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言霊と人生・・・

▼芝居小屋 八千代座(熊本県山鹿市)

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 写真は、先般、初めて12mm超ワイドレンズで八千代座(熊本県山鹿市)内部を撮影したもの。

 別にセッティングして写したものではなく、大勢の観光客の間隙を狙って、手持ちというか、花道にカメラを置いて、ほとんど勘で撮影したものです。

 今朝、この写真を見ながら、色んなことを思い出しました。

 小学生の頃、ボロボロだった八千代座。「泥かぶら」や「肥後石工」などの演劇を見たり、映画などの上映もあったように記憶します。

 日本全体が高度成長期に差し掛かる頃だったと思います。

 昭和20年代は太平洋戦争の戦後処理と復興の時代。昭和30年代は戦争の傷を癒しながらの、「ものづくり日本」のパワー蓄積の時代。そして、昭和40年代に高度成長期を迎え、家電製品がどんどん家庭に浸透して行ったのだろうと。

 幼い頃から現在に至るまで、特に自分自身に影響を与えた言葉、つまり「言霊(言葉にあると信じられた呪力」が確かにあったのではないかと、ふと、この写真を見ながら考えていたのでした。

 心に残る言葉・・・それが潜在意識の中に宿り、無意識の内に、その「言霊」に感化され、人は育って行くのだろうと。

 3歳になってカトリック幼稚園に通い始めた頃、幼稚園近くに住んでいた叔母から「もう時計を読めなきゃだめだよ!」と言われ、叔母の家に掛けてある柱時計を何度も指差し、「何時何分」の訓練をしたこと。負けず嫌いだったのか、6歳上の従兄弟がスラスラと時計を読むのが悔しくて、叔母が手で針を回しながらの問い掛けに必死となり、1日で覚えてしまったことを思い出します。

 父の転勤で、故郷を離れ、全く知らないところの小学校へ入学。その夏休みに、幼稚園の園長夫妻が訪ねてきてくれて、「キリンになりなさんなよ!」と助言を頂いたいこと。随分昔の話ですが、深く刻まれた言葉の一つでもあります。また、1年2組の担任の先生が家庭訪問の時に、「この2年生から6年生までの国語の教科書を持ってきたので、夏休みに全部読みなさい!」と言われたのも、正直なところ、衝撃的な家庭訪問(えらい宿題)だったと記憶しています。

 更に、これは良い思い出ではないのですが、小学校6年生で委員長だった私に対して、担任の先生が皆の前で「三年苔!不潔な奴だ。従兄弟はできが良いのに、君は本当に問題児だ!よって、委員長を辞めてもらう!」と中傷を受けたこと。まあ、プールサイドでワイワイ騒いでいた時に、ある同級生を蹴ってしまい、服のままプールに落としたことが原因だと思いますが、元気よすぎて、先生からも敵視されていたのだろうと。(苦笑)

 中学一年生の時に、某県地方検察庁検事正から「頑張ってお父さんのようになんなさいよ。私は転勤で他所の県に行くけど、いつもチヌ釣り一緒に行ってくれたお礼に、この万年筆をプレゼントするよ。」と、強く握手を交わして頂きました。当時の私にとっては夢のような高価な万年筆を頂いたこと。白髪の検事正(氏名は伏せます)だったと記憶しますが、急に学ラン姿の自分を大人として扱って頂いたことが、印象的でした。

 また、同時期に若手検事から「この本読んでみてご覧!」と、ドストエフスキーの「罪と罰」をプレゼントして頂いたことも鮮明に覚えています。その検事さんが若い頃出会った書籍の中で、印象深かったものの1冊だというので、今でも大切に保管してあります。当時の若手検事さんは、数年前に最高裁判事で退官されました。20年前に母が若くして急死した時も、さっと東京から駆けつけて頂きました。私の半生において、「大義」というものに対して、強く影響を与えた方の一人でした。

 振り返り、今だからこそ気づくことが沢山あります。幼少期から成長期、そして思春期に掛けて、特に、自分の人生を決定づけるような、重要且つ摩訶不思議な「言霊」が、潜在意識に格納されて、人は歩み続けているのだろうかと、その時、その時の印象深く刻まれた記憶の中に、お世話になった方々、苦言を呈して頂いた方々、そして、温かく子供の私を一端の大人のように取り扱って頂いた方々など・・・人との出逢いがこれほどまでに大切なことを、再認識したのでした。

 されど、一端の大人になった現在の自分であっても、しばしば「言霊」に出逢うこともあります。つい最近では、高校1年生からの付き合いの心友が居ますが、その心友の父親も検察官で、私たち二人は短い期間だったと言えども、毎日のように、双子の兄弟のように、官舎で遊んでいたのです。いつだったか、彼から「色々と苦労しているようだけど、頑張って!新聞やテレビなどで活躍しているのは分かっていたよ。これ少ないけど、投資するので、気合を入れて成功してもらいたい!」と言ってくれたことがありました。彼が去って行った後に、目頭が熱くなりました。

 私の友人には、所謂、チャラい「遊び人」は一人も居ません。皆、立派に社会貢献している人物ばかりです。しかしながら、そろそろ定年を迎える友人もいるのですが、周囲を取り巻く心友を含めて、あらゆる方々の「言霊」により、支えて貰っていることを忘れず、今後も「大義」をもって、果敢に攻めて行きたいと考えている次第です。

 「言霊」・・・軽視すると罰が当たるという、大変有難いけれども、怖い存在でもあります。苦言を呈して頂く人ほど、その「言霊」にはパワーがあるのです。


▼熊本県天草市下田方面の海
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  • posted by Chikao Nishida at 2015/7/5 10:38 am

十数年振りに母校を訪ねる・・・

▼山鹿市立山鹿小学校
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 十数年振りに母校である山鹿市立山鹿小学校を訪ねた。中学校に入学するころから、転勤族であった父の金魚の糞となり、県外を点々としていたので、郷里の母校に足を運ぶ事は滅多になかった。

 久し振りにその姿を見て、正直なところ、驚きの色を隠しきれなかった。無数にある記憶の箱が一度に開封されると、幼稚園や小学校時代の頃の出来事が、爆発するような勢いで、脳裏を駆け巡る。

 新校舎は、デザイナーズブランドのような、総ガラス張りで、室内は独特な構造となっており、木の香りが一杯の、憩いの為のパブリックスペースかと思うほどに、各施設が配置された機能美溢れる庭園そのものである。

 筆者が小学校2年生になる頃に、当時の木造教室が全て鉄筋コンクリート3階建ての校舎になったと記憶している。それから半世紀近くが立ち、その母校の姿は余りのも眩しく、近代建築物が現代建築物に、そして未来建築物に変わっていた。

 しかし、だだっ広い運動場は当時のままだ。運動会の後なのか、ライン引きでトラックを描いた跡があり、当時の小学校の大運動会の映像が、運動場一杯に広がって行ったのである。当時、鼓笛隊の指揮をしていた筆者は、行進の先頭を歩き、鼓笛隊の後にバトンガールが続き、その後に、1年生から全校生徒が行進して行ったのだった。

 同校は、熊本県北地区で最大級の小学校。1学年6クラスあり、全校生徒は約1500人ほど居たように記憶する。たぶん、現在は少子化となっており、かなり生徒数も減っているのだろうと・・・。

 また、運動場のすぐ東側には大宮神社がある。大楠が茂り、夏はクマゼミの鳴き声が絶えず、その木陰で遊び回っていた事を思い出す。大楠の上から降りて来た大きな青大将に腰を抜かしたり、地面に蝉の小さな穴を見つけては掘り起こし、それを自宅の机の引き出しで孵化させたりと・・・幼い頃の思い出は尽きない。

 このように、大人になった今、当時の自分の足跡を求めて、それをトレースするのも面白い。幼い頃は、善きも悪しきも罪はない。恨み、辛み、妬みもない、大らかな時代を過ごせたのである。・・・少なからずとも、歪んだ人生を送らずに済んだのは、幼少期において、この素晴らしい環境下で育つことができたのが一番の要因だろうと、つくづく親や友人、知人に、心より感謝しなければならないと・・・。


▼大宮神社
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  • posted by Chikao Nishida at 2014/9/16 03:49 pm

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