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自分自身が見えた時・・・

MYSELF



 人は、一所懸命な時が一番素敵だ。人は、頑張っている時が一番輝いている。人は、優秀だと褒められたり、衆目が認めるところに常に居ると、大満足だ。・・・と、起業してから数年間・・・まだ、青二才の頃の筆者は、それが唯一「真」だと思っていた。・・・しかし、これが大きな勘違い、履き違いだったようだ。

 前述のような環境下に居る時は、人というものは、自分自身がしっかりと見えていないことが多い。それに、自分自身が気付いていないだけではなく、見事なまでに独り善がりで、身勝手で、手の付けようがない。只ひたすら、自己満足の世界を回遊していたのであった。

 どんなに家庭や仕事環境に恵まれていたとしても、貪欲な人という動物は、更に上を羨望し、それを一つでも手に取ることができないと、日々ストレスを抱え込んで行く。そのストレス解消の為に、意味の無い「癒やし」という漠然とした言葉や物、流行り文句へ執着して行くのである。この馬鹿げた繰り返しが、凡なる凡人たる所以であろうと考えるようになった。

 仕事に揉まれながら、自問自答を繰り返して行く中で、「そんなに肩に力を入れて遣っても、それが何になる?」、「社会貢献と思い込み、ボランティアで地域活性化に力を入れて、誰が感謝してくれる?」、「今までの実績が自分の人生のつまらん履歴なのか?」などなど、ふと多くの疑問が頭上から降ってきたのであった。

 父や叔父が優秀、兄や従兄弟が優秀・・・だから、自分も優秀という煌びやかな言葉で修飾される人間で在るべきなのか?・・・成るべきなのか?・・・それが、若き頃の、大きな思い込み・・・履き違いだと言う事がうっすらながらも見えて来るようになった。

 先般、或る人がこんな事を呟いていた。「今までしっかりと頑張って動き回ってきたけど、ここらで力を抜いて、ゆったりとホッとするような環境に浸りたい!」と。「それが、一番なんだ!」と。・・・頑張りすぎてきた人の口から、ポロンと出てきた言葉だったのだが、まだ完全に拭いきれなかった筆者の重い心の鉛の玉の残りカスを、一瞬にして払拭してくれたのであった。

 頑張ることは美徳なり。されど、その歌舞伎の大喜利的な評価基準を少々下げて、凹みの現実を堂々と認め、苦笑いしているような時の方が、人間らしくて素敵じゃなかろうか。

 力を抜くと言う事は、実は「自然体」を意味する。自分の力量を過信すれば、そのしっぺ返しは想定外に大きい。しかし、努力もせず、期待感だけが大きいと、それは単なる妄想であり、何の意味も無い人生となってしまうのだ。

 凡なる凡人の域をなかなか脱し得ないが、自分の足跡の歪みに気付き、少しでも「自然体」で人間らしい人生を甘受することが、後悔の無い人生に成り得るのではなかろうかと・・・。怠慢な人生は論外であるが、少しでも肩の力を抜けるような、質素なりとも愉快な人生、微笑ましい人生を送れるような、非凡なる凡人で終焉を迎えたいものだ。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/11/12 03:09 am

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