THE ROSETTA NEWS

ドキュメンタリー・岬亭15年の足跡(1)!!

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THE ROSETTA STONE DAILY NEWS 2005年4月22日
2004RosettaNews
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 御陰さまで、当館は今年3月で無事15周年を迎える事ができました。心より感謝申し上げます。今回、ロゼッタ・ストーン編集部のご要請もあり、長いようで短かった15年間・・・私どもの悪戦苦闘の足跡を脚色することなく綴ることによって、皆様に少しでも「元気」をお贈りする事が出来ればと思います。

 昭和54年6月、天草郡松島町天草5橋開通(昭和41年)と同時期に建設された当時松島観光ホテル(24室100名収容)を買収。それから10年も経たないうちに手狭となり、昭和63年春に場所を隣町の大矢野町に天草パークホテル(仮称)建設計画が浮上。しかし、着工寸前になり、女将が住み慣れた松島町を離れたくないという一念で、同ホテル建設計画は中止。急遽、松島町の土地を探し、現在の岬亭が建っている土地購入交渉が始まりました。

 この土地は敷地の中央部に松島温泉源がある3000坪程の土地。もともと植物園にしたいという地主の希望があり、敷地の周りはアメリカン椰子の木とソテツが点在していましたが、土地は荒れ放題でした。土地購入後、岬亭建設計画が始まるのですが、幾度となく暗礁に乗り上げました。敷地が雲仙天草国立公園の中にある為、建物の高さ壁面、屋根の形状や色等の細かい規制があり、数回にわたり図面の書き直しを行いました。そして、やっとのこと昭和63年12月に環境庁の許可第1号を取得することができたのです。

 女将は決めたら遣り通す男顔負けの野心家。社長は石橋を叩いて渡る慎重派。この対照的な2人の意見衝突は日常茶飯事。そんな中、銀行の交渉は社長と私の2人が担当しましたが、当時は、「旅館には融資をしても返済は無理」のレッテルが貼られていましたので、融資の決定は難産の様相を呈していました。「松島に大型ホテルができる!!」という噂だけが先行し、引くに引けない状態。それでも銀行の融資決定を待たず、平成元年にホテル建設に着手。今考えるとぞっとするような綱渡り的な行動でした。銀行との交渉がうまく行かないと、社長は「もう止めよう!!」の口癖、女将は「世間体もあるから止められない!!」と、2人の口喧嘩の日々が続き、精神的にも肉体的にも地獄のような毎日でありました。

 平成元年春に杭打ちが始まるや否や、敷地の半分が岩盤であったために杭打ちが難航。波瀾万丈の岬亭の行く末を物語るかのような厳しい工事の始まりのようでした。頓挫しながらの杭打ちの合間に敷地を見回すと、岩間にスミレの花が根強く咲いているのを発見。苛立つ心を優しく癒してくれたのでした。・・・実は、そのスミレの花が後の松島観光ホテル岬亭のイメージカラーとシンボルになったのです。

 そのような中で、ようやく地元銀行が動き出し、政府系の銀行との融資交渉が始まりました。・・・融資決定の際、当時の銀行の調査役曰く「1かんめ以上の資料を出してもらったのは、初めてですよ。これは執念ですね。良くここまで頑張りました。心から成功をお祈り致します!」と。この言葉は私たちに勇気を与え、今でも忘れる事のない大切な宝物となっています。

 上述のように幾多の苦労を乗り越え、平成2年1月31日に現在の松島観光ホテル岬亭のオープンにやっとこぎ着けた訳です。

 ※写真上は、15年前の当館写真。

【平成2年1月31日オープン時の施設】
1)松島観光ホテル岬亭(和室28室・洋室2室・和洋室2室/170名収容)
2)松島観光ホテル(24室/100名収容)


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