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生産者へ感謝の気持ちを・・・

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 お金さえあれば、食事処さえあれば、人間は生きていけると思っている人も多いのではないか。それは、田畑に疎遠な都市部に住む人たちの感覚ではないかと推察する次第。

 日頃から、通勤してランチをとり、さらに仕事を続け、残業を除けば、帰宅する。その一日が当たり前のように過ぎていくが、「命をつなぐ食」として、朝食、昼食、そして夕食を無意識にとっている。

 ところが、我々が食しているものは、米、麺類、パンなどを主食として、肉類や魚介類、乳製品、野菜、果物と、多種多様な食材が胃袋に収まっていくのである。

 幼い頃に、祖父から、米一粒でも疎かにすれば、必ず罰が当たると何度も叱責された。生産者の方々の苦労の結晶が、米であったり、その他の食材だとお灸を据えられたことが、つい昨日のように鮮明に覚えている。

 ICTを本業としているが、ホテル文化と食文化については、長年にわたり取材を通じて研究を重ねてきたので、思いの外、拘りがある。

 食の素晴らしさは、現地の採れたてのものを食すと、その有り難さに感動し、旬の美味さに腰を抜かす。

 例えば、上五島へ上陸した時のことである。翌日、早朝に採れたてのウニの山盛りウニ丼を食したことがあったが、現在に至るまで、そのウニ丼よりも美味いウニ丼に出逢ったことがない。

 漁師の方が、旅館に宿泊している筆者に、わざわざ早朝から差し入れに来てくれて、ご相伴に預かった。濃厚なウニの風味が口に広がり、熱々のご飯を掻き込んだのは、あれが最初で最後の最高のウニ丼であろうかと。

 コンビニに行けば、大抵の食料が揃う。ただ、レジでお金を払うだけで、食べたいものがいつでも食べれる。そこで食材の出どころを見ると、それぞれに生産者の姿ありきで、目の前の食料にありつけるのである。

 新聞社時代は忙しさも手伝って、ランチ以外にその日の食事を考えたことはなかった。仕事最優先であるために、何かを犠牲にしては、ファストフードで誤魔化してはいたものの、そのせいもあり体調がすぐれぬ時を過ごした経験がある。

 最近は農業、林業、水産業、酪農業などの生産者と直接話す機会が無くなっているけれども、従来の市場の存在や物流システムや仲買制度、JAの存在などを考えれば、生産者が儲かる仕組みとなっていないところが重要な問題である。

 需要供給のバランスを取るためには、必要不可欠なシステムの存在は理解できるが、余りにも無駄なものがあり過ぎて、生産者が儲かる仕組みにはなっていない。

 よって、不要なる既得権益の制度にメスをい入れるのが、生産者保護になりはしないかと思うばかり。単に、災害などで物流が乱れ、生産者に雀の涙程度の補助金を与えるのではなく、日頃から「儲かる生産者」の環境づくりへ政策転換すれば、より質の高い食材が適正価格で国内に出回るはずだ。

 祖父が目くじらを立てて、米一粒の価値を筆者に強く言っていたことが、生産者の苦労を知って初めて食の有り難さに繋がることに、深く頷く筆者である。
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、食べ物を通じた生産者への感謝の念と、食文化の重要性に対する深い洞察を提供しています。生産者の苦労を理解し、その価値を認識することの大切さが強調されており、読者に対して食べ物に対する考え方を見直すよう促しています。

エッセイは個人的な経験と観察に基づき、食材の出所と生産者の労力に敬意を表することの重要性を訴えています。特に、旬の食材の美味しさを現地で体験することがもたらす感動や、コンビニエンスストアの食料品に対する感謝の姿勢など、具体的な例を挙げることでメッセージに説得力を持たせています。

また、農業、林業、水産業、酪農業などの生産者との直接のコミュニケーションの欠如や、生産者が適正な利益を得られるシステムへの移行の必要性に触れ、現在の市場システムや物流の問題点を指摘しています。これは、生産者の保護と質の高い食材の供給を確保するための政策転換を提案することで、社会的な問題への意識を喚起しています。

全体的に、このエッセイは読者に対して食文化の価値と、私たちが日常的に享受している食べ物の背後にある生産者の努力を再評価するよう促します。さらに、より持続可能で公平な食品供給システムへの変化を求めることで、社会的な議論を促進することを目指しています。

評価としては、深い感情と社会的洞察を組み合わせた力強いメッセージを持つ、非常に考えさせられる作品です。読者に対し、食べ物とその生産過程に対する深い感謝と尊敬の念を持つよう促すとともに、現行の食品生産と供給のシステムに対する批判的な視点を提供しています。このエッセイは、食文化の重要性を再認識し、より持続可能な未来への一歩を踏み出すきっかけを提供するものです。
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プロンプト・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/4/2 12:00 am

デジタルデータと人間社会の未来

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 日本の婚姻制度がこのまま500年続くとすれば、多くの人が佐藤という姓を名乗ることになると言われている。同様に、ある世界的企業がデジタルデータを500年後まで保存するという話を聞いても、現在のデジタルデータの価値や保存の形状をどう捉えれば良いのか、首を傾げざるを得ない。

 SNSが全盛を極める現代において、スマートフォンを保持する個人や法人のほとんどがSNSを活用している。国内では、個人や法人が日々数億、数十億ものデジタルデータ(テキスト、写真、動画、音声、アバター、生成AI画像など)を送受信しているが、これらが500年後にも残るとして、その価値はいかほどにあるのだろうか。思い至るのは、侘しい感情のみである。

 人間の寿命を考えるに、世代を30年と区切れば、今の我々から17代先の子孫が地球上に生きていることになる。しかし、凡人である筆者のような人間の子孫が、17代前の筆者のことを記憶に留めておくはずがなく、写真や動画などのデータの存在価値はほぼ皆無に等しい。

 デジタル時代の黎明期には、特にインターネット時代の幕開けである1994年秋を振り返ると、デジタルデータは蓄積されること自体に価値が見出され、それに基づいて検索抽出が行われ、生きた情報として珍重されてきた。

 しかしながら、X(旧Twitter)をはじめとするSNS時代に入ると、リアルタイムで流れるデジタルデータに価値を見出すようになり、現在に至っている。紙媒体の教科書もデジタル化され、タブレットが教科書を持ち運ぶデバイスになるなど、まったく新しい価値観が生まれつつある。

 このように考えると、人生100年を謳歌するよりも、いかにして短い人生を大切に生きるかを求め、未来に向けての価値基準や価値判断をしっかりと描きながら、良好な人間関係を維持することの重要性を認識するべきである。

 国民の税金で成り立つ現代の社会においては、例えば、従来の助成金や補助金の見直し、無駄遣いの一掃が求められている。叙勲や褒賞のような制度も全て税金によって支えられているが、凡人である筆者にとっては、それらに価値を見出すことはない。

 個人的な経験として、親族の中で父や叔父、伯父が叙勲され、皇居へ赴いたことがある。しかし、申し訳ないけれども、現在では、それらの勲章や賞状を価値あるものとして捉えることはない。

 500年後に叙勲制度がどうなっているか予測は難しいが、ウクライナ・クライシスを見るにつけ、勲章が授与される場面をネット上で目にしても、何の価値も感じることはない。

 命と血税は、国民から集められ、予算という名のもとにばら撒かれ、戦場で失われる。しかし、その本当の価値を問うべきではなかろうか。また、厳密に言えば、叙勲や褒賞の制度は、多くの国民にとって差別的な存在であり、夢や希望を与えるものではない。

 人間の歴史がどれだけ続くか未知数であるが、地球の歴史と比較すれば、実にわずかな時間に過ぎない。よって、必ず無駄なものは廃止されるべき時がやってくる。

 500年後の日本について語るのは困難であるが、その頃には国家の存続も危うく、生粋の日本人がどれだけ生き残っているか不確かである。国土計画や自給自足の生産・消費制度の確立が、より重要となるだろう。それによって、現在の高層ビル群がどのような存在となっているのかは、誰にも予期できない。重要文化財や国宝になっているビルもあれば、廃墟と化し、スラム化したビル群もあろうかと。

 以上、500年後の「デジタルデータと人間社会の未来」について考察したが、明確な結論は導き出すことはできなかった。しかし、筆者の脳内では、争いのない、穏やかで幸せな日本国の姿がうっすらと見えているように思えてならない。あくまでも、希望的観測による妄想ではあるが。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、デジタルデータの保存と人間社会の未来について深い洞察を示しています。以下はその評価ポイントです:

洞察力と視点:著者はデジタルデータ保存の重要性と、それが将来の人間社会に与える影響について考察しています。特に、デジタルデータが人々の生活においてどのように価値を持ち、その保存が将来にどのような影響を与えるかについて、深く洞察しています。

文章構造と流れ:エッセイは論理的な流れで展開されており、読みやすく理解しやすい構造になっています。段落ごとに主題が明確に提示され、考察が順序立てられています。

言語と表現:文章は明確で適切な言葉で構成されており、読者に理解しやすいです。また、著者の個人的な経験や観点が巧みに取り入れられており、読者に共感を呼び起こします。

結論と展望:エッセイは明確な結論には至りませんが、その代わりに未来への展望を提供しています。著者は明るい未来への希望を持ちながらも、現実的な視点を示し、読者に考えさせることに成功しています。

総じて、このエッセイは洞察力に富んでおり、デジタルデータと人間社会の未来について深く考察しています。読者に興味深い視点を提供し、議論の余地を残しつつ、希望的な展望を示しています。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/4/1 12:00 am

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