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『利他の精神』は、世の中を平穏に。『利己の精神』は、世の中を不穏に。

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 人と人との接点において、天秤に掛けては、自らの利益ばかりを求める人の方が多いに違いない。よほど神的仏的存在でない限り、『利他』を生涯全うすることは容易くはない。

 先ずは、人の立場になってよく考えること。酷く凹み切って困り果てている人を助ける。自らが力不足であれば、知人友人へ救援を頼む。

 古き昭和時代と雖も、『向こう三軒両隣』と言い、近所の向かいの三軒、そして我が家の両隣には、独特の『利他の精神』が存在し、互いに困っている時に支え助け合う関係が成り立っていた。

 現在は、マンションであっても、新興住宅地であっても、『向こう三軒両隣』が昔のように成り立つところは皆無に等しい。最悪の場合、向こう三軒も我が家の両隣も、どんな人が住んでいるのか知らぬことが多い。

 筆者も御多分に洩れず、両隣は貸家になっており、挨拶に見えたことは記憶するが、具体的にどのような仕事をされているのか、家族構成がどうなのかは、判然としない。

 向こう三軒も、朧げながらに隣人の職業は知り得ているものの、日頃から双方の生活時間が合わず、数ヶ月に一度ほど立ち話程度の接点しかない。筆者は最古参の住人の一人だが、新しく入居される方との距離は、次第次第に遠のいて行く。

 或る日のこと、大きなタラバガニが贈ってきたので、全部食べれないと思い、隣人の方々へシェアすることにした。しかし、そのカニを受け取りながら返ってきた言葉が、「いつも、こんなに高級食品を食べられてるんでしょうね!?」と。意外な反応に愕然とした。

 勿論、取材ではちゃんとした物を撮影し試食するが、普段、腹が減れば、カップヌードルも、レトルトカレーも頬張りながら仕事をしている自分がいる。夜食となれば、冷蔵庫を漁り、残り物に手を加えて、おじやにしたり、目玉焼きを上に乗せたり、当然の如く、庶民らしい生活である。

 『利他の精神』と一口に言っても、これは筆者のような庶民が一朝一夕に会得できる精神ではない。考えれば考えるほど、自らの半生において納得できぬことが多く、猛省ばかりとなってしまう。

 人様が『寸志』と言われても、頂くものは感謝して、しっかりと食し、その感想なりを届けるのが、頂いた側の礼儀である。「こんなに高価で美味しいものを他人の私に差し上げるよりも、自分で楽しめば良いのに!」と思うこともしばしば。

 筆者が知り得る人の中で、『利他の精神』をお持ちの方は、五人ほどいらっしゃるが、決して、贅沢三昧をされるような似非セレブではない。自らが大変な時でも、ポーカーフェイスにて、人助けをされている方々ばかりだ。

 よって、筆者ごときが『利他の精神』について語るべきものではないが、庶民の一人として思うことは、他人の幸を真剣に考えられる人は、神様仏様の次元にて、現実世界を超越したところに立たれているということだ。

 そのような方々を考えていると、これまで体験してきた『諍い』が如何に小さなものであるかと、恥ずかしくもあり、赤面ものとなる。

 多くの人は、自らの施しに対して見返りを求めてしまう傾向がある。しかし、そこが根本的に異なるのが、『利他の精神』をお持ちの方々である。決して見返りを求めず、自然体にて他人の幸を祈る方々である。

 人生、三分の二を過ぎた筆者であるが、山頂の『利他の精神』に辿り着くには、気が遠くなるほど、果てしなさを感じてしまう。まだまだ未熟者であるが故に、試行錯誤ばかりの日々なのだろうと。

燕雀知らず天地の高さ
西田親生の自由気まま書
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書・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2022/12/30 12:00 am

兎角に人の世は住みにくい・・・

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 熊本県護国神社の大きな鳥居右側に、老人が倒れている。最初は、昼から酒を飲んで、芝生の上で爆睡しているのだろうと思いつつ、横を通り過ぎようとすると、大きく口を開けて、妙な体勢にて微動だにしない。体は「く」の字で、リュックが横にあり、正直なところ、事故か事件かと胸騒ぎがした。

 口が開きっぱなしなので、既に絶命しているのかと思い、側に行き、「大丈夫ですか!?」と二度声を掛けた。その老人は、驚いたように飛び起きた。「あ、どうもすみません。」と小声で一言。生存を確認して安堵したが、このようなケースでは、声を掛けるべきか否か、一瞬、判断に戸惑った。

 実は、これまでに、高層ビルから落ちたり、鉄道に飛び込んで絶命した人たちを何度も目視したことがあるので、それ以来、ややトラウマになっている自分が居るのだろうと。しかし、寒空の下、如何に芝生にて防寒服を着ていようとも、不自然な形で倒れていれば、事件事故という文字が頭を過る。

 ただ、遅ればせながら、声を掛けたことは正解であると考える。他国では、道端に人が倒れ絶命していようとも、知らぬ顔して、無視して通り過ぎることが多いと聞いたことがあったが、ここは日本、非道なことは許されない。勿論、大人であれば、その責任を果たす必要がある。(罠も想定内に)

 取材が終わり、野鳥園から引き返す時も、まだその老人は芝生の上に座ったまま、周囲を眺めていたようだった。もしかすると帰る家がないのかも知れない。勿論、「ヘルプ」があれば早急に救済する必要があるが、それがなければ、その老人のプライベートゾーンには土足で踏み込むべきではない。

 また、話は変わるが、先般、某所にて車を停めて、山際を撮ろうかと思っていた矢先、まだ小学校低学年だろうか、二人の女の子が自転車を乗り回し、付き纏ってきた。「あのー、あのー、景色を見てるの?」と何度も馴れ馴れしく聞いてくる。良く言えば人馴れしている。悪く言えば、妙な輩に簡単に誘拐されると危惧したのだった。

 今の時代、なかなか他人との距離の取り方が難しいので、上述の女の子には挨拶、会釈程度が限界である。万が一、優しく構ってしまうと、逆に「不審者」として通報される可能性も無きにしも非ず。実は、以前、夕景を撮影しようと思い、高台に居たところ、帰宅して警察官が二人きたのだった。

 「すみません。このナンバーの車はお宅の車ですか?先ほど、不審者通報があったので、ちょっと話を聴かせて貰えませんか!?」と。とんでもない世の中だと思い、通報した大馬鹿者に閉口した。警察官への対応は、名刺とバイオグラフィを渡すことに。「ご迷惑掛けました。通報した人間には、ちゃんとした方であると伝えておきます。大変、失礼しました!」と。

 通報する者も大変な非常識者だが、何の根拠もなく、初手から犯人扱いする警察官のレベルの低さには驚いた。一人は研修中の若い警察官のようで、こんな低レベルの捜査じゃ、初動の段階で失格。通報があり、行き当たりばったりで他人の家を捜査する前に、リサーチをして行動すべきではないか。

 記事を書きつつ、文豪 夏目漱石の作品「草枕」の冒頭の文章が浮かんできた。「智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」と・・・・・。


▼熊本県護国神社近くにある「野鳥園」のAutumn leaves
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文責:西田親生

           

  • posted by Chikao Nishida at 2021/11/27 12:00 am

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