(木)代金引換(事前のお支払いも可)

配達ご希望のお客様
 ・お届け日  令和2年12月31日(木)※時間指定はご遠慮ください
 ・配達料   6百円(熊本市内に限る)

 ※新年の営業開始は、令和3年1月6日(水)より

<<えのきぞの>>
〒862-0975 熊本市中央区新屋敷1丁目9-19濫觴77A TEL: 096-211-5525
定休日:月曜日

◎えのきぞの公式サイト
 https://www.dandl.co.jp/enokizono/Link
◎えのきぞの公式Facebookページ
 https://www.facebook.com/shinyashiki.enokizono/Link

◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995)
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文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2020/12/7 12:00 am

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