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パワハラ体験(1)

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 皆さんも、パワハラに悩まされたことがあると思います。筆者も、御多分に洩れず、自身は気丈な方だけれども、前職においてとんでもない差別、嫌がらせに何度も遭遇したことがありました。

 この「パワハラ体験」では、筆者以外の知人友人などの体験も交えて、理不尽なる「パワハラ根絶」に向けて、「パワハラ問題解消」に向けて、何らかお役に立てればと考えています。

 第1回目の「パワハラ体験」は、筆者の前職時代、若かりし頃の話です。時代はまだまだデジタル時代の入り口のところでした。

 筆者は、マイコン、パソコン、ワープロ、電子手帳、パソコン通知などに大変興味を覚え、新聞社事業の一環として、逸早く、県内初のデジタルデバイスのセミナーを数多く企画運営して参りました。

 ところが、或る日出勤すると、筆者のデスクの上に置いていたノートワープロ(SHARP社製の私物)が無くなっているのです。清掃業社の方へ尋ねると、「ゴミ箱に捨ててあったので、そのままトラック荷台のダンボール箱に入れときました!」と。

 慌てて、清掃業社のトラックの荷台によじ登り段ボール箱を見ると、そのノートワープロが投げ捨ててあったのです。

 犯人は隣の上司だと直ぐに分かりましたが、その人物は超アナログの手書き専門にて、日頃から筆者の企画書の提出が、早い、綺麗なのを嫌っていた一人でした。

 しかし、当時198,000円と高額な他人の仕事道具を、平気でゴミ箱に捨てるなんぞ、今だったらば、嫌がらせどころの騒ぎではなく、器物損壊ともなり得ます。

 昼過ぎに、その犯人がオフィスに戻ってきたので、「申し訳ないけれども、この機材をゴミ箱に捨てたのは○○さんですか!?」と直接聞き糺すことに。

 予想通り、「いや、何のこと?私は知らないけど。掃除のおばさんが誤って捨てたんじゃないの!?」と、さっさと逃げに入ったのです。

 ここでガツンと遣ろうと思いましたが、ここは我慢だと思い、低民度の人間と同じレベルで口論もしなくもなく、また、ノートワープロも傷なく戻ってきたので、無言のまま現在に至っているということです。

 本人は、筆者に対して、日々何らかの嫌がらせをすることがストレス解消だったらしく、今思い起こせば、恥ずかしさの境界線を逸脱するような馬鹿げたことしか出来ない、可哀想な人だと思うばかり。

 しかし、筆者が起業して暫くしてのこと。熊本市内のアーケード街でバッタリと会ったのです。その人物は、開口一番に「あの頃、貴方からちゃんとパソコンやワープロを教わっておけば良かった!」と・・・。想い出したくもなかったので、非常に返答に困りました。

 まあ、それから色んな嫌がらせがこれから登場しますが、それは次回へと・・・。


PH


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写真・文責:西田親生

             

  • posted by Chikao Nishida at 2022/1/23 12:00 am

豪傑役員の想い出・・・

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 筆者が青二才の頃を思い起こせば、新聞社平社員時代の話になる。当時、組織において出世したいと言う気持ちがないと言っては嘘になるが、毎晩、夜中まで自主残業にて、10年分ほどの関係資料や新聞記事、その他企画書を読破した事があった。

 自主残業の理由は、目の上の課長や部長たちを、実力をもって粉砕したいと言う気持ちの表れであった。勿論、下克上を狙っているのではなく、組織において実力がなければ、キャリアのある先輩たちに仕事で負けてしまうのが、腹立たしいからである。

 28歳にして、自分の名刺に初めて「係長」と言う職位が付いた。或る役員の配慮だろうと思うけれども、正直、嬉しかった。しかし、それでも満足できず、先輩よりも同期よりも、気持ちは10年先を見据えて、日々意表を突くような企画を作りまくった。

 呑みに誘われ、午前0時頃に呑み屋を出て、タコ焼きやらお好み焼きやらを手土産に、新聞社(当時は鶴屋百貨店の向かいにあった)の通用門に立ち、当直の守衛さんに手を振り、手土産を渡し、自分のオフィスに入れてもらった。それから2時間ほど資料を読み、タクシーで自宅に帰った。

 今思えば、若き頃の筆者は、平凡なるサラリーマンではあるが、日々、仮想敵国と闘っていたのだろうと。勿論、当時もパワハラやセクハラは、大なり小なり存在していたに違いない。目立ち過ぎると、必ず叩かれる。企画書を人の5倍ほどのスピードで書き上げると、嫌がられる。

 実は、皆が鉛筆や万年筆の時代に、既に自己所有のパソコン(Macintosh)を持ち込み、キーボードを乱打して、1週間に10本ほどの企画書を作り出した。隣の部長席で部長印を貰う必要があるが、その部長は筆者の企画書をデスクの境界線に積むばかりで、無視して押印しない。

 堪忍袋の尾が切れて、トップ10で鬼のような役員のところへ足を運び、一部始終を話すことにした。その役員はすこぶる理解のある方で、「よし、分かった。今日から部長たちの印鑑は取らんでもいい。直接持って来い!」の一言で決まった。そして部長に内線電話を掛けて、大声で叱責してくれた。

 何とも有難いことだろうと、早速、自分のデスクに戻り、部長のデスクと筆者のデスクの境界線に積んである企画書を全部持ち上げ、そのまま役員室へ持ち込んだ。「こんなに滞っているのか!?あいつは根性悪いな。君と水と油なんだろうが、構わんでいいから気にせずやってくれ!」と。

 それから、役員は定期的に夜の街に誘ってくれるようになった。或る日、「おい、ちょっと私の部屋に来てくれないか!?」と。慌てて足を運び入れると、「来週の水曜日、休めるか?」と役員がニヤニヤしている。「実は、ゴルフに行きたいんだが、君と、あ、あと一人、君の後輩に連絡して、来週の水曜日に休んで、付き合ってくれ!」と。

 その水曜日がやってきた。阿蘇東急ゴルフクラブへ行き、1ラウンド終了。日の沈む頃に帰宅して一息ついていたところ、役員から自宅に電話があった。「あの、申し訳ないが、この前の店に行きたいんだよ。ちょっと気に入ったイギリス人の女性がいるから、通訳してくれ!」との誘い。シャワーを浴びて、街中へ繰り出す始末。

 「釣りバカ日誌」のようだが、役員へ忖度することもなく、懐柔策にて相手を取り込むような姑息なことなど一切なかった。よって、筆者が起業する時に、何度も「考え直してくれんか!」と心配してくれた。辞職理由は、筆者の部下を虐めていた部長との諍いである。辞める必要など全くなかったが、若気の至りにてケジメを付けてしまった。

 折角入社した新聞社であるので、勿体なかったけれども、それもまた人生だろうと。しかし、上述のような豪傑役員は、最近の会社では全く見掛けなくなった。カミソリのように仕事には厳しく筋を通すが、「奥ゆかしさ」があった。胸筋開き、隙を堂々と部下に見せて、対等にお付き合いをしてくれるのである。

 因みに、周囲の人たちは、その役員を恐れ、できるだけ接点を持たぬように動きていたようだが、今思い出せば、プッと吹き出すような光景が浮かび上がる。実は、その豪傑役員とのエピソードはマンガ本にしたいほど、記憶の箱に山ほどオモシロネタが詰まっている。


▼写真はイメージ
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文責:西田親生

                     

  • posted by Chikao Nishida at 2020/11/3 12:00 am

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